陽属性の授業始まる
『いいですか、皆さん』
競技場に集められた二年生を前に、年配の女性講師のカトリナが、拡声の魔法具で語りかける。その声は、競技場の隅々にまでクリアに響き渡り、生徒たちのざわめきを静かに飲み込んでいった。
長かった休暇も終わり、後期授業が始まっていた。
彼女は陽属性の講師の一人だ。もう引退していてもおかしくない年齢だが、背筋は真っ直ぐ伸び、足取りも軽やかで、その矍鑠とした姿は、若い生徒たちに引けを取らないほど若々しかった。
『これから「陽属性」の授業を始めていきます。陽属性は皆さんが前期で学んだ「木属性」や「金属性」と同じく、上位属性の魔法となります。しかし、これまでに習った属性以上に、適性が極めて重要となります。また、消費する魔力量も、先の二属性とは比較にならないほど膨大です』
カトリナの言葉に、教室内には静寂が訪れ、どこからか「ゴクリ」と息を飲み込む音が響いた。前期の「木属性」と「金属性」の授業でも、その消費する魔力量の多さに、悲鳴を上げる学生が多くいた。そして今、「陽属性」の魔力消費量がそれ以上と告げられ、自身の魔力量に不安の残る学生達が一斉に青ざめたのだ。
観客席が完全に静まるのを待って、カトリナが静かに続ける。
『そのため、『陽属性』は、たとえ高い適性があったとしても、魔力消費に見合うだけの魔力量がなければ、使いたくても使うことができないという魔法士も少なくありません。下手に使えば、魔力枯渇に陥り、最悪の場合、生命の危機に瀕することになります』
彼女の言葉は、生徒たちの心に重く響いた。
村一番の魔力量を誇っていたヘイディでさえ、降雨魔法を一時間も使えば魔力枯渇によって動けなくなっていた。たとえどれほど適性を持っていても、魔力量に不安があれば使いこなすことは不可能だ。「陽属性」とは、まさに諸刃の剣のような属性なのである。
『本日の授業では、皆さんの陽属性への適性をひとりひとり確認していきます。そのため、今日は本学院の卒業生であり、現役の王宮魔法師でもあるドミニク様に助っ人としてきていただきました』
カトリナは、そう言って傍に控える灰色のローブの男を紹介した。
茶色い長髪を靡かせた、一見すると魔法師には見えないワイルドな風貌の男が、二、三歩進み出て両手を挙げる。
「す、すげぇ! 現役の王宮魔法師様だ!」
「ドミニク様って、去年ディアナがアングリフで記録を塗り替えるまで最高記録だった人じゃん!」
どこからか聞こえてきたその言葉に、周りの生徒たちがどよめく。ドミニクという名前に、多くの生徒が驚きと尊敬の念を抱いているようだった。
「俺、王宮魔法師様って初めて見たかも!?」
「ばっか。アレクシス先生も王宮魔法師様じゃねぇか!」
突然の王宮魔法師の登場に、興奮したような学生達の声が響いた。「静かに」とカトリナが、拡声の魔法具で必死に呼びかけるが、ざわめきは観客席全体に広がり、中々収まらなかった。
「アレクシス先生って、いつもフード被ってるから何となく話しかけにくいんだよな。その点ドミニク様は気さくそうじゃん!」
観客席のすぐ後ろから聞こえてきたその言葉に、クラリッサは思わず小首をかしげた。
「アレクシス先生は、確かに近寄りがたい雰囲気はありますけれど、こちらから話しかけると気さくに答えてくれますし、何よりディアナさんと話す姿は、まるで孫とお喋りを楽しむ祖父のようでほのぼのしてますわ」
何度かアレクシスの部屋へ同席したことのあるクラリッサは、優しい眼差しでディアナに語りかける彼の姿を見ていた。彼がディアナと話す時の雰囲気は、まるで温かい祖父のような表情を見せるのだ。そのため、クラリッサ自身はアレクシスに近寄りがたい雰囲気を感じたことはなかった。しかし、それはほとんど会話を交わしたことのない者にとっては違うようだ。彼女の言葉を聞いたブルーノが、納得したように頷いた。
「確かにそうかも知れませんが、それはディアナと親しいクラリッサ様だからかも知れません。わたしは今でも緊張しますし、他の生徒にとってもおそらくそうなのでしょう」
それほどアレクシスと会話したことのないブルーノは、今でも緊張が先に立つようで、周りの学生と同意見だった。アレクシスの持つ威厳は、やはり簡単に打ち消すことができるものではないらしい。クラリッサは彼の意見に「そういうものかしら」と首をかしげながらも、納得するのだった。
「そう言えば、アルマさんをスカウトしたのが、たしか、ドミニク様だったのではなかったかしら?」
「本当ですか!?」
ブルーノは思わず声を上げ、大きく目を見開いた。
「ええ、アルマさんから伺ったので確かですわ」
クラリッサはにこやかに頷いた。その言葉は、ブルーノの心に確かな重みをもって響いた。
ブルーノは、ディアナがアレクシスに、そしてアルマがドミニクに声をかけられたという事実を改めて認識した。アルマは、アルケミアへの推薦を勝ち取れるほどの実力者だ。そしてディアナは、その実力は言わずもがな、誰もが認める存在である。
今や知名度でも実力でも、アレクシスに次ぐと言われるドミニク。そんな彼がアルマをスカウトしたという事実は、ブルーノにとって大きな衝撃だった。ドミニクのような人物に認められるというのは、どれほど光栄なことだろうか。ブルーノは嫉妬と羨望の入り交じった眼差しを、競技場に立つドミニクに向けるのだった。
そのドミニクが、カトリナから拡声の魔法具を受け取り、競技場の中央に立つ。周りにはカトリナの他、数名の講師も一緒に立っている。
競技場内にドミニクの張りのある声が響く。
『陽属性は基本属性四つ、すなわち水、風、土、火のすべてが合わさったような魔法だ。そのため、一見して使えてるように見えても、実際はただの水属性の魔法だったり、あるいは風属性の魔法だったりして、陽属性であることを見分けるのが非常に難しいんだ』
クラリッサはその言葉を聞いて、ふと過去の出来事を思い出した。
かつてサギの魔鳥を討伐した際、ディアナが使っていた魔法がそれだった。彼女が魔鳥を地面に叩き落とすために使ったのは、陽属性の気流を操作する魔法だった。当時、それは強力な風魔法に見え、実際に周囲にいた多くの者は風魔法だと誤認していた。クラリッサ自身もしばらくの間、そう思い込んでいたほどだ。そう考えると知識がなければ、陽属性は非常にわかりにくいのかも知れない。
ドミニクは、一度区切りをつけ、これから始まる実技について説明を始めた。
『これからキミ達は、五名ずつ下に降りてきてもらい、基本となる降雨魔法を行使してもらう。それを見て俺達が、その魔法が陽属性かどうかを判定する。もちろん安全は最優先だ。危ないと思えば躊躇なく止めるから安心してくれ』
ドミニクはそう言うと、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。
ドミニクの言葉に続き、最初の五人が前に進み出た。彼らは講師陣の前に立ち、それぞれが集中して詠唱を始める。
「天つ御恵よ 生命の源よ ひび割れた大地を癒し乾ける大地を潤せ 雨よ!」
競技場には、各々の詠唱が響き渡っていた。
やがて、クラリッサの番が来る。彼女は大きく息を吸い込み、集中して魔力を練り上げると、ゆっくりと詠唱を始めた。
「雨よ!」
魔法を唱えると、彼女の頭上に黒雲が湧き、そこから激しい雨粒が降り注いだ。
「できましたわ!」
クラリッサが、満面の笑みで叫んだ。
それを見たドミニクも大きく頷いてみせた。
「うん。確かに降雨魔法だ!」
クラリッサは陽属性に適性があったようで、見事にドミニクの前で雨を降らせることに成功したのだった。
一方で、ブルーノは苦戦していた。
「くっ、雨よ!」
彼は何度も詠唱を繰り返すが、彼の頭上には何の変化も現れない。魔力は練られているはずなのに、雲すら呼ぶことができなかった。陽属性への適性がないことを、彼はこの場で痛感させられていた。焦りと落胆が彼の表情に浮かび、その姿はクラリッサの成功とは対照的だった。
競技場内には、成功の歓声と苦悶の声が入り混じっていた。
喜び溢れる声や悲観に暮れる声が響く競技場だったが、この中にディアナの姿はなかった。
休暇中に海賊討伐をおこなったこと、またその際に雷雲を呼んだということが知れ渡っていたため、ディアナはこの授業に参加する必要がなかったのだ。そのため彼女は、アレクシスとの個人授業に臨んでいた。
場所はアレクシスの部屋。初めて彼女がこの部屋を訪れた際、数多の魔法具が所狭しと並べられていた場所だ。多くの魔法具は片付けられていたが、部屋の端には見たことのない魔法具が、まだ山積みとなっていた。その雑然とした部屋の中央に置かれた小さなテーブルを挟んで、二人は向かい合って腰を下ろしていた。
「陽属性の魔法は、天候を操るものがほとんどじゃ」
アレクシスは、静かに続ける。
「じゃから、陽属性の魔法を効率よく使いこなしたいと思うのであれば、まず天候に関する深い知識を持っておくことが肝要じゃ。いいかの、空はいつも同じに見えるかも知れんが、実はそうではないんじゃよ」
彼は、空の複雑なメカニズムについて丁寧に説き始めた。
空には温かい空気の層と冷たい空気の層が存在し、これらが絶えず入れ替わりながら循環している。この動きによって、あらゆる天候現象を引き起こすのだ。
アレクシスは、この空気の層の仕組みと循環の法則を理解することが、天候魔法をより強力に、そして効率的に発動するための鍵であると強調した。
例えば、上昇気流が起こる場所に温かい空気が集まりやすいこと、あるいは冷たい空気が下降することで高気圧が形成されることなど、具体的な気象現象のメカニズムを魔法の視点から解説していく。彼の教えは、単なる知識の伝達に留まらず、魔法を自然の摂理と結びつけて理解することの重要性を説くものだった。
ディアナは、彼の言葉を興味深そうに耳を傾け、今まで見過ごしていた空の奥深さを知るのだった。
「そういえば、其方は降雨魔法をヘイディから教わったと言っておったの?」
アレクシスの言葉に、ディアナは初めてヘイディと一緒に雨を降らせた時のことを思い出していた。
「はい。五歳のときにお母さんから教わりました」
それはまだ幼い頃の記憶だった。魔力は人一倍持っていると褒められていたものの、うまく制御できず、毎日必死で魔力循環の訓練を続けていた頃のことだ。
『多分お母さんは、そんなあたしを見かねて声をかけてくれたんだと思う。あのときは、お母さんと一緒に初めて魔法で雨を降らせたことが嬉しくて、はしゃいでいたっけ』
ディアナはヘイディの詠唱に続いて、たどたどしくも真剣な声で詠唱を繰り返していた。
詠唱に従って、身体の中から杖へと流れていった魔力が、杖の先から空へと勢いよく昇っていく。その魔力が雲を呼び、やがて静かに雨が降り始めた。初めての魔法で雨が降る光景に、幼いディアナは目を丸くして空を不思議な気持ちで眺めていた。身体からは杖を通してずっと魔力が流れ続けていたが、まったく不快感はなかった。むしろ、心地よい一体感があった。
雨は村の水源を優しく潤した。その光景を見て、ヘイディはもちろん、アランや村の皆が、心からの笑顔を見せた。初めて使った魔法で、大切な人たちを笑顔にできたことが、何よりも嬉しかった。その日の雨は、ディアナにとって忘れられない、特別な思い出となった。
「実はの、あの魔法はただの天候魔法ではなく、ヘイディのオリジナルの魔法なんじゃよ」
「お母さんの、オリジナル……!?」
アレクシスから告げられた真実に、ディアナは驚きのあまり目を丸くした。
当時、幼いディアナは疑問に思うこともなくただ雨を降らせていたし、今まで普通の降雨魔法だと思い込んでいた。
「『干天の慈雨』は、荒れ果ててひび割れた土地を癒やしたり、死者が安らかに黄泉の国に旅立てるよう弔うための魔法で、其方らが使っていたものとは詠唱もほんの少し違うんじゃ。本来、水源への給水に使う魔法は『雨よ』といっての。もっと雨の降り方が激しいんじゃよ」
「癒やし……。だからあんなに優しい雨なんだ」
水源へ給水する魔法にしては、降り方が静かだとは思っていた。もう少し激しく降れば、降らせる時間も短くなるのではと考えたこともある。しかし、アレクシスの言葉を聞いて、ディアナは納得したように呟いた。
「優しい雨とな?」
「はい。お母さんが教えてくれた降雨魔法は、とっても優しくて、温かく心を慰めるような、静かな雨でした」
ヘイディの降らせる雨は、まるで優しく抱きしめられながらゆりかごに揺られているかのような、とても落ち着いた気持ちになるような雨だったのだ。
「なるほどのう。どうしてヘイディがそういう魔法を使っていたのかは、今となっては謎のままじゃ。しかし、あの子はとても優しい子じゃった。攻撃魔法が使えなかったのも、その優しさが影響しておったのかも知れん。本来の降雨魔法ではなく『干天の慈雨』を使っていたのも、あの子なりの優しさの表れかも知れんの」
アレクシスはそう言うと、在りし日のヘイディを思い出すかのように、静かに目を閉じるのだった。




