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12 いざという時はコレを


「これ、『ラフニカとその婚約者は当家と関わらない』って文言、『お互いに』って付け加えといてもらえませんかね?」


 こわばったラフニカの手から、不意にフェリスが誓約書を抜き取った。指先でひらひらと紙面をつまみ上げ、普段通りの気の抜けた声で彼は言う。

 その言葉に、父はひくりと頬を引き攣らせた。


「くだらん。我が家がお前たちを必要とするはずがない。無意味な記載だ」


「なら別に、その文言を足したってオタクは痛くも痒くもないでしょ。こんな一方的な宣言じゃなくてフェアな内容にした方が、そちらも面目が保てるんじゃないですか」


 ね、という声とともに書類を戻され、父は反射的にそれを受け取ってから顔をしかめた。

 しかし、そんなことで揉めるのも面倒だと判断したらしい。


「……ペンを」


 大人しくフェリスの要求通りの文言をつけ足し、正式な加筆の処理を行なう。


 相手を自分のペースに巻き込むフェリスの才能は、驚くべきことに父にも有効だったらしい。

 普段は唯我独尊とばかりに振る舞う彼の思いがけない姿に、ラフニカは思わずその姿を目で追ってしまう。




「どーも。じゃ、」


 その間に単純な文言の追記手続など、あっという間に完了した。中身を確認し、フェリスがさらさらと婚約者の欄に署名をしていく。


「ほら、ラフニカちゃんも」


「あ……はい」


 その滞りない事務的な流れに感傷が削がれ、ラフニカも落ち着いた気持ちでペンをとった。


 自身の名前を記す。

 もう勘当されることになる身だ。署名には敢えて苗字はつけず、ラフニカとだけ書くにとどめた。


 苗字のない、名前だけの署名。これから自分はこの名前ひとつだけで生きていくのだ。

 それは妙に心許なく、それでいて清々しい気持ちの感じられるサインであった。



「じゃ、こっちは控えとして俺が持っときますね。はい、ご当主サマはこっち」


 そう言いながら誓約書を渡し、フェリスは肩の荷が下りたとばかりにニッと笑う。



「いやぁ、交際を認めてもらえて良かったですよ。いざという時はコレを使えと言われてたけど、こんなもんどうやって使ったら良いか見当もつきませんでしたから」


 冗談まじりに無造作に取り出した封筒を目にした瞬間、父の顔色がさっと変わった。


「その……封蝋はまさか」


「あ、やっぱり貴族の人って封筒見ただけでわかるもんなんですね」


 思わず、といった様子で手を伸ばした父からフェリスはすっと封筒をひき離す。その拍子に封筒の封蝋が目に入り、ラフニカも父に続いて驚愕に目を見開いた。

 社交界に疎いラフニカですら、一瞬でわかる。建国の幻獣である翼のある獅子をかたどったその印は……。


「馬鹿な、どうしてお前ごときが王家の紹介状を……!?」


「えぇー、そんな大層なもんじゃないんですけどねぇ」


 そんなわけがない。

 フェリスの呑気な声に、ラフニカは反射的に遠慮のないツッコミを入れそうになってしまった。

 王家の威信を示すその象徴は、伊達(だて)酔狂(すいきょう)で出されるものではない。その通達には、それ相応の重みというのがあるのだ。


 しばらくシラを切ろうとしていたフェリスだが、引き下がる様子のない相手を見て諦めたように肩をすくめた。



「いや、ホント、大した話じゃないんですよ。先に紹介したとおり、俺は第三騎士団の補佐官を拝命してるわけですが、その上の騎士団長がスィーン第五王子でして」


 フェリスの説明から唐突に登場した王子の名前に、父の顔が引き攣る。


「ありがたいことに団長に引き立ててもらって、叙爵の話もいただいたんです。……ほら、俺はあまり政治の話はよく知らないんですが、今、国をあげて『獣人差別の撤廃と積極的な登用』ってやつを推し進めてるんでしょう? その一環だそうで。ちょうどスィーン団長の母方の家、えぇと……ヴェルト、ヴェルキア……」


「ヴェルキアッシェ公爵家――!」


 もはやフェリスに、というよりも独り言のような呻き声で父親が名をつぶやく。


「そうそう。そのヴェルキアッシェ公爵家の紋章にちょうどヤマネコが使われているという縁もあって、話もトントン拍子に進んで。それで、公爵様の持ってる爵位のひとつを頂けるって話になったんですよ。結局、子爵位になったんだっけかな……といっても土地を治めるわけじゃないんで、ご当主サマのおっしゃる通り平民も同然なワケですが」



 他人事のように淡々と述べるフェリスは実際のところ、どこまでをわかってて言っているのだろう。

 王家と縁が近いヴェルキアッシェ公爵家。たとえ子爵位であろうとその公爵家から直接爵位を譲位されるということは、フェリスが公爵家に近い縁者として認められたことを意味している。

 その存在は、間違いなく多くの貴族にとって是非とも縁を結びたいものとなるだろう。


 そして、それはラフニカの父にとっても例外ではなかった。しかも彼は本来であれば労せずして『娘の婚約者』という立場を手に入れられる状況に居たのだ。

 ――()()()()()()


 だというのに、彼はそのせっかくのチャンスを自らの手でふいにしてしまった。

 しかも、絶縁状という言い訳のしようのない証拠まで残して。


 ……もちろん実際のところを言えば、ラフニカは嘘の婚約者に過ぎない。父が手に入れられるコネクションなど、最初から存在していないのだ。

 そんなこと、父は知る由もないのだけれど。



「こ、これは……失礼いました」


 今までの態度が嘘のように居住まいを正し、父は上擦った声をあげた。


「こら、お前たち、何をしている。早くお客さまにもてなしを」


「あ、良いっす、要らないです」


 父のあからさまな手のひら返しをフェリスはバッサリと切り捨てる。


「関わりになりたくないって言ったのはそっちでしょ? 俺としてもその方が面倒がなくて良いんで、放っておいてください。もうここに来ることもないですし、馬車が来たら帰りますんで」


 これ見よがしに絶縁状をヒラヒラと見せつけるフェリスに、父はひく、と一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情を走らせた。

 だがそんな感情など瞬く間に消し去り、彼はにこやかな顔をあらためて作りなおす。


「……では、せめて馬車が来るまでは我が家でお寛ぎください」


 そう述べると次にラフニカに向きなおり、父は今まで見せたことのないような笑みを浮かべてみせた。


「先ほどは厳しいことも言ったけれど、貴族のつまらぬ慣習がどうしても(かせ)になってしまっただけでね。私たちはラフニカのことを愛しているよ。書類上の絶縁なんて気にせず、いつでもフェリス君を連れて遊びに来ると良い」


「……ありがとうございます」


 この変わり身の早さと面の皮の厚さには、ある意味で感心してしまう。

 お互いに嘘を嘘と認識したうえでの薄っぺらい愛の言葉。その虚言をわざわざ暴く必要も感じられず、ラフニカは無感動に受け流す。


「フェリス君も、娘のことを頼んだよ。――では、ごゆっくり」


 引き際を見極める目はあるのか、父はそれ以上食い下がることなく母を連れて退室していった。

 実際、これ以上彼がここに居ても状況が悪化することこそあれ、良くなることはなかったであろう。その判断能力の高さだけは見事なものだ。





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