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遭難の魔法士

翌朝には快晴が広がっていた。風も穏やかで波も静かに打ち寄せていて、まるで昨日の嵐が嘘のようだった。しかし、船の惨状がその嵐が現実であったことをまざまざと物語っていた。

まず目を引くのは、フォアマストが根元から完全に折れ、船の周囲に見当たらないことだ。メインマストも帆桁や帆を完全に失っていて、ディアナが登った見張り台も手すりが完全に失われていて、曲がった帆柱が所在なさげに立っていた。柱には大きな亀裂が入っているため、交換しない限り再び帆を張ることは不可能だろう。さらに、船体も塗装が所々剥げ落ち、この船の象徴であった獅子の船首像も無残な姿を晒していた。


「これでよく助かったものだ……」


船長は憔悴しきった様子で、船の状態を確認しながら呟いた。

強引にでも着底していなければ、遅かれ早かれ船は転覆していただろう。座礁した際に船底に穴が開いて岩が突き破ってきたが、幸いにもそのおかげで船体が固定され、漂流を免れたと言える。

嵐に見舞われたのは不運だったが、こうして命拾いしたのは幸運だった。


「船長」


「坊ちゃん。船内の様子はどうでしたか?」


船外は船長や水夫が総出で被害状況を確認していたが、船内はアルフォンスらが避難している。そのため、粗野な振る舞いの目立つ水夫に確認させる訳にはいかず、ブルーノとエルマーに確認を依頼していたのだ。


「アルフォンス様とクラリッサ様はご無事です。ただアルフォンス様は船酔いの症状が出てますので、横になっておいでです。それ以外の乗客は、アルマ嬢とマーヤ嬢の二人も引き続き船酔いのため辛そうにしてます」


「船倉を確認してきました。浸水してはいますが、岩礁に乗り上げているため、とりあえずこれ以上浸水することはなさそうです」


客室はブルーノが、船の状況はエルマーが確認してきたらしく、それぞれが状況を説明した。


「ここはどの辺りか分かるか?」


「おそらくダウデルト領の外れにある無人島のどれかでしょう。ここからブライトナーへは半日ほどの距離だと思われます。ただし、完全にマストがいかれちまってます。おそらく応急修理するより、捜索隊に発見される方が可能性は高いですぜ」


「そうか……」


そう言ってブルーノは顎に手を当てて考え込んだ。

嵐の状況はブライトナーでも掴んでいるはずだ。アルフォンスやクラリッサが同乗している船が遭難したとなれば、今頃ジークムントは血相を変えて捜索隊を組織しているはずだろう。おそらく数日、遅くとも十日もあれば捜索隊が発見してくれるはずだ。


「問題は食糧だな?」


「へい」


これだけ魔法士がいれば、水はどうとでもなる。問題となるのは乗員、乗客合わせて四十名近くの食料だ。もともと半日程度のクルーズの予定だ。軽食程度しか積み込んでいなかったのだ。クルーによっては昨日から何も口にしていない者もいるはずだ。早急に確保しなければならないだろう。


「わかった。では船の修理と食料調達の二手に分かれよう」


「わかりやした」


その後船長と話し合った結果、基本的に乗員は船の修理、ブルーノを含む乗客は食料調達のため、島に上陸することが決まった。ただし、体調を崩しているアルフォンスとアルマ、マーヤの三名は、そのまま静養となった。もちろん、護衛の二人はアルフォンスの傍に残ることになる。


「じゃ、行ってくる」


「気を付けてね?」


「ん」


顔色の悪いアルマが精一杯の笑顔を浮かべて、ディアナ達を見送っていた。普段からいるだけで周りを明るくするアルマが、今は無理をして笑っている。ディアナ達はその痛々しい姿に、改めて気合いを入れるのだった。

食糧確保組は、ディアナ、クラリッサ、モニカ、ブルーノ、エルマーの五名だ。

彼らは甲板から目の前に聳える岸壁を見上げた。


「これを登るの!?」


モニカは気後れした様子を見せた。

岸壁は三十メートルほどの高さがあり、登るとすれば中々重労働を強いられそうだ。かといって左右を見渡しても崖が延々と続いており、崖を回り込むことも困難そうに見える。


「あたしとクレアで行く」


ディアナはそう言うと杖に跨がり、「風の翼(フリューゲルタンツ)!」と唱えた。隣に立つクラリッサも同じように呪文を唱えている。

二人は肩にロープの束を担ぐと、甲板を蹴って上昇していった。


「二人とも凄い! 空を飛べるんだ!?」


モニカが思わず華やいだ声を上げ、それに釣られるように周りで作業をおこなっていた水夫達もポカンと二人を見上げていた。


「アルケミアの学生は皆飛べるんだぜ!」


自慢気な顔を浮かべるブルーノに、モニカは期待の目を向けた。


「じゃあ、ブルーノも飛べるの!?」


「お、俺は、まだ……あの二人みたいに飛べないんだ」


モニカが期待に満ちた目を向けるが、ブルーノはそう言うとバツが悪そうにそっと視線を逸らすのだった。

彼らに見守られながら、二人は滑るように崖の上へと消え、しばらくするとロープが二本投げ下ろされた。その直後、ディアナがひとりだけ降りてきた。上ではクラリッサが見張りに残ってるらしく、彼女はロープを軽く引っ張って強度を確認するとブルーノを振り返る。


「じゃ、登って」


ブルーノは自分の頬を叩いて気合いを入れると、ロープを登り始めた。その傍らではエルマーもまた登攀(とうはん)を開始していた。


「ディアナちゃん、空飛べるなんて凄いじゃない!」


モニカは興奮しながらディアナに駆け寄った。


「ん。学校で習った」


「へぇ、凄いね。こんなのも習うんだ!」


「乗ってみる?」


「いいの!?」


思いがけないディアナの言葉に、モニカは喜色を浮かべた。


「上に行くだけなら。その代わり動かないでね?」


「わかったわ」


そう言うとディアナの後ろに跨がるのだった。


風の翼(フリューゲルタンツ)! いくよ、しっかり掴まっててね?」


ディアナはそう言って甲板を蹴る。すると二人の身体がふわりと浮かび上がった。

高度が上がって行くにつれて、ディアナの腰に回されたモニカの腕に力が入っていった。


「あっ、お前らずるいぞ!」


途中で汗をだらだら流しながら登るブルーノから文句が出たが、ディアナは涼しい顔でそれを華麗に無視した。


「着いたよ」


後ろのモニカに声をかけると、ヘナヘナと座り込んだ。

彼女には刺激が強すぎたのか、顔面が蒼白になっている。


「モニカさん、大丈夫ですか?」


「だだだ大丈夫よ。ちょっと、思ってたより怖かっただけだから」


心配そうにクラリッサが声をかけると、モニカは引きつった笑顔を浮かべて答えた。彼女にとって初めての飛行は、どうやら恐ろしい体験になってしまったようだった。

今では自由に飛び回ることができるディアナやクラリッサでさえ、最初は浮かび上がるのにも苦労していた。それを考えれば、二人乗りとはいえ一気に30メートルもの高さを飛翔した彼女の反応は、もっともだと言えるだろう。

そのちょうど十分後、ブルーノ達が息も絶え絶えの様子で崖を登ってきた。


「はぁはぁ、ひ、酷いじゃないか。二人乗りできるなら、必死で崖を登らなくてすんだじゃないか!?」


ブルーノは登るなり、ディアナに文句を言った。疲労困憊(ひろうこんぱい)のエルマーは口を開くこともできずに、大の字に寝転がって激しく胸を上下させている。


「仕方ないじゃない。わたくしは人を乗せて飛ぶなんて自信はありませんし、ディアナさんだってモニカさんだけなら行けそうだということでしたもの」


「ん。二人乗りは思ったよりも魔力を使う」


ディアナはもう少し魔力消費を抑えて飛べると思っていたが、上昇したためか単純に二人分以上の魔力を消費したと説明した。


「それにもし二人乗りができたとして、貴方達はわたくしやディアナさんの後ろに平気で乗ることができまして?」


クラリッサの言葉にブルーノは恥ずかしそうに俯き、エルマーもそっと視線を逸らした。

船上では多くの人々が、興味深そうに飛行の様子を眺めていた。恋人同士ならまだしも、婚約者でもない異性と密着して二人乗りするなど、貴族にとっては体面にかかわる行為だった。万が一にも噂が広まれば、長く失点として響くことになる。


「それより食料を探さないと」


貴族としての体面など、ディアナには一切関係ない。彼女はあっさりとその場の空気を切り捨てた。


「そうね。手分けして探しましょう」


およそ四十人分の食料を確保しなければならないのだ。

彼らが登った崖は少し開けた場所になっていたが、すぐに森が広がっている。ロープはそこの木にしっかりと括り付けられていた。

島の大きさは意外と大きく、森の先には幾重にも重なる山の稜線が、左右へと長く伸びていた。その山を縁取るようにごつごつとした断崖絶壁が続いていて、荒々しい波が打ち寄せる海岸線は、目に見える範囲には容易に上陸できる場所が一切見当たらなかった。


「とりあえず男女で二手に分かれよう」


「そうですわね」


そう言って森の中へと分け入ると、すぐに山菜が見つかった。

意外にも自生している植物の種類は豊富だ。これなら十日くらいなら凌ぐことはできそうだ。クラリッサはホッと安堵の息を吐いた。

食料調達は、探索士として活動していたディアナとクラリッサの独壇場となった。

ディアナが芋の蔓を見つければ、クラリッサが木の実を発見するなど、遭難中と思えないほど二人は久しぶりの採取を思う存分楽しんでいた。そんな二人の活躍もあって、一時間ほどの探索にも関わらず、意外と多くの食料が集まっていた。


「最終試験のときにも思ったが、お前、こういうときはとんでもなく頼りになるな!」


ブルーノが半ば呆れながらディアナを賞賛し、モニカもうんうんと頷いている。

最終試験では動けないブルーノやモニカの代わりに、食料調達や調理、索敵や見張り、おまけに怪我の治療など、まさに大車輪の活躍だった。ディアナがいなければ、ブルーノやモニカが今ここにいることは不可能だっただろう。


「ふふん。わたくしのディアナさんは凄いのですよ!」


なぜか嬉しそうなクラリッサが、得意気にディアナと腕を組むのだった。

周囲からは「また始まった」と呆れたような乾いた笑いが漏れる。

そうした状況の中、ディアナはこっそりと安堵の息を吐いていた。最近、彼女を巡ってクラリッサと衝突しがちだったアルマがこの場にいなかったことが、何よりも彼女をホッとさせていた。

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