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吹奏楽部の演奏を終えた智哉と合流した里桜は、二人で模擬店が並ぶ校庭を歩いていた。
校内は午前にも増して賑やかで、焼きそばの香ばしい匂いや、綿菓子の甘い香りが風に乗って漂い、生徒たちの笑い声があちこちから聞こえてきた。
けれど里桜の耳には、その賑わいが少し遠く感じられた。
(……瀬田君と……二人で歩いてる)
普段、挨拶や何気ない小さな会話はしているが、今はすぐ隣を歩いている。
智哉が里桜に歩幅を合わせるようにゆっくり歩いてくれることも、時折こちらを見て微笑んでくれることも、そのすべてが嬉しかった。
(幸せってこんな感じなのかな……)
そんなことまで思ってしまう自分に、里桜は少しだけ照れてしまう。
「何か食べようか。」
智哉が優しく声をかける。
「うん。」
二人は模擬店を眺めながら歩く。
「俺、唐揚げ好きなんだよね。」
智哉が少し照れくさそうに笑う。
「そうなんだ。」
(好きな食べ物……唐揚げかぁ……)
そんな些細な事を知れただけで、里桜の胸は温かくなる。
(また一つ、瀬田くんのことを知れた……)
それがたまらなく嬉しかった。
「じゃあ唐揚げにしよう。私はたこ焼きも食べたいな。」
「いいね。」
デザートの模擬店まで来ると、二人はケースの前で立ち止まった。
「アイスも食べる?」
「食べたい。」
色とりどりのアイスを見比べながら、
「どれにする?」
「迷うなあ……。」
そんな何気ない時間さえ、里桜には宝物のようだった。
普段なら緊張して何も話せなくなるはずなのに、不思議と今日は自然に話し笑えている。
それは智哉が急かさず、ゆっくり話を聞いてくれるからだった。
中庭のベンチに並んで座り、買った食べ物を広げる。
肩が触れそうなくらい近い距離で、里桜は少しだけ緊張しながら、唐揚げを口に運んだ。
「今日の演奏、本当にすごかった。」
思わず口をついて出た言葉だった。
智哉は少し照れたように笑う。
「ありがとう。」
「体育館いっぱいに音が広がって……。」
里桜の目は自然と輝いていた。
「一つ一つの楽器の音が重なって、すごく綺麗で……あんなに感動したの、初めてだった。」
その真っ直ぐな言葉に、智哉は少し驚き嬉しくなった。
そこまで真剣に聴いてくれていたとは思わなかったからだ。
「そう言ってもらえると、嬉しいよ。」
智哉は目線を少し下げて落ち着いて話し始めた。
「吹奏楽って、一人じゃできないんだ。」
「うん。」
「みんな違う音なのに、それが重なると一つの音楽になる。その瞬間が好きでさ。」
話すうちに智哉の表情は次第に輝き、目線は真っ直ぐ前を向いていた。
好きなことを話している人だけが見せる、少年らしい笑顔。
里桜はその横顔を見つめながら思う。
(こんな顔もするんだ……)
教室では見たことのない表情で吹奏楽を語る智哉は、本当に楽しそうだった。
(もっと話を聞いていたい……もっと、瀬田君のことを知りたい)
その想いは、どんどん大きくなっていく。
一方の智哉も、そんな里桜を見ながら思っていた。
(こんなに嬉しそうに話してくれるんだ……)
いつも控えめで、おとなしい印象だった里桜が、今は、瞳を嬉しそうに細めながら、自分たちの演奏を語ってくれている。
その笑顔が、とても可愛らしく見えた。
(……大宮さんって、こんなふうに笑うんだ)
そう気づいた瞬間、自分でも理由の分からない温かい感情が胸に広がっていくのを感じていた。
食べ終えた容器をゴミ箱へ捨てると、人で賑わう校舎の中へ戻った。
「あのね、次は美術室に行ってもいい?」
と、恥ずかしそうに里桜が尋ねると、
「もちろん。」
智哉は穏やかに微笑んだ。
「大宮さんの絵、楽しみにしてたから。」
その言葉に、里桜の胸がふわりと温かくなる。
(楽しみに……してくれてたんだ)
「ありがとう。」
二人は並んで西側の校舎へ向かう。
廊下には文化祭を楽しむ生徒や保護者が行き交い、展示教室の前では作品を眺めながら話し合う声が聞こえてくる。
美術室へ入ると、壁いっぱいに作品が飾られていた。
風景画や静物画、水彩画にデッサン。
それぞれの個性があふれる作品の中で、里桜は少し奥の一枚の前で足を止めた。
「……これ。」
少しだけ緊張した声だった。
智哉がその絵へ目を向けると、そこには、猫のおもちゃを両手で抱えながら、満面の笑みを浮かべる幼い女の子が描かれていた。
夏の日差しを思わせる白い光と笑顔いっぱいの女の子、そして、背景に広がる真っ青な青空まで、見ているだけで微笑ましく楽しい気持ちになる作品だった。
智哉はしばらく何も言わずに見つめていた。
細かな筆づかいや光の表現と、何より、絵全体から伝わってくる温かい愛情が強く胸を打つ。
「……すごい。」
思わず漏れた一言だった。
「優しい絵だね。」
その言葉に、里桜は少し照れたように笑う。
「この子……妹なの。」
「妹さん?」
「うん。」
絵を見つめながら、里桜は懐かしそうに頷いた。
「小さい頃、猫のおもちゃがお気に入りでね。夏休みに一緒におばあちゃんの家に遊びに行った時も、ずっと離さなくて。」
自然と笑みがこぼれる。
「あの日、本当に楽しそうに笑ってたから、その笑顔を描きたくなったの。」
智哉は静かに耳を傾けていた。
里桜が家族の話をする時の表情や、絵を見つめる瞳は、とても柔らかく愛おしそうだった。
「わかるよ。」
「え?」
「この絵、見てるだけで温かい気持ちになる。」
智哉はもう一度絵へ視線を向ける。
「妹さんの笑顔だけじゃなくて、大宮さんが妹さんを大事に思ってる気持ちまで伝わってくる。」
その言葉に、里桜の表情が花が咲いたようにぱっと明るくなった。
「……ありがとう。」
少し潤んだ瞳で微笑む。
「そんなこと言ってもらえたの、初めて。」
智哉の視線が揺れて、すこし照れたようだった。
「思ったことを言っただけだよ。」
その一言が、里桜の胸をまた温かくした。
(やっぱり、瀬田君は優しい……)
里桜の作品を見終えた後も、二人は他の絵を眺めながらゆっくり歩いた。
「この絵もすごいね。」
「うん。この子、水彩がすごく上手なの。」
「美術部って、みんな本当に絵が上手だよね。」
「私はまだまだだよ。」
「そんなことないよ。」
智哉はすぐに首を振った。
「大宮さんの絵、俺はすごく好きだった。」
飾り気もなく真っ直ぐな言葉で、ただ思ったことをそのまま伝えてくれる言葉だった。
里桜の頬はまた赤く染まり小さく笑う。
「……ありがとう。」
その笑顔を見た智哉も、自然と笑みを浮かべていた。
その時、校内放送のチャイムが鳴り響いた。
『これをもちまして、本年度文化祭を終了します。各クラスは片付けを始めてください。』
「あ……終わっちゃったね。」
里桜が少し寂しそうに呟く。
「本当だ。」
智哉も小さく笑った。
楽しかった時間は、あっという間に過ぎてしまう。
二人は名残惜しさを感じながら教室へ向かって歩き始めた。
並んで歩く時間も、あと少し。
その時、二人はほとんど同じことを考えていた。
(……連絡先、聞きたいな……)
里桜は制服のスカートをそっと握る。
(また話したいけど……でも、自分から聞くのは、無理……)
隣を見ると、智哉も何かを伝えたいかのように口を開きかけては閉じていた。
(大宮さんの連絡先……聞いてもいいのかな……)
智哉は里桜と、今日、一緒に過ごして気がついた。
もっと話したい、もっと笑っているところを見たい、そう思うようになっていた。
それなのに、連絡先を教えて欲しいという、その一言がどうしても出てこない。
教室まであと少し。
このまま別れたら、休み明けまで会えない。
二人の胸に同じ焦りが生まれていた。




