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弐拾話  見つけた(下)

 一休みして続きを読むことにする。そういや本の話が出てきてないな。華の一族とかの話とか無いかな?



 ◇


(※以下源三が読んだ視点)


 少禄だが知行を頂いた。しかも家康様の旗下で働くこととなった。これには康政(榊原)や忠勝(本多)に驚かれ、井伊には睨まれた。どうやら寵愛を奪うのではと思われたらしい。お笑いだ、こちらは生き延びるのに必死なだけ。何故か康政が宥めてくれた。同族かもと思ってくれたかららしい、有難かった。



 武田信玄が亡くなったと判った頃は何度も神君様について戦に従軍した。最も武功は全くない、帷幕の中で話し相手をしていただけだ。長篠での戦にも同道したが本陣に詰めていただけだった。ここで武田に痛撃を与え、多くの重臣たちを討ち取り、形勢を逆転していく。そしてついに。


「ふむ、高天神城の救援に武田は出てこぬか」


「はい、武田勝頼は織田殿と和睦することを諦めていませぬ。故に後詰めを出し渋っております」


「後詰めが来ねば城は持つまい、それどころか家臣たちの離反を招こう、武田は誤ったの」


「はい、御館の乱で、北条につかず上杉景勝に付いたのが過ちで御座いましょう」


「確かにの、盟約を反故にしてまでも景勝に付く理由は無いはず、謝礼に目が眩んだか?」


「景虎側が上杉を継げば関八州から越後まで北条の手が届く、それを嫌がったのかも知れませぬが」


「謙信公亡き後の上杉と組んでも足しにはなるまい、我らにとっては好機よな」


「では、織田様も?」


「武田の息の根を絶つ好機と思われたようだ、信忠様が先陣を務めるべく兵を集めておられる」


「では我らは駿河に」


「江尻の穴山も勝頼を見限ったからの」


 こうして、武田は事前の調略による家臣たちの離反とそれに動揺して裏切った者たちによりあっけなく滅び徳川は駿河を得、その他の領地は織田の家臣が封じられた。


「蔵人よ、織田殿に駿河拝領の御礼に行く事になった。其方は常々京に行くには細心の注意が必要と申しておったが」


「はい、御礼の為に上京するのであれば小勢で行くしかありませぬ、万一に備え帰り道を確保しておく必要が御座います」


「織田殿の天下は盤石という声もあるがの」


「未だ西国には足利将軍家を擁する毛利が居り四国も長宗我部と手切れになりつつあります。織田家中もその為に盤石とは行きますまい。弥三郎(本多正信)殿も危惧しておられました」


「弥三郎は一向一揆に加わり我が家を離れていた時に畿内に居ったからのその伝手で詳しいからの」


「某はいざという時に備え伊賀出身の服部殿に伊賀衆との繋ぎをつけてはいかがかと」


「成程、打つ手は打っておくか」

 

 こうして上京し織田信長公の饗応を受け、堺などを見物していた時に変が起こり明智光秀によって信長公らは討たれた。



 堺から上京中に其の報を受けた家康様は直ちに服部殿を伊賀に遣わした。伊賀には正体を隠した服部の手勢が控えており、既に誼を通じていた甲賀の多羅尾氏の庇護を受けて伊賀に入った家康様の一行を護衛しながら伊賀を通り伊勢から船で三河に帰還した。


「蔵人よ、其方の献策で死地を逃れたの、その功に報いて領地をやろう」


「有難き仰せですが今は一刻を争う事が御座います、信長公横死により旧武田領が混乱し北条や上杉が動きましょう、その備えが必要で御座います」


「確かにな、信長公の敵討ちはいかがする?」


「遠い京での事、羽柴や柴田に委ねるしか御座いませぬ。旧武田領が奪われれば徳川家の危機でございます」


「であるな、信忠殿も明智に討たれたがまだその弟君も居られる、織田家の事は織田家で方をつけてもらうか」


 甲斐に出兵した家康様は北条との争いの末に甲斐と南信濃を得て北条と和睦した。その後明智は羽柴後の豊臣秀吉に討たれ清州での織田家の今後の話で確執した柴田を秀吉が倒して織田家に代わり天下統一を引き継いだ。その過程で家康公は小牧で秀吉と戦となるが和睦して天下統一へ協力する事となり従わなかった北条を倒してその領国をそれまでの領地と入れ替えて関八州の主となられた。


「蔵人よ、其方はよう働いた。弥八郎(本多正信)らも要地を任せて城持ちになった。其方もその資格がある、どこを望むか?」


「某は殿に身一つで拾っていただき今日があります。代々の家臣もおらず領地持ちになればそちらの事に手を取られ殿のお傍で仕える事が出来なくなります。今後も天下は動きますゆえ某は殿のお傍に居りたくあります」


「まだ、天下は揺れると申すか、豊臣を名乗った秀吉が盤石では無いと?」


「某には判り申す、その時殿しか天下を収めること叶いませぬ」


「そうか、其方の志、儂もおろそかにすまい」


 こうして領地を持たぬ旗本としてお仕えする事となった。正直大名になっても煩わしいのでというのは殿に伝えては居ない。それにこれから行う事にはそんな些事にかまけてはおれんのだ。


 この頃から書物を集める事とした。切っ掛けはある近江商人と知り合いになったからだ。日野の出身だというその商人が嘗て近江を治めていた六角家が織田と戦い没落したため新たな販路を求めて遥々浜松まで来たので応対した。そこからの付き合いだ。畿内の産物を徳川領まで売りに来させ代わりにこちらの産物を持って売りに行く。徳川の御用商人は茶屋四郎次郎が居るがこちらは自分の手元に置きいざというところで動いてもらうことにしよう。その彼がある本を持ってきた。


「榊原様、実は昔大陸からの荷物にこの本が混ざっておりました。内容がよく分からずに京の公家の蔵に永く在ったのですがその蔵の中身を我が日野屋が買い上げたのです。ですが我々にも理解できず大陸の兵法に詳しい榊原様なら判るかと思いまして、お持ちしました」


 そう言っていつも便宜を図ってくれている御礼ですと金子と一緒に置いていった。大陸からの書物故読みにくかったが何とか読んだところ、これは三国時代の華佗の高弟の子孫の一人が書き記した書であると判った。どうやら彼らは華佗が曹操に弑された為権力者に仕えるのは危険と判断し野に隠れた。そして医術を磨き続けたとあった。その中の一人が王朝の後宮にひょんなことで潜り込み世継ぎを得るために研究した結果受胎術というものを編みだしたとある。内容は女性の月経周期と妊娠の関連性を調べて受胎日を特定するという研究だ。これは荻野という医師が後の世で発見した物と同じだ。この本の最後に「我が一族の事は最大の秘め事故漏らすべからず」とあるので荻野という医師が発見したことにして我が国の言葉に訳そう。


 それから日野屋には珍しい書物があれば取り寄せて欲しいとお願いした。もしかしたら華佗の末裔{華の一族}の遺したものがまた見つかるかもしれない。




 それから太閤までなった秀吉が亡くなった。半島へ征伐に言っている最中だ。正直大陸に攻め上るのは悪手であると思ったが殿が反対しても止めぬであろうし、むしろ関白になった秀次みたいに粛清されるかもしれないので殿には反対は控え目にするようにお願いした。


 そして太閤死去後、やはり関ケ原の戦が起こり東軍は勝利した。殿と関ケ原に一緒に行き寝返る小早川秀秋に合図として鉄砲の空撃ちを合図にするよう進言しただけであったが。



 そうして殿が大阪城西の丸に入った時に豊臣の書庫を漁った所又も面白い書を発見した。毒見役の一族である腕下かいなげという変わった姓の記した書物で毒についての書物だ。ただの毒の本と違うのは赤子や幼児がが食したら危ない物や明らかに食物アレルギーについても書いてあることだ。はっきりとは記していないがこの変わった姓の一族はもしかして{華の一族}ではないかと思ったのだ。確証はないが華という文字を使っていたら華佗とのつながりを疑われるために姓を変えたのではないか?人目をはばかり姓を変えるのはこの国でも結構あるからな。



 そうして居ると殿に呼び出される。


「書庫に入り浸っているようだが何か見つけたのか?」


「中々面白いものが見つかりました。写本を取りたく思いますが」


「その位は出来よう。其方を呼んだのは他でもない。三成に付いた大名たちの処遇じゃ。弥三郎達の意見を聞いたのでな其方にも聞こうと思ったのでな」


 道理でこの場に忠勝や康政に加えて弥三郎(本多正信)も居た訳か。弥三郎が口を開く。


「大方の大名たちは除封で済ますことにしたのだが毛利、島津、長宗我部の扱いについて意見が割れておってな。毛利は戦の前から黒田を通じて内通しておったのだが三成に総大将に祭り上げられた上に伊予や豊後等に兵を送っておる。内通はあくまで吉川侍従の考えであったようだ。なので吉川に弐か国与え毛利は除封にしようとなっておる。島津は戦場にて相見えて戦っておるが使者をよこして三成に謀られて戦をせざるを得なかったと申し開きしておる。島津は九州の果ての薩摩・大隅ゆえ討伐するのは面倒という声もある。宥免すべきではという意見が大きい。長宗我部は島津と同じ経過だが使者を送る前に実の兄を討ち果たして居るのが判った。どうやら自身が隠居させられて兄が当主にされるのが嫌だったらしいな」


「これらの家は大きい故完全に除封してしまうと主を失った浪人者が増えすぎるという意見もあるのだ。石田、小西、宇喜多等は既に除封が決まっておるし我が方に付いた者達の加増もあるがそれでもな」


忠勝が言い、康政が頷く。井伊が居ないのが気になったが関ケ原の負傷が悪化して養生しているそうだ。


「では、毛利は安芸と備後のみとすればいかがか、領地は大幅に減るが父祖の地は残る。輝元は責を負い隠居。次の当主は廃嫡された秀元にすればよろしいのではないかと。ただし、最初は毛利は取りつぶし吉川に出雲、石見を与えると申せば吉川は必ず自分は辞退して毛利を守ろうとするはず、そこで特別な計らいとして切り出せば恨まれることはないでしょう」


「毛利が我らを恨むか?」


「殿、逆恨みということも御座います。大阪城に籠城せず退去したのにと思っておりますからな。一度落として父祖の地を殿の特別な計らいで遺すとすれば文句は言いますまい」


「成程な」


「島津ですが、宥免しては将来に禍根を遺しましょう、国替えは最低限行いませんと。最も国元に多くの兵を擁しておりますから思案のしどころですが」


「長宗我部は粗忽としか言いようがありませんな、除封は止む無しかと」


「但し、島津の国替えを引き出し、従わぬなら討手に加わるならば国替えで許すとすれば如何か?」


「な!なんと悪辣な」


「殿に、徳川家に恨みを向けさせぬ手です。吉川にも同じことを持ちかけても良いですな」


「恐ろしいことを考える物よ」


「誉め言葉と受けておきましょう弥八郎殿」


 こうしてその策が実行される。当然拒否した島津に対し毛利、長宗我部と加藤、黒田、鍋島らが加わり鎮定の戦が始まった。黒田官兵衛の調略により家臣団の離反が起きた島津は降伏。島津義弘が腹を切り島津は土佐一国へ転封、薩摩は坊津周辺を徳川が抑え後の地は小さな大名が転封されてきた。長宗我部は大隅一国を賜り、毛利は安芸と備後に毛利秀元が当主として返り咲き吉川広家が豊後の中に領地を貰って独立した大名に任じられる。一見すると毛利には甘い裁定に見えるがむしろ安芸と備後の方が毛利にとって大変だろう。元々安芸の一領主でしかなかった毛利には同じ安芸出身の領主を家臣に組み込んでいて彼らは元々同格であったことから毛利の命が届きにくい、本当は安芸から追われた事で地盤を失い主家に従順になっていったのだ。では安芸のままであれば?この先どうなるかは判らないが少なくとも彼らの力は削がれたしお互いに恨みを持つようになるはず。



 気が付くと日が暮れていた。後半はとんでもない内容だった。確かに島津、毛利、長宗我部は俺の前世とは違っている。変だなとは思っていたが初代が献策していたとは。神君の軍師と言われた本多正信も恐れるような策を巡らしていたとは。そりゃ本多正純が目の敵にするはずだし粛清を恐れて加増を受けなかったんだな。本人はめんどくさいと言ってるけど。最後の辺りが衝撃的だったけど華の一族が荻野式も腕下一族を生み出していたのは驚きだ。この本はここで終わってるけどどうも初代がここまで書いて体調を崩してそのまま亡くなったと最後に二代目と思われる違う筆跡で書いてあった。


 なんというか、もう疲れたよ。



現在感想返し等は出来かねますのでご容赦ください。



この作品に登場する人物は全て創作によるものですので、現実の歴史、史実について関係はございません。




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