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残りものには福があった!?

この日、ディアナとクラリッサの二人は、早朝から駅馬車を乗り継いで、王都の郊外へと足を運んでいた。

ティムにポットスチルのことを相談してから、すでに一カ月近くが経過していた。寮対抗戦までの準備期間を考えると、もはや展示内容をある程度具体的に決定していなくてはならない時期に差し掛かっていた。だが、ディアナは未だに、展示会場の目処すら立てられていない状況だった。

もっとも、展示の方向性については、クラリッサが惜しみなく手伝ってくれたこともあって、ある程度の骨格は固まってはいた。問題は、その展示のメインとなるポットスチルが、いまだに手に入れる目途が立っていないことだった。

これまでも、ティムの紹介で数軒の醸造所を巡っていた。しかし、手に入りそうなポットスチルはいくつかあったのの、想定よりも大きすぎたり、あるいは表面が錆びつき、今にも壊れそうな状態のものだったりと、いずれもディアナのお眼鏡に適うポットスチルに出会えていなかったのだ。


「ディアナさん、もう一度だけ確認させてくださいませ。今日、この醸造所でポットスチルが手に入らなければ、もう寮対抗戦には間に合いませんわ。その場合、研究発表は小さい展示会場で、実験用の蒸留装置を展示するしかなくなってしまいますわよ?」


「ん。分かってる」


念を押すようなクラリッサの言葉に、悲壮感を漂わせたディアナが固い表情で小さく頷いた。その瞳には、焦燥と、それでもなお妥協したくないという複雑な意志が入り混じっていた。

これまでも、ある程度妥協できそうなポットスチルは、あることはあった。実際、クラリッサは、それらでも十分に納得できると考えていた。しかし、ディアナだけは、どうしても首を縦に振ろうとはしなかったのだ。

寮対抗戦でディアナが参加するのは、研究発表だけではない。連覇のかかる「アングリフ」は出場禁止となったものの、「ルンド」「模擬戦」そして「レヴィアカンプフェ」のメンバーに選ばれていた。特にレヴィアカンプフェでは、アインホルン寮の絶対的なエースとして大車輪の活躍が期待されていた。そのため、いつまでも研究発表に時間を費やし、他の競技の準備に支障をきたすわけにはいかなかったのだ。


「おっ、来たな」


その古びた醸造所の前には、ティムが立っていた。

展示に耐えうるポットスチルが中々見つからない中、何度もティムに付き合って貰っていた。その間、彼は一度も嫌な顔をせず、根気よく二人の相談に乗ってくれたのだ。二人はティムの温かい心遣いに、深く頭を下げた。

彼の背後には、年季の入ったレンガ造りの小さな醸造所がひっそりと佇んでいた。その建物からは、ほのかに麦芽の甘い香りが漂い、鼻孔をくすぐった。決して大きくはない醸造所だが、長い歴史の重みを感じさせる建物に、二人の期待感はいやが上にもかき立てられていく。


「ここは、王都の中でも指折りの歴史を誇る醸造所だったんだ。だけどな、残念なことに跡継ぎがいなくてな、去年の暮れに蔵を畳んじまった。俺もここの酒が好きでな、若いときからよく飲んでいたんだよ」


そう言ったティム声には、どこか寂しげな響きがあった。それは、かつてこの場所で生み出されたであろう、数々の銘酒への敬意のようにも聞こえた。

ティムが、醸造所の扉に手をかけると、ぐっと力を込めて押し開いていく。

しばらく放置されていた扉は、軋んだ音を立てながらゆっくりと内側へと開いていった。


「この先だ」


ティムはそう言って、薄暗い部屋の奥を指差した。

かつて事務所として使われていたというその空間は、がらんとしており、壁には予定表が残されたままになっていた。そしてその先に、もう一つ金属製の扉があった。表面には赤茶色の錆が点々と浮いていたが、見た目以上にしっかりした扉らしく、こちらは音を立てることなく静かに開いた。

その先の部屋は、板戸が閉められているため光がほとんど差し込まず、薄暗い闇に包まれていた。しかし、その中に広がる広大な空間の気配だけは、彼らの感覚に伝わってきた。


灯りよ(ベロイヒトゥング)


中に入った三人は、口々に照明の魔法を唱えた。彼らの指先から放たれた淡い光が、闇の中にふんわりと浮かび上がり周囲を照らした。


「おおっ!」


その瞬間、彼らの右手にくすんだ赤銅色のポットスチルが三基、ぼんやりと浮かび上がった。ざっと見たところ、三基とも表面はホコリを被り、ところどころに蜘蛛の巣が張られている。これまで見てきたポットスチルに比べるとやや小ぶりに見えるが、一年前まで現役で稼働していたというティムの言葉通り、状態はそれほど悪くなさそうに見えた。


「……」


無言のまま近づいたディアナは、そっとポットスチルの表面を撫でてみる。

さらさらと流れ落ちた細かいホコリが、魔法の光にキラキラと星が瞬くように反射した。ホコリをはらった箇所から、本体の銅の輝きが増す。それは「忘れるな」と自らの存在を主張しているかのように感じた。

ディアナは二、三歩後ずさり、今度は全体像を捉えようと顔を上げた。

彼女の視線は、ポットスチルの独特な形状、畏怖を感じさせるほどのその大きさ、そして長い年月が刻んだ深みのある色合いを追っていく。かなり年季が入り、使い込まれた痕跡が其処彼処(そこかしこ)に見受けられたが、ディアナがいつも「魔力濃縮」時にイメージしているものとピタリと重なっていた。


「どうだい? 随分と年季が入っていて、くたびれているのは確かだが、ディアナのお眼鏡に適うかい?」


ティムが期待を込めた声で、じっとポットスチルを見上げるディアナに問いかけた。振り返ったディアナは、確認するようにクラリッサに視線を向けると彼女が小さく頷く。彼女のその合図に、ディアナはティムに向き直ると大きく頷いた。


「ん。これにする」


ディアナはそう言って、花が咲いたような笑顔を見せた。

さすがに展示に使うだけのポットスチルに、これほど多くの時間がかかるとは思っていなかったのだろう。彼女のその顔を見たティムは、安堵したように大きく息を吐いた。

クラリッサも心からホッとした表情を浮かべた。二人の細かな注文にも、すぐに応えてくれたティムに、クラリッサは尊敬の眼差しを向けていた。


「これで思っていたような研究発表になりますわ。本当に、お手数をお掛けいたしました。ほら、ディアナさんも」


「あ、ありがと」


クラリッサに促されたディアナが、照れくさそうにしながらちょこんと頭を下げる。

ディアナもクラリッサも実際に現物を見るまでは、ポットスチルにこれほどの種類があるとは思ってもいなかった。

種類といったが、基本的な構造はどれも違いはない。ただ、ポットスチルと一括りにしても、ポット下部から上部の瘤のような「かぶと」や「逆流ボール」と呼ばれる部分から、アームへとつながるヘッドの長さなど、どれひとつとして同じ仕様のものがなかった。同じ醸造所でも、目指す酒の味によって、ポット上部の形がまったく違っていることも珍しくないのだという。

目の前にあるポットスチルは、いつかディアナが見せてくれた本に記されていた絵に酷似していた。その絵をもとに、ディアナはイメージを膨らませ「魔力濃縮」を成功させた。それがあるためか、その絵に似たこのポットスチルを見上げたディアナも、満足そうな笑顔を浮かべていた。


「いいってことよ」


少女二人から感謝されたティムは、そう言って嬉しそうに笑った。

ディアナとクラリッサが、早速移設の段取りを相談し始めたところ、そこにティムから遠慮がちな声がかかった。


「あ、その、代わりといっちゃ何だが、ひとつ頼みがあるんだ」


「何?」


少し言いにくそうにするティムに、ディアナが不思議そうに首をかしげる。クラリッサも尊敬の眼差しの中に、若干不信感を漂わせてティムを見ていた。


「……あんたらは、今でもホルストと親交があるだろ?」


ホルストとは、アルマが働いているビッテラウフ商会の代表だ。彼がまだ駆け出しの頃、一時期「月夜の雫亭」で修行をしていた。当時ティムの父が店主を務めていて、ティムとは兄弟弟子に当たる。二人は今でも親交があり、ディアナにアルバイト先として「月夜の雫亭」を紹介したのもホルストだった。


「あいつに会ったときに、俺が飲み歩いてるってことはあまり言わないでくれると助かる」


そう言ってティムが、照れくさそうに頭を掻いた。


「は!?」


言われた言葉の意味をすぐに理解できず固まってしまったディアナ。そして、何を言われるかと警戒していたクラリッサは、尊敬の眼差しから、残念な人を見るような視線へと、一瞬にして変わっていた。

ディアナは三基あったポットスチルのうち、一基を丸ごと購入することを決めると、クラリッサに紹介してもらった専門業者に、早速その移設の手配をおこなう。

分解から再設置に至るまでにかかる費用は、想像を絶するほどの高額であり、一緒にその金額を聞いていたクラリッサが思わず「折半にいたしましょうか?」と心配して申し出るほどだった。しかし、ディアナはそれをきっぱりと断り、費用全額をきっちりと負担するのだった。

ディアナは元々、お金を無駄遣いするタイプではなく、物への執着もほとんどなかった。そのため、彼女の部屋には必要最低限の物しかなかった。

ディアナがこれまで回復薬や素材を売った収入は、日々の生活費以外にほとんど手を付けておらず、加えて海賊討伐の報奨金なども積み重なっていたため、今の生活を続けていれば、もはや死蔵となるほどの潤沢な貯金があったのだ。

今回のポットスチル移設費用で、その貯金のほとんどを使うことになったが、彼女は躊躇しなかった。なぜなら、ディアナは騎士爵の称号を得ていたからだ。実質的には名誉職に過ぎず、具体的な職務はほとんどないものの、彼女には毎年一定の金額が国から支給されることになっていた。その金額は、一般的な平民からすれば目玉が飛び出るほどの破格なものだった。

何にせよ、これでようやくディアナの研究発表の目処が立ったのである。

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