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傘人  作者: 野生
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(2)

 明治維新が発足して数年。今だ江戸時代の名残が強い江戸の町だが、その中には多数の洋服を着た者たちも見受けられる。しかし、外者がいようと、今日の江戸の盛り上がりが衰えることはなかった。

 魚屋の魚を叩き売る威勢の良い声や、呉服屋で布地を見繕う女たち。茶屋では旅の者同士が苦労話に花を咲かせ、道端では商人が珍しい南蛮の物を売っている。

 まぁ、こんな天気の良い日に傘を腰に差す雨兎も、十分珍しいと言えないこともないのだが。

すれ違う顔見知りの挨拶に、無愛想ながらも軽く手を上げ応じながら半刻ほど歩いた雨兎は、一軒の薬屋の前で足を止めた。

 気が進まないのか、店の前で足を止める雨兎。

 すると、先客が帰るところなのか、雨兎が動かずとも店の扉がガラガラっと音を立て開いた。

「おっと、失礼」

 出てきたのは、軍服に身を包む、物腰柔らかそうな初老の男だった。

 軽く会釈をする男に、雨兎は道を譲る。

 初老の男はそんな雨兎に、更に優しそうな眼をスッと細めた。

「ほっほっほっ。先生も隅に置けませんな。こんな綺麗な子が通っておられるとは」

 その声はとても穏やかに店の中に消えて行ったが、店からの答えを待たずに、ひどく不機嫌な表情を浮かべた雨兎が乱暴に口を開いた。

「誰があんな胡散臭い奴の所になんか通うかよ」

 雨兎の口調はあまりに苛烈で、そして男っぽい。

 それに驚いたのか初老の男は僅かに眼を見開いたが、すぐにまた眼を細め、その柔らかい口を開く。

 しかし、開いた口が言葉を作る前に、それまで黙って初老の男の後に控えていた男が口を開いた。

じん殿。あまり人目に着く所に長居するのは」

 その声色は鉄のように硬く、身のこなしにも隙がない。顔つきは孤狼のように鋭く、その男も軍服を着ていたが、初老の男とは打って変わって、こちらはその軍服に損なわない威圧感を持っていた。

「おお、そうだな。では、お譲さん。またどこかで会えるといいですな」

「あんなたが死んでなかったな」

「ほっほっほっ」

 雨兎の辛辣な言葉にも老人は余裕の笑い声を上げ、最後にもう一度雨兎に礼をし、近くに止めてあった馬車へと向かう。

 付き添いの男もそれに続くが、馬車に乗り込む寸前に、その研ぎ澄まされた視線を、まるで敵でも見るかのように雨兎へと流した。

 その視線に応じる、雨兎。

「どうしたんだい? 騎馬きばくん」

「いえ、何でもありません」

 だが、二人の視線の応酬は、馬車の中に男が身を乗り入れたため、すぐに終結した。

 親切心からか、開けられたままの戸。

 雨兎は軽く鼻から息を吐き、店の中に踏み行った。店に入った途端に鼻孔をくすぐる、数々の薬草の匂い。壁にずらりと嵌めこまれた薬棚には、その引き出しひとつひとつに数々の薬と、そして裏の情報が入っているのだろう。

「はぁ……、居たのかよ」

「随分な御挨拶だね」

 雨兎は、店の奥に足を崩して座る、利発的顔立ちと眼鏡の奥に己を隠した、人のよさそうな双眸を覗かせる優男に目を向けた。

 男は軽い笑みを浮かべながら歓迎するように手を上げる。しかし、雨兎はそんな彼の仕草に、さらに苦虫を噛み殺したような表情を浮かべた。

 彼の名は一二三。

 越中からやってきた薬師で、そして裏表問わずあらゆる情報を扱う情報屋の裏の顔を持つ男だ。

 素っ気ない態度をとる雨兎に、一二三は気にした風もなく、笑みを濃くしながらその腰を上げた。

「やあ、雨兎。最近あんまり来てくれなかったから寂しかったよ」

「気持ち悪いこと言うなっ」

 叩きつけるように言う雨兎にも、一二三は怯んだ様子はない。

 一二三は雨兎の担いでいる野菜を眼に収めると、顔を綻ばせ、皆人に座布団を差し出した。

「まぁ、久しぶりに来たんだし、ゆっくりして行きなよ」

「俺は久しぶりにも来たくなかったけどな」

 言いながらに野菜を下ろす雨兎は、傘を腰から抜き地面に置くと、ドカンと座布団の上に腰を下ろした。

「茶」

「相変わらず、遠慮がないな」

 雨兎の態度は無遠慮なことこの上ないが、一二三は別段嫌な顔もせず、苦笑を漏らしながらお茶の準備をする。

 鼻に突く薬の匂いの中に、豊潤なお茶の香りが漂い始めた。

「はい、どうぞ。この前薬を仕入れに行った時に、良い玉露が手に入ったんだよ」

「ん」

 差し出されたお茶を手に取る雨兎。

 そして、それを口に近付けると「ふーふーふー」と何度も何度も息を吹きかけ始めた。

 どうやら、雨兎は熱いものが苦手なようだ。

「相変わらずの猫舌だね」

「うるせぇ」

「大丈夫だよ。ぬるめに入れてあるから」

 一二三の言葉に「なんだ、早く言えよ」と、息を吹きかけるのをやめ湯呑みに口を付ける雨兎。

 そして、一口目を含んだ途端。

「ぶ――――っ」

 その小さな口元から、鶯色の液体を猛烈な勢いで噴射した。

「あちゃちゃちゃちゃ」

「あ~あ。せっかくの玉露なのに」

「しょ、しょのまへひ。はひか、ひふほとははふらろ」

「荒治療でも、その猫舌は治らないか」

 しれっと言う一二三に、舌を唇から覗かせる雨兎が、射殺さんばかりの視線を送る。

 それでも一二三は飄々とした態度を崩さす、近くにあった水汲みから別の湯呑みに水を注いでやり、それを雨兎に手渡した。

 雨兎は急いでその湯呑みを一二三からぶん取り、涙目になりながら舌を突き出し、舌先を冷やす。

 その姿を眼の端に捉えながら小さく笑う一二三が、戸棚から和菓子を取り出した。

「はい、どうぞ。その玉露と一緒にもらったんだけど、相性は格別だよ」

「こんどは、何が入ってんだ?」

「今度こそ、本当に大丈夫。ほら、お茶の方も、良い温度になったころじゃない?」

 茶菓子を進めてくる一二三に、雨兎はとびっきりの猜疑の視線を投げかけるが、一二三は依然として笑顔を浮かべたまま雨兎に対峙。

 結局、細心の注意を払いながら、食欲に負けた雨兎が茶菓子とお茶に手を伸ばしたのは、それから間もなくのころだった。

「ん、んぐ。ん。ずず――……あ~~、うまい」

 お茶菓子を左手に、湯呑みに右手に茶を啜る雨兎。

「気に入ったようだね。よかった。――さてと」

 一方の一二三は、雨兎が持ってきた野菜をせっせと奥に保存すると、何やら奥の戸棚から小さな薬袋を持って、雨兎の所に戻ってきた。

「雨兎、丁度いいから、君に頼みたいことがあるんだが。いいか?」

「ん?」

 急に神妙な口調になった一二三に、雨兎が視線を飛ばす。

 一二三は薬屋兼情報屋だが、実の所、その仕事は萬屋とも言っていい。そして、雨兎はよくその仕事の手伝いを頼まれることがあった。

 雨兎も一二三にはある依頼をしており、対価としてその依頼は可能なものは受け持っているのだ。

「なんだ?」

 茶菓子の最後の一欠けらを頬張り、お茶で口の中を洗い流す。そして湯呑みを、バンと床に置いた雨兎は、姿勢を正す一二三に、立てた膝に腕を乗せながら訊き返した。

「まずは、これを見てくれ」

 そう言って、一二三が差し出したのは、先ほど彼が取り出した薬袋だ。

 一二三はその薬袋を、雨兎の目の前で慎重に開いて見せる。

 薬袋入っていたのは黒い粘土状の粉末だった。

「これは?」

 訊ねる雨兎に、一二三は周りに人がいないことを重々確認したうえで、更に声を潜めて応えた。

阿片あへんさ」

「へぇー」

 声を潜める一二三とは対照的に、雨兎の反応は素っ気ないものだ。

 流石にこの反応は一二三も予想外だったらしく、眼を丸め面食らった顔をする。

「驚かないのかい?」

「別に、医療用の阿片なら問題ないんだろ。薬屋のおまえが持っててなんで驚くんだ」

 雨兎の見解に、一二三は更に驚きを深めると、悩んだ末に一言吐き出した。

「雨兎……、どこかで頭打ったのか?」

「どういう意味だっ!」

「あ、すまない、すまない。ご、ごほん」

 咳払いをし、一旦場を仕切り直す一二三。

 そして、納得いかないと顔に書いてある雨兎に、再び事の話を切り出した。

「確かに、君の言うとおりだ。僕が阿片を持っているのは問題じゃない。だが、この阿片が、今江戸に広がっているとしたらどうする?」

 一二三の言葉に、雨兎の秀眉がぴくんと跳ねる。

 一二三は、わざと気が付かないふりをして続けた。

「知っての通り、いま日本国内での阿片の製造は、医療関係を覗いて全面禁止だ。こんな、江戸に広がるほどの量は存在しない。そして、コレが広がりだしたのはごく最近だ。――どういう意味か、分かるか」

「遠路はるばる。遠い海の向こうからやってきた、てことだろ。新政府の審査もザルだな」

 雨兎の言葉に一二三は「そうだね」と苦笑いを浮かべ頷いた。

「わかった、一応頭の隅には覚えとく。見つけたら連絡する。それでいいか?」

「ああ、頼む。それと、この話は、神流さんにも通してほしい」

「神流に? なんでだ?」

 一二三の言葉を聞き、雨兎は眉に皺を寄せる。

 しかし、次の瞬間には、その眉間に寄った皺が憤怒のモノへと変わった。

「一二三、テメェッ」

 怒りに顔を朱に染める雨兎。一二三は慌てて、その肩を掴んだ。

「ま、まて。落ちつけよ。誰も、神流さんが黒だなんて言ってないだろ。まぁ、万に一つの可能性があるとしてもだ」

「そんな万に一つの可能性なんか、この俺が叩っ斬ってやる」

 無茶苦茶なことを言う雨兎に、一二三は呆れ気味な溜息つく。そして、雨兎を落ち着かせると、掛け値なしの自分の考えを口にした。

「僕が考えているのは、《一縁》が売買の取引場にされる可能性だ」

「なにぃ?」

「だから、人の話を最後まで聞けよ」

 再び獣のような殺気を放つ雨兎に、一二三は頭痛でもしてきたのかこめかみを押さえながら続けた。

「遊郭や飲み屋は、どうしてもそういう場になりやすい。もちろん《一縁》だけじゃなく、この辺りの店には全部話を通してある。僕が言いたいのは、その取引の最中に、麻薬が遊女たちに広まるかもっとことだ」

 ようやく自分の考えを言いきることが出来た一二三は、自分用の湯呑みにお茶を注ぎ、熱いのが平気なのか、それを一気に飲み干し、一旦気持ちを落ち着かせる。

 そして熱い吐息を吐きだし、再び雨兎に目を向けた。

「雨兎」

「…………」

 雨兎は語らない

 一二三の言葉を吟味するように暫し眼を瞑り考えた雨兎は、突然立ち上がると、傘に付いた埃を払い、帰り支度を始めた。

「雨兎っ」

「大丈夫だ。殴り込みなんてしねぇよ、神流にも話を通しとく。これで文句ないだろ」

 雨兎の返事に、ホッと息を吐く一二三。

 そんな一二三に、雨兎は背中越しに問いかけた。

「それより、約束忘れてないだろうな」

「ああ、二つとも覚えてるよ。でも、片方は期待しないでくれよ」

「イヤだ」

 即答で言い返す雨兎に、閉じられる戸の向こうで、一二三はもう一度大きな溜息を付いた。


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