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傘人  作者: 野生
4/4

(3)

「へい、まいどあり。雨兎ちゃん、いつも御ひいきにしてくれてっから、少しおまけしといたぞ」

「おお、あんがとよ」

 一二三の薬屋を出た帰り道。

 顔なじみの酒屋で銀銭を酒瓶に換えた雨兎は、さっそくそれまで口にしていた煙管を懐にしまいこみ。もの寂しくなった口元に酒瓶の口を押し付けた。往来の真中、買ったその場で酒を喉に流し込むとは何とも早急なことだが、雨兎がそれをするとどこか絵になる。

 酒瓶の中身を三分の一ほど胃に流し込んだところで、雨兎はようやく口から酒瓶を放し、生き返ったとばかりに「ぷは――――」と大きな息を吐いた。

「はっはっはっは。相変わらず、いい飲みっぷりだな」

「褒めんのはいいから、減った分もうちょっと酒を入れてくれよ」

「はは、いいぜ。雨兎ちゃんに飲まれるなら、酒も喜ぶだろうよ」

 何とも気風のいい酒屋の主人は、そういうと酒樽からタダで雨兎の酒瓶に酒を継ぎ足した。店の奥で嫁さんが「この、馬鹿」と小口を叩いているが、その表情もどこか優しい。それは、酒を継ぎ足した客が雨兎だったからだろう。

 再び酒に満たされた酒瓶を受け取り、雨兎は軽く酒屋の夫婦に礼を言って再び歩き出す。

 春先の心地よい風が雨兎の横髪を攫い、後方へと流れていく。

 もう半月もすれば、近くの河原の桜が満開となるだろう。

 雨兎が去年神流たちと出かけた花見を思い出し、その表情を微かに和らげる。

 そして、今年も花見酒が飲めるだろうと、ふと考えた、その時。

「オラ――ッ。待てぇ――っ!」

「ん?」

 往来の穏やかな喧騒に、無粋な叫び声が木霊した。

 その声は背後から。

 別に、天下の江戸といっても盗人が出るのは日常茶飯事。さしたる興味もなかったが、雨兎は何気なしに立ち止り、背後へと首を回した。

 雨兎の眼が捉えたのは、徐々に割れてゆく人だかりと、声を張り上げ走る三人の男。そして、頭からすっぽりとみすぼらしい布をかぶった身の丈が雨兎の腰ほどしかない童子だった。

「おおっと」

「っ!」

 しかも、その童子に至っては、雨兎のすぐ傍まで接近しており、前方が見えないのか、そのまま雨兎にぶつかった。

 体重差のため雨兎は軽い衝撃を受けただけでその場に踏みとどまったが、童子の方は盛大な尻もちをついてしまう。

 そして、その隙に男たちは子供との差を完全に縮めていた。

「へっへっへ。ようやく、追いついたか」

 童子が逃げないように三方向を取り囲む男たち。

 だが、男たちは限りなく不運だった。

「ハァ……」

 男たちが作った包囲網。それは奇しくも雨兎を中に入れてしまっていたのだ。

 ぐるっと周りを一瞥する雨兎。

「ん?」

 その眼が、不意に自分の腰元に引き寄せられる。

 先ほど尻もちをついた童子が、怯えるように雨兎の体にしがみ付いていた。

「うーん……」

 ポリポリと頬を掻く雨兎は、一応確認のため周りの男の一人に声をかけた。

「おい、一応聞くけど。こいつ、何か盗みでも……」

「そのガキ。こっちに、渡せっ!」

 質問を途中で遮られ、雨兎がムッとした表情を浮かべる。

 ついでに、雨兎は男たちが尋常な様子ではないことを俄かに感じ取った。

 今の発した言葉もどこか呂律が回っておらず、男たちの目は一様に据わっている。

 雨兎は次に、自らの腰にしがみ付く童子に声をかけた。

「お前、あいつらから何か盗んだのか?」

 童子は答えない。ただ、

「ふるふるふる」

 童子は雨兎の質問に、明確に首を横に振った。

「そうか」

 それが真実であるか否かを、雨兎の嗅覚は敏感に感じ取る。そして答えは出たとばかりに、雨兎は優しく布の上から童子の頭を撫ぜると、腰に差してあったあの紅傘を引き抜いた。

「…………」

 それを自分たちに対する応戦だと気付いた男たちは、何も言わずに自らの懐に手を忍ばせる。そして、その手を引き抜くと、辺りから小さな悲鳴が上がった。

 男たちが懐から取り出したのは、短いが、れっきとした殺傷能力を有する包丁だ。

「おい」

「……コク」

 短く言葉を掛け会い、包丁を片手にじりじりと包囲網を縮める男たち。近くにいた何人かが警らを呼びに行ったが、おそらく間に合わないだろう。

 そしてついに、男たちの中で雨兎の右後方を抑えていた一人が、包丁を両手で構え、雨兎へと突っ込んだ。

「キャーッ」

 雑踏に響く、見物者の悲鳴。

 童子にしがみ付かれているため、動きをかなり制限される雨兎。

「よっ、と」

 しかし、雨兎はそれがどうしたとばかりにあっさりとその切っ先を避け、反撃に打って出た。

「ほら、よっ」

「グガァッ!」

 足の踏み込みや、体重の移動はほとんどない。ただ、上半身の捻りと、それに伴って動く右腕の力だけで、雨兎は傘で男のわき腹を殴りつけた。だが、その威力はケタ外れだ。わき腹に重い一撃を受けた男は包丁をその場に残し、地面と平行に吹き飛び、近くに置いてあった足休めの長椅子に激突。木片をばら撒いたその体は、ただその一撃で撃沈した。

 一瞬の撃退。

「うおぉぉぉッ」

 しかし、雨兎の左手に陣取っていた男は、まったく恐れる様子もなく雨兎へと突っ込んできた。

訝しげに眉を寄せる雨兎。しかし、その動きに迷いや停滞はない。

 振り下ろされる包丁の刃を、傘の先で弾く。そして、体勢が崩れた男に向けて、上空から赤い軌跡を叩き下ろした。鈍い、骨が砕ける音が響き、右肩を破壊された男が情けなく喚きながらその場に蹲る。

 残った男は逃走を謀っただけまだ利口なほうだ。

 だが、それは無意味だった。

「喧嘩売っといて、締まらねぇな」

 雨兎が無造作に手にしていた傘を男に向けて放り投げる。綺麗な放物線を描いた傘は、空中で広がり、開いたカサに掛かる空気圧を無視した動きで逃げる男に覆いかぶさった。

 見た目は普通の傘だが、雨兎が投げつけた傘は、実は数十貫はくだらない超重量の鋼の傘だ。

 男は「ぐぇ」っとカエルのような呻きをもらし、傘に押しつぶされ這いつくばった。

 悪漢たちを退けた雨兎に、辺りから歓声が上がる。

 その時、何かに弾かれたように雨兎の視線が人ごみの遥か先を貫いた。

「…………」

「?」

 雨兎の双眸が油断なく細められ、微かな気配の残り香を探す。

「……気のせいか」

 しかし、感じ取れない気配の残滓に、囁きのような言葉を漏らし雨兎はそれ以上の追及をやめた。

 一二三に対する苛立ちを少しは解消できたのか、雨兎が存外に晴々とした表情を浮かべながら投げつけた傘を拾いに行こうと足を踏み出す。が……、

「……おい、もう離せよ」

 がっしりと、雨兎の腰に抱きつく童子。

 雨兎は些か困った顔を浮かべ、童子と同じ目線に腰を屈め、怯える肩に手を乗せる。その瞬間、雨兎の双眸が、僅かな動揺に見開かれた。

 汚衣の端から覗く怯える童子の瞳の色は、宝石のような蒼。透き通るように白い肌。そして、首筋の後ろに隠れる生糸のような髪は、僅かな光も神々しく反射する金色。

 まるで、最近国内に持ち込まれた外国の人形のような美しい女の子の顔が、そこにあった。

 人売り。その言葉が、雨兎の脳裏を掠める。どう見ても、今しがた眠らせた男たちがこの少女の親族には見えないし、辺りに少女の親らしい人影も見えない。

「おまえ、名前は?」

 出来るだけ声色を柔らかくし、雨兎が少女に尋ねる。しかし、言葉が通じないのか、少女は黙したままだ。

 渋面を浮かべる雨兎。

 本当ならばこの場に残し、警らにでも任せるのが筋なのだろうが、雨兎は何か妙案を思いついたように顔を綻ばせると、何を思ったのか、少女を抱きかかえて立ち上がった。

「っ!?」

 目を丸くする少女に、雨兎は男らしい笑みを浮かべる。

「なんだ? ここに残るか?」

「!」

 おそらく言葉を理解したわけではないだろうが、少女は雨兎の言葉に折れんばかりに横に首を振った。

「よし。じゃあ、行くぞ」

 雨兎はさらに笑みを濃くすると、左腕ひとつに少女を持ち直した。

 落ちないように慌てて雨兎の首に腕を回す少女。

 雨兎は、出来るだけゆっくりとした足取りで、傘に押しつぶされた男へと歩み寄った。

 重い傘を軽々と拾い上げ、器用に片手で傘を閉じる。

 そしてもののついでとばかりに、足下で蠢く、未だに逃走を試みようとした男のわき腹に容赦のない蹴りをねじ込んだ。

 ビクンと大きく跳ね、呻きすらも漏らせるぬまま昏倒する男。

 その所業に、雨兎に抱きついていた少女もビクンと体を震わせる。

 雨兎の行為は教育上よくないと言わざる得ないが、そこは少女の運が悪かったと言うしかないだろう。

 道端に転がる三人の男たち。

「――――、――――、――」

「やっと来たか」

 それらを一瞥する雨兎の耳が、遠くで声を張り上げる警らの声を捉えた。

「たく。おせぇんだよ」

 息を切らしながら走ってくる警らに、雨兎は悪態を付きながら彼らとは逆の方角に足を向けた。

 むろん、少女は抱きかかえたままだ。

 立ち去ろうとする雨兎の背中を、警らの呼び止める声が叩く。

 しかし、雨兎は足を止めない。警らの一人が雨兎に向けて走ってきたが、それはその途中にいた町人に阻まれた。

「話なら、俺が聞いてやるよ」

「いや、俺が聞く」

「いや、いや。俺が……」

「ど、どきなさい君たち」

 雨兎に恩を売りたい町の男たちが、こぞって警らの前に立ち塞がる。

 その気配を背中に感じながら、雨兎は《一縁》へと向かう足を速めた。

 正直、子供を抱いてる雨兎の姿は人目に付きすぎる。

「おい、お前どこの国の者だ?」

「……?」

「なんで追われてたんだ?」

「……!?」

「怪我してねぇか?」

「……!」

「……はぁ」

 《一縁》へ向かう道中、雨兎は少女に何度も話しかけたが、やはり言葉が通じないのか、少女は反応を返すものの返答らしい返答は殆どない。

 面倒くさくなったのか、それとも初めからさして興味もなかったのか、雨兎は少女に対する質問をすぐに打ち切った。

 そして、腰に吊り下げていた酒瓶を手に取り、歩きながらに一口だけその中の液体を口腔に流し込む。

 水と見間違う透明な液体は、雨兎の喉を潤し、胃へと収まった。

「んぐ、んぐ、んぐ。――ぷぅ」

 僅かに熱い吐息を吐きだす雨兎。

 その時、雨兎は横から注がれる視線に気づいた。

 雨兎が左手に目を向ける。

「……」

 そこでは、雨兎の右手に握られた酒瓶に、好奇心の目を向ける少女の純粋な碧眼があった。

「飲みたいのか?」

「……コクコク」

 それは、単なる興味心なのだろうが、さすがにコレには雨兎もすんなり頷くわけにはいかない。

「これは駄目だ。あと、十年は待ってろ」

「……ふるふる」

「駄目だ」

「……うるうる」

 素気無く断る雨兎に、碧眼を潤ませる少女。

 大の男を殴り飛ばすような雨兎だが、さすがに少女の涙は堪えるのだろう。刃物を突き付けられても泰然としていた雨兎が、目に見えて狼狽する。

「ひっく、ひっく」

「あっ、こら。泣くなんて卑怯だぞ」

 しゃっくりを洩らしだす少女に、雨兎はいよいよ窮地に追いつめられた。

「おっ!」

 その時、雨兎の困り果てた双眸に近くにあった一店の小菓子屋が映る。

「おい、泣くな。代わりに、いいもんやるから」

「?」

 涙を瞳いっぱいに溜めながら小首を傾げる少女に、雨兎は若干小走りに小菓子屋に歩を進めた。

「おい、ばぁーさん。生きてるか」

「あれあれ、雨兎ちゃんじゃないか。久しぶりだね」

 雨兎が店の中を覗き込んで声をかけると、店の奥から、顔中に笑い皺を刻みつけた老婆がゆっくりと現れた。その皺の奥の温かな目が、雨兎と、雨兎が抱きかかえる少女を捉え、より一層優しい光を放つ。

「おやおやおや、めんこい子だねぇ。雨兎ちゃん、一体、その子、どうしたんだい?」

「そこで拾った」

「ほほほほほ。雨兎ちゃんは本当に冗談が好きじゃのう」

「いや、本当なんだけど」

 肩を落として疲れたように老婆と会話する雨兎は、そのまま店に入りこむと、近くにあった水あめを手に取った。

「ばぁーさん。コレくれ」

「はいはい。まいどあり」

 雨兎は器用に懐に手を忍ばせると、銭袋の中から銅銭を取り出して、老婆に渡す。そして、すぐに踵を返したのだが、その背を柔らかな老婆のしわがれた声が叩いた。

「雨兎ちゃん、ちょっと待っておくれ」

「ん、なんだ?」

「はい、コレを楓ちゃんに渡しておくれ。いつも、顔を見せてくれるお礼だよ」

 老婆はそう言って、店の玉飴をひとつ丁寧に紙に包んで雨兎に手渡した。

「あいよ。わかった。渡しとく」

「雨兎ちゃん、食べちゃだめだよ」

「俺はそこまでガキじゃねぇよ」

 笑いながら軽口を叩き、雨兎は小菓子屋を後にする。

 そして、今しがた買った、先に琥珀色の水あめが割りばしを少女に差し出した。

「??」

 目の前に差し出される物体に、小首を傾げる少女。

 百聞は一見に如かず。雨兎は先んじて、琥珀色の水あめを口に含んだ。

 雨兎の舌が水あめを舐め取り、口の中に程よい甘露が広がる。

 口腔から甘い香りが鼻腔に抜け、雨兎の脳をやさしく揺さぶった。

「ほらよっ」

 口から水あめを離し、今一度少女にそれを差し出す。

 少女は、小さな手で確りと割りばしの柄を掴むと、恐る恐るといった様子で、小さな口元から覗かせた舌を瑞々しい水あめへと伸ばした。小さな舌が水あめの一面を舐め取り、口の中へと戻っていく。瞬間、歓喜の表情を浮かべた少女の顔が、雨兎の双眸目掛けて跳ね上がった。

「上手いか」

「コクコクコク」

「そりゃ、よかった」

 小さな笑みで応える雨兎。

 少女は雨兎からもう一度視線を水あめへと移すと、雨兎を真似て、今度は水あめの方を口へと運んだ。テカテカと鈍く光る水あめが、小さな口に収められる。

 少女の表情が、今度はとろんと綻んだ。

 夢中で水あめを味わう少女だったが、何を思ったのか、唐突に口から水あめを離し、顔を雨兎へと向けた。

「ん? どうした」

 雨兎が訊ねると、少女は碧眼でまっすぐ雨兎を捉えながら、小さく顎を引いた。

 おそらく、お礼を言っているのだろう。

 少女の気持ちを感じ取った雨兎は、豪快な笑みを浮かべながら少女の頭を撫ぜた。

「しっかり、礼を言えるのはいいことだな」

 厳密には『言って』は無いのだが、ここでそこを突っ込むのは野暮というものだろう。

 甘い匂いを放ちながら、朗らかな静寂を纏って歩く雨兎。

 丁度少女が水あめを舐め終えたところで、雨兎はようやく《一縁》に帰ってきた。


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