月夜の雫亭
寮対抗戦の準備で慌ただしい日々が続く中、ディアナは王都郊外の「月夜の雫亭」を訪れていた。彼女の隣には、同じく多忙を極めるはずのウルスラももちろん一緒だ。今年で三年生となるウルスラにとって、今回の寮対抗戦は卒業前最後の大舞台。だからこそ、彼女は例年以上に気合が入っていた。
「そっか、ディアナは今年、模擬戦出れそうなんだね?」
「ん。ウッシーとは去年対戦できなかったから楽しみ」
二人は毛生え薬の調合素材が入った鍋を交代でかき混ぜながら、楽しげに笑い合っていた。
貴重な毛生え薬に使う素材は、例年この時期が最も手に入りやすいらしい。「寮対抗戦で学校内がバタバタしている中、丸一日調合にかかり切りとなるので、皆に申し訳ない」と、ウルスラは疲れた表情で溜息を吐いた。しかし、この薬を求めてやってくるのは貴族ばかり。彼らをあまり待たせるわけにもいかない。そのため毎年この日と決めて、できるだけ一日でまとめて調合できるようにしているのだという。
「寮でもよく話題に出るんだよ。皆、ディアナがどの競技に出るんだって気になってるみたいだ」
交代でディアナからレードルを受け取ったウルスラが、鍋をかき混ぜながら苦笑を浮かべる。
去年フルスコアを出したディアナの動向は、誰しも気になるようで、今のところグライフ寮の談話室での話題はもっぱらディアナのことらしい。
本来は他寮の学生に自寮の情報を流すのは禁じられている。もっとも、それは規定として定められている訳ではなく、長年の暗黙の了解のようなものだ。そのため、寮対抗戦が近づいてくると、どこからか必ず情報を仕入れてくる者は必ずいた。そしてその情報によって、選手は自分の出る競技の対戦相手に一喜一憂するのが常だった。
「ライナーからは、全種目に出るよう言われた」
「全種目! マジで!?」
疲れた腕を軽く揉みほぐしながらディアナが口を尖らせると、ウルスラが驚いたように大きく目を見開いた。
かなりの実力者といわれる者でも、三種目に出場するのが精一杯だ。それでも最後には魔力量に不安を抱えながらの競技となるのが常だった。
「ん。だから断った」
相手チームのこととはいえ、さすがにウルスラもディアナの言葉を聞いて、ホッとした表情を浮かべた。
「それはそうだろう。いくらなんでも無茶だよ」
いくら「規格外」と言われる魔力量を誇り、現在、アルケミア最強と噂されるディアナとはいえ、さすがに全種目に出場するのは荷が重いだろう。ましてや彼女の実力なら、どの種目も優勝の有力候補になる。競技はトーナメント制のため、決勝まで勝ち進むことを考えれば、少なくとも一競技で三回戦うことになる。それを五日間連続でこなさなければならない。加えてディアナは、最終日のレヴィアカンプフェの主力メンバーだ。どう考えても無理があった。
「ん。研究発表もあるし、全然無理」
「研究発表っていうと『魔力濃縮』だっけ? この分だと今年もまたディアナが最優秀かな?」
ヴェットカンプの個人種目に加えてレヴィアカンプフェ、そして研究発表。今年はディアナが関わっていないのを探す方が早いのではないかと思うほど、様々なところで彼女の名前を聞く。本人の意向とは裏腹に、それだけ彼女が無視できない存在だということなのだろう。
「それは分からない。ある物を探してるんだけど……」
「ある物?」
ディアナは、展示物のメインに据えようとしているポットスチルが手に入らないことを、ウルスラに相談した。説明を聞いたウルスラは、調合鍋をかき混ぜる手を止めずに考える仕草をする。
「うん。もしかしたらそれ、何とかなるかも知れない」
「ホント!?」
ウルスラの言葉に、ディアナは期待に満ちた眼差しを浮かべた。
半分諦めかけていたところで、いきなり希望の光が灯ったような気がしたのだ。
「ああ、うちの父さんは、酒蔵とも色々つながりがあるんだ。だから、紹介できるところがあるんじゃないかな? 父さんが帰ってきたら聞いてみなよ。ああ見えて、ただの酒好きじゃないんだよ」
「ん。そうする。ありがとう」
ディアナは笑顔を浮かべて頷いた。
ウルスラの父であるティムは、仕事の関係で王都の酒蔵とつながりがある。そのため、ディアナらでは調べきれない情報を持っている可能性があった。
「だいぶ煮詰まってきた。もう少しだ!」
ウルスラの言葉に、ディアナは再び調合鍋へと目を向けた。
飴色でトロッとしていた液体も、今ではドロリとした妖しく黒い液体へと変わってきている。最初は容易にかき混ぜることができていたが、今ではマドラーにネットリと絡みつき、一周かき混ぜるだけでも相当な力がいる。二人は額に汗を浮かべながら、必死でかき混ぜ続けた。
「よし。もういいだろう!」
それからしばらくして、「月夜の雫亭」謹製の毛生え薬が完成した。ドロッとした真っ黒な液体とツーンとする鼻につく刺激臭は、確かにこの薬独特のものだ。
ディアナは額の汗を拭いながら、大きく息を吐いた。自分にはまったく関係のない薬だが、妙な達成感に包まれていた。
「あとは余熱をとったあと、瓶に詰めれば完成だ」
ウルスラは釜の火を止めると静かに蓋をする。そして汗を拭うと、ホッとしたような笑顔を浮かべた。
乗り合いの馬車が出るまでは、もう少し時間がある。その内にティムも戻ってくるはずだ。
調合室から出て店のカウンターへと移動した二人は、ウルスラの煎れたお茶を飲みながら談笑していた。芳醇な茶葉の香りが鼻孔をくすぐり、悲鳴を上げている腕や肩の筋肉を優しくほぐしてくれるかのようだ。
「今年は変なことして、また魔力を変質させないでくれよ」
「ん。あたしもウッシーと戦いたいから、もう変なことはしない」
ウルスラが笑いながら念を押すと、ディアナは照れくさそうに頭を掻いた。
二人は去年、模擬戦で戦うことを約束していたが、ちょうどその直後にディアナが自分の魔力を変質させてしまい、戦うことができなくなってしまった。結果的にそのお陰でディアナは魔力濃縮を発見したのだが、模擬戦での対戦は実現していなかった。
「楽しみにしておくよ。そう言えばブルーノは今年も出るのかい?」
ディアナ不在の模擬戦で、ウルスラと決勝で対戦したのがブルーノだった。
彼は豊富な魔力を活かした圧倒的な手数と、時折混ぜる身体強化魔法による機動力で、終始優位に試合を進めた。ウルスラは対照的に、隙のない巧みな防御で我慢の展開が続いた。
二人の戦いは一歩も譲らぬまま延長戦までもつれ込んだ。だが、最後は疲れの見えたブルーノの一瞬の隙を見逃さず、ウルスラが見事に優勝していた。
「ん。今年はウッシーに絶対リベンジするって意気込んでる。この一年、そのためだけにやってきたって言ってた」
「そうなんだ。なら、わたしは二人に勝たないと連覇できないのか。中々大変そうだな」
「ん。あたしも負けない」
ディアナがそう言って小さく頷くと、ウルスラは楽しそうに目を細め、ティーカップに残ったお茶を一気に飲み干した。
そうやって他愛ない談笑を続けていると、店の入口が開きウルスラの父親であるティムが赤ら顔で帰ってきた。今日も調合と店番を彼女達に任せ、いつものように昼間から酒場をはしごしていたようだ。その足取りはややおぼつかず、酒の匂いがふわりと漂う。
「父さん、いつも大事な主力商品の調合をわたし達に任せて、店番もせず飲み歩いてるけど大丈夫なの?」
ウルスラは腰に両手を当て、頬を膨らませてティムを咎めた。彼女の言葉には、娘としての心配と、呆れが入り混じっている。
「なあに、男の俺が調合するより『娘達が心を込めて調合した』って言った方が、お貴族様にはウケがいいんだよ。それに休日はお客さんもほとんど来ないからな。全然平気さ」
ティムは悪びれた様子もなく、得意げに胸を張って言い放った。その顔には、一切の反省の色が見られない。むしろ、自分の行動を肯定するような開き直った態度だ。
「だからって、調合を任せきりにしていい理由にはならないじゃないか」
ウルスラは呆れたように大声を上げた。その声には、日頃の不満が凝縮されている。まったく反省が見られないティムに、ウルスラの怒りは頂点に達していた。
いきなり始まった親子喧嘩に、ディアナはどうしていいか分からず、オロオロするばかりだ。
「そんなに怒らなくてもいいだろ? まったくそういう所は母さんにそっくりだ」
ティムは、娘の剣幕にややたじろぎながらも、軽口を叩いた。その言葉が、ウルスラの怒りをさらに煽る。
「ディアナの前であんまり言いたくはないけど、父さんがそんなだから、母さんが出ていったんじゃないか!」
ウルスラの言葉が決定的だった。母親の話題は、ティムにとって触れられたくない部分だったのだろう。彼は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込み、それ以上何も言えなくなった。
少し言い過ぎたと思ったのだろう。ウルスラは軽く溜息を吐くと、バツが悪そうな顔で口を開く。普段は強気なウルスラも、父親の沈黙に、少しだけ後悔の色を滲ませる。
「そんな父さんに、実は相談があるんだ」
娘からの相談は珍しいのだろう。しょんぼりと落ち込んだ様子のティムが、驚いた様子で顔を上げた。沈んでいた表情から一転、期待に満ちた眼差しでウルスラを見つめる。すると「ほら」とウルスラに促されたディアナが、おずおずと進み出た。
「ちょ、ちょっと探し物をしてるんだけど……」
ディアナは、ティムに研究発表でポットスチルを展示したいこと。また、それをどこかで手に入れることはできないかを尋ねた。
「ふむ。ポットスチルか?」
ティムは顎に手を当て、考え込むように呟いた。その表情は真剣そのもので、普段の呑気な父親とはまるで違う。娘の友人の頼みとはいえ、真剣に耳を傾けているようだ。
「ふむ。俺に任せておけ!」
やがて、ティムはゆっくりと目を開けると、おもむろに「ポン」と手を打った。彼の顔には自信に満ちた笑みが浮かび上がり、胸を張って高らかに宣言した。
その様子を見たディアナは、隣に立つウルスラと顔を見合わせた。今まで、どこか頼りなく、大黒柱としては不安な印象しかなかったティムが、初めて頼もしく見えた。しかし、その一方で、彼女の胸の奥底には、拭いきれない一抹の不安が残っていた。ティムの自信満々な態度が、かえってその不安を煽るようでもあった。
ウルスラもまた、ディアナと同じような感情を抱いているのか、わずかに首を傾げる。
二人の間には、言葉にならない期待と不安が入り混じった空気が流れていた。




