自爆、そして
ディアナは、多くの参列者から叙爵のお祝いと、一等級探索士への昇格の祝福の言葉に包まれていた。
「あ、ありがと、存じます」
慣れない賞賛の嵐に、ディアナは終始照れくさそうにしながら、ぎこちない返事を繰り返す。頬は薄紅色に染まり、視線は所在なく宙を彷徨う。
これまでも、ディアナはその特異な才能と功績によって、多くの注目を集めてきた。それによって人と会う機会も格段に増え、以前に比べれば人見知りも随分と解消されてきてはいた。しかし、今回のような改まった場、しかも多くの貴族が参列するような場所となると、やはり表情は固く、全身から緊張感が漂っているのが見て取れた。おそらく今後どれだけ経験を積もうとも、ディアナがこういった場に慣れることはないだろう。
「ディアナ、あらためてこの度の叙爵、本当におめでとう。また、一等級探索士への昇格、心よりお祝いするよ」
ファビアンが優雅な微笑みを浮かべながら近づき、そう声をかけた。いつものような気さくな態度だが、公式の場のためかどこか余所余所しい挨拶に感じる。ディアナは、ファビアンのいつもと違う距離感に戸惑いながらも深く頭を下げ、若干震える声で感謝の言葉を述べた。
「も、もったいないお言葉、お、恐れ入ります」
緊張するディアナを見たファビアンは、悪戯が成功した子供のような顔を浮かべる。そして、いつもの笑顔でディアナの肩をポンと軽く叩くと、手をひらひらと振りながら兵団の仲間達のところへ戻って行った。
「もう、お兄様ったら、悪戯が過ぎますわ!」
ただでさえ緊張の極みにいるディアナをからかって楽しむファビアンに、クラリッサは憤慨したように頬を膨らませた。
「やあ、楽しめているかい?」
その声に、ディアナはびくりと肩を震わせた。
振り返ると、ベルンハルトがアルフォンスとジークムントを伴い、にこやかに話しかけていた。もちろん、彼らの妻であるイリーナとギーゼラの姿もその傍らに見える。
ディアナは、ぎこちない笑みを浮かべた。
「はい。いえ、正直もう逃げ出したいです」
そう言って自嘲気味に呟くディアナの言葉に、一瞬アルフォンスがビクリと震えた。
すると、その場にいた者たちの間に、凍り付くような空気が流れる。
ベルンハルトやクラリッサが一瞬にして顔色を変え、バルナバスとアウレールの二人の顔にも緊張が浮かぶ。しかし、ジークムントが怪訝な顔を浮かべる中、アルフォンスは何とか耐えることができたようで、その後は何事もなかったかのように談笑をおこなっていた。
ディアナは彼の顔から妖しい光が消え、いつもの表情に戻ったことに密かに安堵していた。
「イリーナがエスコートして入場したから、おそらく大丈夫だと思う。それでも他の貴族が何か言ってくるようなら、すぐにわたし達に言うんだよ」
ベルンハルトの言葉は、まるで子供に言い聞かせるかのように優しかった。彼の隣で、イリーナもまた、慈愛に満ちた眼差しでディアナを見つめていた。
「はい、あの、でも、ご迷惑ではありませんか?」
ディアナは恐縮した様子で、ベルンハルトとイリーナを交互に見つめる。
王族のアルフォンスの臨席の下、入場時にイリーナがディアナをエスコートした。それは、この夜会でディアナが辺境伯家の庇護下にあることを知らしめる、非常に強力な意思表示だった。王都でおこなわれる叙爵式に比べれば規模は小さいとはいえ、この出来事が持つ意味は大きい。辺境伯家の強大な影響力を考えれば、無益な摩擦を避けようとする貴族たちは、迂闊にディアナに手出しできないはずだった。
「何を言うんだい。わたし達はディアナさんを本当の娘のように思っているんだよ。むしろ迷惑をかけてくれる方が嬉しいんだ」
ベルンハルトは憤慨したように言い、隣のイリーナも深く頷いている。
その様子を、ジークムントは大きく目を見開いて見ていた。
ディアナが辺境伯家の庇護下にあることを知らなかったとはいえ、ブライトナーでの晩餐会では平民として扱った。いや、事前にブルーノがそのことを告げていたが彼の言葉を無視し、アルフォンスやクラリッサとは大きく扱いを変えてしまった。今のところ、ベルンハルトがこのことについて何も言ってきてなかったが、このまま沙汰なしですむと考えるほど、ジークムントは楽観できず、胸中に冷たい汗が伝うのを感じていた。
「ディアナさん、騎士爵になったからには貴族との社交も必要になってくる。面倒かも知れないが、少しわたし達に付き合って貰うよ」
「分かりました。それでは皆様、後程また談笑しましょう」
『面倒くさい』という本心を押し殺し、ディアナはにこやかに微笑んだ。その顔には一切の不満は見られない。完璧な貴族の令嬢のような微笑みを湛え、ベルンハルトに伴われてクラリッサ達から離れていった。その優雅な後ろ姿は、もはやいつものディアナとは別人であった。
「あのディアナちゃんが、今やお貴族様だなんて信じられないわね」
「ほんとね。でもお貴族様って大変そうだわ。ディアナちゃん、ちゃんとできるのかしら?」
ディアナの後ろ姿を見送りながら、アルマとモニカが感慨深そうに呟いた。
「でも意外というか、凄く様になってるわよ。入場するとき、わたしはビックリしたもの。さすがに休みの間、クレアちゃんところに滞在してるだけあるわ」
マーヤが感心したように口を開いた。
入場時のディアナの堂々とした振る舞いは、多くの貴族たちの視線を集め、感嘆の声が上がっていたほどだ。
「ふふん。そうでしょう? ディアナさんは普段は面倒くさがってしませんけれど、すごく筋がいいのです。あの子が本気を出せば、あのオスヴィンが舌を巻くほど洗練された所作を見せますもの。ディアナさんはこのまま王族と謁見しても、そつなくこなせると思いますわ」
クラリッサは得意げに胸を張った。まるで自分のことのように嬉しそうに語るその姿は、お気に入りのおもちゃを自慢する子供のようだ。
実際、辺境伯家に滞在中のディアナは、ただクラリッサやイリーナの着せ替え人形になっているだけではなかった。時間を見付けてはクラリッサや、バトラーのオスヴィンから、貴族らしい所作や礼儀作法について熱心に教えを請うていたのだ。その上達速度は驚くべきもので、オスヴィンだけでなく、ベルンハルトやイリーナをも唸らせるほどだった。
辺境伯家という高い格式の家で、徹底した教育を受けたディアナは、今や所作だけなら普通に王族に謁見できるレベルにまで成長していた。
「さすが、やると決めたらとことんやるなんて、ディアナちゃんらしいわね」
アルマが感嘆したように呟いた。彼女の視線の先には、見知らぬ貴族の前で優雅にカーテシーをしているディアナの姿があった。
その表情は、少し前まで「面倒くさい」と嫌がっていたのが嘘のようだった。誰もが、目の前の若い騎士爵が、数年前まで辺境の村で暮らしていた娘だとは想像もできないだろう。
「はぁん、ギャップ萌えとは。何とも素晴らしいじゃないか!」
いつの間にか、隣に立っていたアルフォンスが、陶酔したような表情を浮かべていた。
その顔は、先ほどまでの王族としての威厳に満ちたものとはまるで違う。アルケミアで密かに魔力循環の練習をしている時に見せていた、人に見せてはいけないあの顔だった。
「で、殿下!?」
バルナバスとアウレールが、慌てたようにアルフォンスを広間の隅に引っ張っていく。同時に、クラリッサとブルーノが、アルマ達の視線を遮るような位置に素早く移動する。
「どうしたの?」
無邪気に首を傾げるアルマに、クラリッサは珍しくうろたえた様子で答えた。
「な、なんでもありませんわ!」
クラリッサは必死になって、アルマが自分の後ろを覗こうとする視線を遮った。
アルフォンスの突然の豹変に、アルマ達は不思議そうにしているものの、今のところ彼の隠された性癖に気づいた様子はなかった。
元々、王族であるアルフォンスと平民であるアルマ達では、アルケミアで接する機会の多いクラリッサ達と違って、接点など皆無なことが幸いしたのだろう。
しかし、このままでは彼の性癖が、白日の下に晒されてしまうことになる。できるだけアルフォンスとディアナの接触を避けなければならない。クラリッサとブルーノは、静かに頷きあうのだった。
「そ、それより、よかったではありませんか?」
クラリッサは、誤魔化すようにブルーノに向き直った。
「何がでしょうか?」
突然話を振られたブルーノは、当然ながら何事か理解できない様子で首をかしげている。
「準貴族とはいえ、ディアナさんも貴族の一員となりましたわ。これでブルーノの最大の障害が消えましてよ」
そう言ってクラリッサが、にっこりと微笑んだ。
ディアナが騎士爵に叙爵されたことで、ブルーノの懸案だった身分差がなくなったのだ。それは、二人を阻む大きな壁が取り払われたことを意味していた。
クラリッサのその言葉に、ブルーノではなくアルマ達が素早く反応した。彼女達の顔には、期待と好奇心が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
「ええっ、やっぱりブルーノってディアナちゃんのこと好きなんだ。今から告白するの!?」
アルマは、目を輝かせながらブルーノに詰め寄った。その声には、抑えきれない興奮が込められていた。
「ディアナちゃんに対する態度変わったなと思ってたんだけど、やっぱりそういうことだったんだ!?」
「ディアナちゃんに惚れちゃうなんて、これから大変よ?」
モニカがアルマに負けず劣らずの剣幕で問い詰め、マーヤも心配そうな顔をしながらも、どこか楽しそうに口にした。
彼女達は口々に言いながら、興味津々といった様子でブルーノに詰め寄った。ブルーノはクラリッサが喋ったのかと見るが、彼女は静かに首を横に振るだけだった。その表情は、どこか楽しげでもあった。
「そんなのブルーノを見てれば分かるわよ」
「そうね。割とすぐにわかったもの」
「うん。バレバレだった」
「マジか……」
三者三様に突っ込まれ、ブルーノは真っ赤になりながら顔を覆ったが、彼の耳まで真っ赤に染まっているのが見て取れた。
クラリッサが軽く溜息を吐きながら、呆れた声を上げた。
「おそらく、気付いてないのはディアナさんぐらいではないかしら?」
クラリッサの言葉に、アルマ達は一斉に頷いた。
「そうね。ディアナちゃんって人のことはすぐ気付くくせに、自分のことは鈍感よね?」
密かにホルストに思いを寄せていたことを、以前ディアナに気付かれたことがある。そのことを思い出し、アルマは苦笑いを浮かべた。
「ブルーノ、せっかくですので告白したらどうかしら?」
悪戯を思いついたような顔で、クラリッサが告白を勧めた。その声には、どこか期待と好奇の色が混じっている。アルマ達もそれに同調するように、興味津々な様子でブルーノを見つめていた。
いくらクラリッサの言葉でも、その場のノリのようなかたちで、自分の大切な気持ちを汚されたくなかった。それ以上に、これだけ多くの人の目が集まっている中で、告白するなどできるわけがない。
「ちょ、ちょっと気持ちの整理がまだ……」
ブルーノは顔を真っ赤にしながら、そう言ってじりじりと後ずさる。
心臓が早鐘のように鳴り響き、全身から脂汗が噴き出した。この状況でディアナに告白するなんて、考えただけでも気絶しそうだ。
ちらりとディアナに目をやると、間の悪いことにちょうどブルーノの両親であるジークムントやギーゼラと談笑していた。この場での告白もキツいが、両親の見てる前でとなれば正に拷問に等しい。もし失敗でもしたら、この後立ち直れる気がまったくしない。
「何怖じ気づいてるの? 男は度胸よ!」
「そうですわ。潔く当たって砕けてきなさい!」
アルマとクラリッサはそう言うと、ドンとブルーノの背中を押した。
二人の容赦ない後押しに、ブルーノは為す術もなくディアナの方へと押し出された。
「わっ!」
勢いよく飛び出したブルーノの目に、みるみるうちにディアナの姿が大きくなる。その突然の出来事に、両親が何事かと目を見開いて立ち尽くし、ディアナもまた、驚いた顔でブルーノを振り返った。
ブルーノは勢いを殺すことができないまま、あわよくばディアナを抱きとめられるかもしれないという淡い期待を抱いていた。彼は両手を広げて、真っ直ぐにディアナに迫る。
「えっ!?」
誰もが二人の衝突を予感したその瞬間。しかしブルーノの両手は空を切り、「ビタン!」という派手な音を立てて、彼は顔面から床に突っ込んでいた。
衝突の寸前、ディアナは風のように素早く身を翻し、ブルーノの突進をかわしたのだった。
床に顔を押し付け、情けない格好で倒れ込んだブルーノの背後には、呆然とした両親と、目を見開いたディアナの姿があった。
「ブルーノ、大丈夫?」
何が起こったか理解しきれていないディアナは、顔を赤くしてうつむくブルーノを心配そうに覗き込んだ。しかし、ブルーノはディアナの純粋な眼差しと、自らの行いの恥ずかしさから、彼女の顔をまともに見ることができない。
「くっ!」
結局ブルーノは、恥ずかしさに耐えきれず、顔を真っ赤にしたまま広間を飛び出していった。
クラリッサとアルマは、少し調子に乗りすぎたと、気まずそうに顔を見合わせている。
「ディアナちゃん、なんでブルーノの気持ちに気付かないのかしら?」
アルマは、先ほどのブルーノの反応を思い返し、彼に悪いことをしたと思いながらも、ディアナの鈍感さに不思議そうに首を傾げた。
恋する乙女の感情には敏感なのに、少年が抱く淡い恋心には全く気づかないディアナ。その純粋さが、時に残酷なまでに人を傷つけることもあるのだと、アルマは複雑な心境で考えていた。
その時、広間に響き渡る陶酔した声があった。
「さ、最高じゃないか!」
顔を上気させ、身をくねらせているのはアルフォンスだった。彼の瞳は恍惚に満ちており、まるで至福の瞬間を味わっているかのように見える。
「うーん、たまらない! 秘めた淡い恋心を、無垢な刃で切り裂いていく。その絶望と屈辱、最高のスパイスじゃないか! ブルーノ、キミが羨ましいよ。わたしもその胸に刻まれた痛みを、ぜひ味わってみたいものだ」
アルフォンスの言葉は、広間にいた全員の思考を一瞬停止させた。
「えっ!?」
沈黙の後、彼の発言の真意を理解しようと、誰もが唖然とした表情でアルフォンスを見つめる。
バルナバスとアウレールは慌てて彼の姿を隠そうと試みるが、時すでに遅し。アルフォンスの危険な性癖は、すでに衆目に晒されてしまっていた。
ベルンハルトやクラリッサは諦めたように首を振り、ディアナは怯えた様子で素早くベルンハルトの影に隠れていた。アルフォンスはそんな周囲の反応さえも、ゾクゾクしてくるようだった。
「はぁぁぁっん。ディアナ、何という目でわたしを見るんだい。それに、周りから不思議な生物を見るかのような、何ともいえない視線。うーん、たまんないねぇ!」
この日、バルナバスらが必死で隠してきたアルフォンスの性癖は、多くの人々の好奇の目に晒されることとなった。そして、広間には、困惑、呆れ、そして理解不能なものを見るような視線が渦巻いていた。アルフォンスはそんな視線さえも快感に変え、更なる陶酔の表情を浮かべるのだった。




