人の痕跡を発見した件
遭難してから二日目の朝を迎えた。
この日も天気はよく、風も穏やかに頬を撫でていた。
「迷惑を掛けた分、しっかり働くわよ!」
ようやく船酔いの症状が癒えたアルマとマーヤの二人も、今日から食料調達のメンバーに加わっていた。しかし人数が増えたからといって、単純に喜ぶわけにはいかない事情が彼らにはあった。まずは目の前に聳える岸壁を登攀しなければ、食料調達どころの話ではないのだ。
「これを登るの!?」
崖を見上げたアルマは、絶望に打ちひしがれたような顔を浮かべている。一方のマーヤは、兵団で鍛えられているからか、やる気に満ちた表情だ。
昨日必死で登ったブルーノとエルマーの二人は、すでに諦念の様子で首を振っていた。
「そう言うと思ってこれを作った」
「何?」
ディアナはロープの束をアルマに差し出した。受け取ったアルマが広げてみると、網目状に編まれた小さなハンモックのようなものだった。
「これで引き上げる」
「んんっ?」
「ディアナさん、それでは伝わりませんわよ。ディアナさんとも相談したんですけれど、昨日ディアナさんが一人でモニカさんを崖の上に運んだように、二人乗りで何度も往復するのは負担が高いでしょう? ですので、わたくしとディアナさんの二人で一人ずつ運べるように考えたのです」
さすがに一人で何人もの人を運ぶことは、ディアナにとってあまりにも負担が大きいと考えられたため、二人は昨日戻ってきてから、使えそうな廃材を使ってハンモックを作ったのだった。
「じゃあ、今日からこの崖を登らなくていいのか!?」
これに真っ先に飛びついたのはブルーノだった。
彼とエルマーの二人は、昨日ロープを使って崖をよじ登っていた。三十メートルの高さはいざ登るとなれば非常に困難で、二人とも登攀直後はぐったりしていたくらいだ。そのため崖を登らなくていいかも知れないとなれば、食いつくのは無理もなかった。
だが、その希望はディアナの簡潔な言葉で打ち砕かれた。
「残念、あんた達は登って」
「何でだよ!?」
血相を変えるブルーノに、クラリッサの冷たい言葉が響く。
「いくらわたくし達でも、さすがに五名を崖の上まで運ぶのは無理ですわ」
消費魔力の大きい飛行魔法は本来一人用であり、二人乗りや今回提案したような運用は、いくら二人で分担したとしても使用者への負担が大きすぎるのだ。
「ブルーノは一応飛べるんだし、自分で飛べばいい」
「何ならブルーノも手伝っていただけるのでしたら、全員を運ぶことは可能ですわよ」
クラリッサの言葉に、ブルーノは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
ディアナが言うように、彼一人なら飛ぶことは可能だ。しかし上達したとはいえ、魔力制御にまだ不安があり、落下する危険があることから高度を上げるのは難しかった。
分担して運ぶ方法も、二人で魔力制御する量を揃えなければ、あっという間にバランスを崩してしまう。そのため、魔力制御に不安の残るブルーノを加えることは、現実的ではなかったのだ。
「ああもう、わかった。登ればいいんだろ!」
ブルーノはふてくされたように捨て台詞を残すと、エルマーと一緒に崖を登り始めた。
その後三人で話し合った結果、一番手はアルマが行くことになった。
早速ディアナとクラリッサの間に立ったアルマが、期待に満ちた表情で崖の上を眺めている。
「ではアルマさん、飛んでる間は怖くても暴れないでくださいね?」
「あたし達がバランス崩したら終わるから」
「ちょっと、直前にそんなこと言われたら怖いんだけど!」
アルマの期待を打ち砕くような二人の言葉に、彼女は急に顔を青ざめさせた。ちょっとした空中散歩くらいのつもりでいた彼女は、直前になっていきなり「動くな」と言われ、うろたえ始めた。
「じゃ、行く」
二人は同時に呪文を唱えた。
「ちょ、ちょっと。心の準備がまだだよ!」
アルマが慌てるのをよそにふわりと浮かび上がった三人は、彼女の「あれー」という悲鳴を後に残して、ゆっくりと上昇していくのだった。
ほどなく崖の上に到着したアルマは、腰が抜けたようにその場に座り込んでいた。
飛行時間はわずか十数秒だったが、初めて体験する浮遊感を楽しむよりも、直前に告げられた「動くと終わる」という恐怖で楽しむどころではなかった。それに、足が地に着かないことがこれほど頼りないことだと、これでもかと思い知ることになったのである。
「クレア、大丈夫?」
そんなアルマを尻目に、ディアナがクラリッサの様子を気遣っていた。
「ええ。ぶっつけ本番でしたけれど、思っていたよりも負担は少なかったですわ。これなら残りの二人も運べると思いますわ」
「ん。よかった」
笑顔を浮かべるクラリッサに、ディアナはホッとしたように眉尻を下げた。
昨日話し合った中でも、二人の方が負担も減るため、三人なら問題なく運べるという確信はあった。だが、魔力容量の問題もあるため、練習を繰り返すわけにもいかず、ぶっつけ本番で運用するしかなかったのだ。
昨日一人でモニカを運んだときよりは、ディアナの魔力消費量も随分と少なくなっていた。これならあと二人運んでも、この後の探索に支障を来すこともなさそうだ。
そんなことをぼんやりと考えていると、足元に座るアルマが顔を上げた。
「ちょっと二人とも! わたしへの気遣いはないの!?」
頬を膨らませて拗ねた様子の彼女に、ディアナは軽く息を吐く。
「あ、アルマ、お疲れ様」
「アルマさん。落ち着いたなら早くそこをどいてくださる? モニカさんとマーヤさんが着陸できませんわ」
二人はアルマをほとんど気遣うことなく、めんどくさそうに告げるのだった。
この日、人数が増えて七人での食料調達となったため、ディアナとクラリッサの二人は、空中から島の探索と食料の捜索をおこなうことになった。
「結構大きな島ですわね?」
座礁した島は思っていた以上に大きく、少し上昇した程度では全体を見渡すことはできなかった。
島の中央部には雪をいただくほど標高の高い山がそびえ、その広大な山裾には川が流れている。その川の水は崖から水煙を上げながら海へと注ぎ込んでいた。
こうして見る限り、これほど大きな島が、今まで入植者もなく無人島として放置されていた理由は定かではないが、周囲を断崖に囲まれており、容易に上陸できないことがその理由なのかも知れない。
そうやってクラリッサが思考を巡らせていると、先行していたディアナが前方から合図を送ってきた。
合図の先に目を向けると、木々が途切れて開けた広場があった。陽光にきらめく草花の中で、群れからはぐれた一頭のシカがのんびりと草を食んでいた。
ディアナは上空を旋回しながらゆっくりと近づいていく。やがて五メートルまで近づいたディアナは、右手をシカに向けると魔法を放った。
「水の飛刃!」
次の瞬間、薄く高速で回転する円盤状の水が、シカの首を寸分違わず切り落とした。おそらくシカは、何が起こったかすら気付かないままだったろう。シカは首から血を噴水のように吹き上げながら、ゆっくりと崩れ落ちた。
「これで今夜は肉が食える」
「飛行しながら魔法を使うことができるなんて、相変わらず規格外ですわね」
ディアナは嬉しそうに笑顔を浮かべるが、飛行するだけで精一杯のクラリッサは、飛行しながら同時に魔法を使うディアナに呆れたような声を上げた。
だがいくら飛行しながら魔法を使えるとはいえ、杖を使うことができないため威力の減衰が激しく、射程が著しく低下してしまう。近づかなければ仕留めることができないため、あまり実用的とはいえなかった。
その後、広場に降り立った二人は、ディアナが素早くシカの血抜きをおこなう中、クラリッサは辺りを警戒する。
「それにしても、どうしてここだけ木が生えてないのかしら?」
森が広がる中、ここだけ広場のように空間が広がっているのは、不自然に感じた。
クラリッサは、膝丈の下草を杖でかき分けてみた。
「!? ディアナさん?」
顔色を変えたクラリッサが、血抜きをおこなっていたディアナを思わず呼んでいた。
「これをご覧なさい」
「切り株?」
クラリッサが杖で伸び放題の下草をかき分けると、その間から朽ち果てた切り株が現れた。
『風の飛刃!』
二人は顔を見合わせると、背中合わせになって周囲に無数の風の刃を飛ばした。
風の刃は、二人の周囲に生えていた下草を刈り取っていった。すると、これまで下草に隠れていた切り株がいくつも姿を現した。切り株は、朽ちて原型を留めていないものから、比較的新しいものまで、様々なものが混在していた。少し草を払っただけでこれだけの切り株が現れたということは、この広場全体が木材を切り出した跡なのかも知れない。
「この辺りの島は、全て無人島だと聞いておりましたけれど、もしかしたら人が住んでいるのかも知れませんわね。ただ、そうだとすれば不法入植者でしょうけれど」
この海域を行き来している船長が、この辺りの島は無人島だと言っていたはずだ。しかし、人の痕跡が見つかったということは、ダウデルト子爵領ですら把握できていない不法入植者の可能性が高かった。
「どうする?」
「ひとまず船に戻りましょう。ここは一応子爵領ですもの、わたくしが勝手に動くわけにはまいりませんわ」
人の痕跡を発見したクラリッサは、探索を続けるかどうかを問うディアナに首を振ると、報告を優先することを決めるのだった。
ディアナとクラリッサが、二人でシカの獲物をぶら下げながら船に戻ると、ほとんどの船員が崖の上に登っていた。
思いがけない肉の登場に大歓声があがる中、二人はブルーノと船長を見付け、合流を果たした。
「どうして崖の上にいるのかしら?」
クラリッサが問うと、船の修理をおこなっていたところ、竜骨が負荷に耐えきれず折れてしまったのだという。
竜骨とは、船の船首から船尾までを貫いていて、人でいうところの背骨のようなものだ。これが損傷すると強度が著しく下がり、外洋航海などはもはや不可能となる。
その後、船底からの浸水が止まらなくなってしまったため、船長は遊覧船「海の探索者」を放棄するという苦渋の決断をし、全員を船から降ろしたのだそうだ。
周りを見渡せば、水夫に混じって焚き火に当たるアルフォンス達の姿もあった。かなり疲弊した表情に見えるのは、崖を登ったからだろう。
「それで、人の痕跡を発見したと言うのは本当ですか?」
「ええ。そこの一帯が人の手によって伐採されていましたわ。切り株の様子からおそらくですけど、古いものは十年以上経つのではないかしら?」
「遭難者が伐採したとは考えられませんか?」
「十年くらい前から継続して伐採されています。それに遭難者が伐採したにしては、多くの木を切り出しておりましてよ。それこそ開拓村でも造成したのではというくらいには」
クラリッサのその言葉に、ブルーノは息を飲んだ。
彼はそれほど領内の事業に精通している訳ではないが、少なくとも領の外れに位置するこの辺りの島を開発したという話は聞いたことがなかった。それは一緒に話を聞いていた船長も同じなのだろう。彼は顎に手をあてた思案顔で首を捻っている。
「これはクラリッサ様が仰るように不法入植者の線がありそうですね? 明日からは捜索に人を割きましょう」
「そうだな。クラリッサ様とディアナ嬢は、引き続き上空から島の捜索をお願いできますか?」
「食料調達はどうする?」
「なぁに、修理要員が余ってるんで、そいつらに食料を探させますよ。こっちは十人もいれば十分でしょう」
ディアナが食料を心配すると、船長は笑いながら食料調達を請け負うのだった。




