ぷしゅう
初めての陽属性魔法の授業を終えた二年生達が、それぞれの胸に様々な感情を抱えながら、寮の談話室へと集まっていた。
陽属性魔法への適性があると判断され、晴れやかな笑顔を浮かべる者がいる。一方で適性がありながらも、自身の魔力量に不安を残す者もいる。そして、最も多くの割合を占めていたのは、適性がなく、どんよりと肩を落とし深く落ち込む生徒達だ。談話室のあちらこちらで、喜び、安堵、不安、失望、悲しみ、そして諦めといった、悲喜交々な声が交差していた。
そんな彼らに混じって、テーブルに突っ伏すディアナの姿があった。
彼女の周りには、教科書やノートが散乱していた。まるで、嵐に打ちのめされたかのような光景だ。
――ぷしゅうぅぅぅぅ……
皆から一足早く戻ってきていた彼女は、精も根も尽き果てたように、だらしなくテーブルに身体を預けていた。頭から煙が吹き出しているのを幻視したクラリッサが、心配そうにディアナに声をかけ肩を揺する。
「ちょっと、ディアナさん。大丈夫ですか?」
「……疲れた」
ディアナは首だけをクラリッサに向け、心底疲れたように掠れた声で呟いた。その声は、魂の奥底から絞り出されたかのような、生気のない響きだった。
「お疲れ」
ブルーノはそう言って、ディアナの傍らに飲み物の入ったグラスをそっと置いた。冷たい飲み物が入れられているようで、雫がグラスの表面を伝っている。
ちらりとグラスに目を向けたディアナが、のっそりと身体を起こす。
「ありがと」
短く礼を言ったディアナは、グラスに手を伸ばすと、ごくごくと喉に流し込んだ。
冷たい液体が疲労感を和らげてくれるように感じる。一気に飲み干したディアナは、空になったグラスをブルーノに差し出した。
「それで、アレクシス先生の個人授業はどうだったんだ?」
ブルーノがグラスを受け取りながら、満面の笑みで尋ねた。その視線はディアナにまっすぐ注がれている。
「そうですわ。あのアレクシス先生の授業ですもの。さぞかし素晴らしいものだったのでしょう?」
クラリッサも身を乗り出すようにして、ディアナの返答を待ちわびていた。その表情には、期待と好奇心が入り混じっている。二人の問いかけは、その場にいる全員の思いを代弁していた。
今や「生ける伝説」とまで称されるアレクシスからの個人授業だ。いったいどのような内容だったのか。あのディアナがここまで疲弊しているのだ。彼らならずとも、皆がディアナの回答に興味津々で、固唾を飲んで様子を伺っていた。
しかし、ディアナの口から出た言葉は、彼らの期待を裏切るものだった。
「ん? ただの天気の勉強」
期待に満ちた視線が集まる中、ディアナはあっけらかんと言い放った。その顔には若干申し訳なさが浮かんでいたが、それ以上に困惑が滲んでいるように見える。彼女の簡潔すぎる返答は、聞く者すべての想像をはるかに超えていた。
――ええっ!?
談話室に学生達の叫びがこだました。
あのアレクシスの授業だ。てっきり想像を絶するような凄い授業だったのだろうと、誰もが想像していたのだ。それが「ただの天気の勉強」をしてただけとは、とてもではないが納得できないし、ディアナの疲弊からは想像できなかった。
「ほ、本当にそれだけなんですの!?」
「ん。ほんとにそれだけ」
念を押すようなクラリッサの言葉にも、ディアナはきっぱりとそう言い切った。その言葉に、それまでディアナの説明に耳を傾けていた周囲の学生たちから、重苦しい落胆の空気が静かに談話室に広がっていく。「え~」という小さなため息があちこちで漏れ、期待が大きかった分、失望も大きかったことが見て取れた。
その様子に、ディアナはむしろ困惑していた。彼女はきょとんとした顔で周囲を見回し、なぜ皆ががっかりしているのか理解できないといった表情を浮かべていた。
「天候を操るためには膨大な魔力が必要。そのため、天候のことを知っておけば、その分効率よく魔法を使うことができるんだって」
「なるほど。確かにそうかも知れませんわね」
ディアナの説明に、クラリッサは素直に頷いた。落胆はあったものの、ディアナの言葉には確かに理があった。
今日の合同授業では、陽属性魔法は多くの魔力が必要としか教わらなかった。何よりも今日は、魔法の適性の有無を調べることが目的だったのだ。これから陽属性魔法の授業が進めば、自分達もディアナのように天候に関する知識を教わっていくのかも知れない。
落胆した他の学生たちが三々五々、談話室から去っていく。彼らの後ろ姿を見送り、ディアナはようやく落ち着いた様子で、クラリッサとブルーノに顔を向けた。
「それで、二人はどうだったの?」
「わたくし、適性がありましたの! わたくしもディアナさんみたいに、雨を降らせることができたんですのよ!」
クラリッサは興奮を抑えきれない様子で、ディアナの手を両手で掴んだ。その瞳はキラキラと輝き、彼女の喜びが全身から溢れ出ていた。
「魔力量の伸びたクラリッサなら、より高度な陽属性魔法も使えるようになるだろう」と、ドミニクからお墨付きをいただいたのだという。
「おおっ、凄い、おめでと!」
ディアナは手放しでクラリッサの成功を喜んだ。心から祝福の言葉を贈る。
「ありがとう、存じます。これもリーフヒンメル様のご指導のお陰ですわ!」
クラリッサは、茶目っ気たっぷりにディアナを家名で呼んだ。その口調は、まるで貴族に対すような丁寧なものに変わっている。
彼女は、ディアナが騎士爵に叙爵され、リーフヒンメルの家名を賜ってから、時々こうやってディアナをからかうようになっていた。もちろん嫌味ではなく、あくまで冗談としてだ。
しかし、その度にディアナは機嫌を悪くしていた。今回も、途端に嫌そうに口を尖らせ、拗ねたようにプイと横を向いた。
「ちょっとクレア、それはやめてって言った!」
ディアナとしても、クラリッサが冗談で言っているのは分かっていた。だが、態度や口調まで変わってしまうと、二人の間に壁ができたような、これまでの親密な距離感が変わってしまったように感じてしまい、それが不安でたまらないのだ。
「うふふ、ごめんなさい。でもディアナさんのお陰なのは変わりありませんわ」
クラリッサは、ディアナの拗ねた様子を見て、可愛らしく笑った。そして、改めて感謝の言葉を述べた。
「それで、ブルーノは?」
黙ったままのブルーノに、躊躇いがちに声をかける。
これまでの経験上、適性があれば真っ先に報告しているだろう。それがないということは、ダメだったに違いない。
「俺は、……ダメだった」
やはりディアナの予想通り、ブルーノは陽属性への適性はなかったようで、彼は無理やり笑顔を浮かべていた。その笑顔は彼らしくない、泣き笑いのような切ない笑顔だった。
「そうなんだ……」
授業が始まる前は自信満々だったブルーノだ。ディアナにしても彼の魔力量があれば、問題なく適性があるだろうと考えていた。それだけに本人の落胆具合は、見ていて痛々しかった。
「わたくしも意外でしたわ。ブルーノほどの魔力量があれば、問題なく陽属性魔法を使えると思っていましたもの」
ブルーノの魔力量は、クラリッサを凌いでいる。アルケミアの学生の中でも、ディアナに次いで多いくらいだ。そのブルーノが陽属性魔法の適性がないとは、本人はともかく、ドミニクやカサンドラですらショックを受けた様子だったのだという。
「それで、アレクシス先生の授業は今後も続くのですか?」
その声には、重苦しい空気を払拭しようとする意図が込められていた。ディアナは、その気遣いを敏感に感じ取ったのだろう、ホッとしたようにクラリッサに向き直った。
「アレクシス先生の都合もあるけど、基本的にはそうなるみたい」
王宮魔法師を兼任する忙しいアレクシスだ。そのため、彼女の授業が不定期になることは織り込み済みだった。アレクシスが不在のときは、通常の陽属性の授業を受けることになるが、アレクシスの都合が付けば、基本的には彼から教わることになると聞いていた。
「すげぇな。ディアナは卒業したら、もう王宮魔法師確定じゃねぇか!?」
ブルーノが興奮気味に声を上げた。彼の声は、ディアナへの純粋な賞賛と、多少の羨望が入り混じっていた。
陽属性魔法を自在に使える魔法士は、王宮魔法師の中でも希少な存在だと言われている。その中でも、アレクシスという高名な王宮魔法師から個人授業を受けているディアナは、将来の王宮魔法師だとブルーノは断じたのだ。その言葉にクラリッサも、笑顔で頷いている。彼女もまた、ディアナの才能と努力を間近で見てきたからこそ、ブルーノの言葉に異論はなかった。
ブルーノの何気ないひと言だったが、なぜか何となく引っ掛かりを感じるディアナだった。その言葉は、彼女の心にさざ波を立てた。
王宮魔法師になることは、彼女の夢でもあった。しかし、今のディアナの心には、漠然とした不安のようなものがよぎっていた。その引っ掛かりの正体が何なのか、彼女にはまだ分からなかった。




