8. 1日目⑧ 売られた喧嘩は売り返せ!
魔術師ギルド本部は、大通りからやや離れた、王城の壁の向かい側にあった。城壁に面する部分、建物の正面に立ち、私たちはしばしぽかんと大扉を見上げていた。
建物の周辺は鉄細工の柵にぐるりと囲まれており、入り口の部分だけ空いている。数段の階段の上に設置された大扉には神話なのか、幾何学なのか、何らかのメッセージ性を感じさせる彫刻が彫り込まれていた。
こまめに掃除され、磨かれているであろうレリーフや色ガラスで飾られた窓の壮麗さは、周囲の豪華な建物に勝るとも劣らない。もっとも路地の方から建物の裏側をぐるりと回ってきた私たちは、この建物が裏側に隠している剥げた漆喰を見てしまっているのだが。
『トンプソンさんを呼び出せばいいんだよね』
「そっすね。説明は俺に任せてください。アヤネはトンプソンさんが出てきたタイミングで外国語……日本語っていうんでしたっけ? それで話しかけて、今のヴィクトルがヴィクトルじゃないってことを分かってもらいましょう。ダニーはアヤネに通訳を頼む」
「わかった!」
大扉にはノッカーがなく、代わりに扉の横に案内書きがあった。ギルはそれをさっと読み取ると、私の英文読解が終わる前に大扉のくぐり戸をぎいと押し開けた。
中は、例えるなら病院の受付のようだった。
入り口のすぐそこにカウンターがあり、その上にはアクリルパーテーションの代わりにオーロラのような、ほのかに発光する動く膜のようなものが張ってある。飾り棚には大きな天球儀があり、星を模したブロックが円周の軌道上をゆったりと動いていた。
科学の発達した二十一世紀の人間にも物珍しいそれが、魔術という技術の象徴なのかもしれない。
発光する膜のせいでカウンターの向こうの様子は見えづらかったが、よく目を凝らすと奥に神経質そうな女性が座っているのが見えた。
「こちらは魔術師ギルドです。ご用件をどうぞ」
「こちらは東二番街の魔術師ヴィクトルです。今月の報告が遅れた理由について、ご説明するために参りました」
「ああ、報告書の遅延ね。報告書は?」
事務員らしき女性は片眉を上げ、急にぞんざいな調子になった。
「それは巡回のギルド員にお渡ししたので、今は持っていません」
「はあ? じゃあ何しに来たの」
うっわ、感じ悪。
ギルが畏まるふりをしながら背中の後ろに手を回したので、私はその手にこっそり触れることができた。だから私は、ギルがものすごく丁寧な言い方をしたことを知っている。
できる限りの敬意を払って話しかけた相手に、そんな態度をとるってなんだ?
「遅延の理由を説明しに……ええと、そうだ、トンプソン氏はいらっしゃいますか」
「トンプソン氏? それはうちの理事の名前よ。あのね、理事っていうのは所属魔術師の遅延理由なんかをいちいち聞くような立場の人じゃないの。あなたみたいな子供には分からないかもしれないけどね」
「……ですが、ギルド員の方に言われて」
「ギルドのせいだって言いたいの? 自分の浅はかさを棚に上げて? ちょっと考えたらおかしいって分かるでしょうに。はぁ……人のせいにする前に、自分の頭で考えられるようになりなさい」
「ええと、じゃあ、巡回の人に理由を伝えただけで十分ってことですか」
「十分なわけないでしょ、遅延してるんだから」
「じゃあどうすれば」
「あのねえ、だから自分の頭を使いなさいって……はぁ、あなたじゃ話にならないわ。後ろにいるのが魔術師ヴィクトル?」
「ねえ、あんたすごく失礼ね!(Hey, you're so rude!)」
こちらに水を向けられたので、私はここぞとばかりに片言英語をぶちまけた。
ちなみに途中からダニーが怒鳴りそうになるのを抑えながら聞いていたので、事務員が何を言っているのか半分以上分かっていない。でも、これは向こうがおかしいだろう。
ほんの数時間の付き合いだが、ギルは十五歳とは思えないくらい気の回る子で、はきはきした物言いの、芯の強さを感じる少年だ。
しかし大人に頭から攻撃的な態度をとられて萎縮しないでいられるわけがない。いきなりこんな対応をされたら大人だって怖い。
ただでさえ事務員に話しかける前から、ギルは慣れない公的な場に出ていくときの緊張感を纏っていた。頑張って大人の礼儀を尽くした子供相手に、こんな仕打ちは酷すぎやしないか。
「魔術師ヴィクトルですね? 何か説明しに来たとのことですが、どんな説明があっても遅延記録は覆りません。継続するようなら罰金や登録抹消もあり得ますので……」
「あなたの言うこと、わかりません。ギルに謝ってもらえますか?(I can't understand what you say. Could you apologize to Gil?)」
「はい?」
「謝れ」
「何よ急に。失礼ね」
「自己紹介してんの?(Are you talking about yourself?)」
「はぁ? まともな英語喋ってくれない?」
事務員は音を立てて椅子から立ち上がった。彼女はほっそりした体型をしていたが、本来の私に比べればかなり背が高く、体格もいい。しかしながら今現在の私はもっとでかい男の身体をしている。やんのかこら。
「アヤネ、喧嘩はまずいですって! あんた案外英語しゃべれるな!?」
「いいぞ、もっと言ってやれ! ギルに謝れ、くそババアー!」
「ダニー!」
「おやおや、何の騒ぎかね?」
騒ぎを止めたのは穏やかな男性の声だった。仕立ての良いスーツを着た紳士が五、六人、奥の方から歩いてきて、事務員と私たちの両方に好奇の目を向けている。
「こちらの魔術師ヴィクトルが、今月の報告遅延の理由についてトンプソン卿に話があるとかで」
事務員は先ほどのエキサイトっぷりなどなかったかのように、すました顔で報告した。
「これはこれは、魔術師ヴィクトル殿。お久しぶりですなあ」
これには一番奥にいた別のおじさんが返事をした。小さく整えたひげをもつ、白髪交じりの茶髪を撫で付けた、小太りの男性だ。
他の紳士たちは「なんだ、トンプソン卿に用か」「では、私はお先に」などと言いながらそそくさと去っていく。
気持ちは分かる。トンプソン氏からは、初対面の私にも感じ取れるほどの、煮えたぎるマグマのような苛立ちのオーラが立ち上っていた。
私は先手を打つことにした。
『トンプソンさん、はじめまして! 戸松絢音っていいます。魔術師ヴィクトルが今日報告書を出せなかったのはヴィクトルが今この身体にいないからで、報告書自体はちゃんと用意してたみたいです。ギルド員の人に渡しましたので、後で確認お願いします!』
怒涛の早口ジャパニーズに加え、ジャパニーズお辞儀まで披露してみせた。
謝罪会見でしか見ないような九十度の最敬礼である。どうだ。これで私がセイヴェル人でないことは一目瞭然だろう。
彼が魔術師ヴィクトルに悪感情を持っていることはもはや疑いようもないが、目の前にいるのが本人でないと分かれば無罪放免、矛を収めてくれるに違いない。
短い沈黙の後、トンプソン氏はゆっくりと口を開いた。
「なるほど、なるほど。君は、また、同じことを繰り返すのか」
収めてくれなかったっぽい。強調されまくった「また」の音に込められた念の強さがやばい。目に見えないオーラが苛立ちから怒りへ転化するのを肌で感じた。
「君は一体、どれだけその逃避行動を繰り返せば気が済むのかね? 月課の報告はいつもギリギリ、研究会の出欠状を送れば催促するまで返事が来ない、その癖返事はいつも条件付きのYes! 出席が決まっているのならば早く返事をしろという話だ。ホスト側には準備というものがあるのだよ。招待客の返事が確定しないことによる負担を考えたことがあるかね? ん? 催促するにも人手と労力がいるんだ。他人の労働量を無駄に増やすのは非人道的な行為とも取れるのだが、君の意見はどうかね?
ああ、忘れるところだった。本日の御用は月課報告遅延についてだったかな。霊に憑依されたなどという理由でないことを祈るよ。魔術に明るくない私だが、君が自分の意思で霊を憑依させることのできる素晴らしい魔術師だということはよくよく聞き及んでいるのでね。自力で霊を憑依させて、だから月課報告ができないなんて、いやいやまさか。へそで茶が沸くとはこのことだ。
ただ、噂なのだがね。魔術師ヴィクトル、君はそのようなことを別の場所でも繰り返しているのだとか? 友人から聞いたよ。私にも、貴族の皆様方と多少の親交があるのでね。ああ、もちろんただの噂だ。馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしてやったがね」
息つく暇もなくまくしたてられた結果、ダニーの通訳が「おっさん、すげー怒ってる」で終わってしまった。それは知ってる。
「研究内容が良ければそれ以外はどうでもいいというのが魔術師の流儀なのか、私は常々疑問に思っていてねえ。何せ私の常識では、世の中は信頼というもので成り立っているのでね。世間知らずの箱入り娘であればなじみの薄い言葉かもしれないが。期限を守る、返事は返す。そんな人間として当たり前の行動を何故できないのか。
ああ、もちろん君は分別のある立派な大人の魔術師だ。そんな君が、常識知らずを疑われるような言動を取るとすれば、相応の理由があるのだろうとも。
そうそう、ちょうど今日、理事会で不採算魔術師の問題を議論していたところなんだよ。コロキウムに向けての特別補助金や研究費の前借制度を利用したまま、行方をくらます不良魔術師が後を絶たないこともあってね。全く頭の痛い話だ。
制度利用者の名簿には魔術師ヴィクトルの名前もあったが、まあ、君は大丈夫だと信じているからね。私は気にも留めなかったよ。返事を返さなくても死にはしないが、借りた金を返さないのは犯罪だ。それくらいの常識は心得ている、そうだろう? 東二番街の君の家を売りに出すときは、是非とも一番に声をかけてくれたまえよ」
熱心なトンプソン氏には本当に申し訳ないのだが、そもそも意味を理解できていない私はぽかんとするばかりだった。
私が魔術師ヴィクトルだったら、あるいは私に英語が理解できていたら、卓越した語彙力から繰り出される嫌味(多分)が心に深く突き刺さっていただろうに。
私は渾身の必殺技を間抜けな理由で無効化されたヒーローを見る気持ちでトンプソン氏に同情の視線を向けた。
それが良くなかった。
トンプソン氏は額に青筋を浮かべ、上品さを手放して詰め寄り、大声でこちらをなじり始めた。
(わーん、意味が分からなくても怖いよー!)
渾身の演説を理解してあげられないのは本当に申し訳ないが、知らないおじさんに怒りをぶつけられる状況が純粋に怖い。
ヴィクトルの背がトンプソン氏よりずっと高く、体格で勝っているのでまだ良かった。もしこれが元々の私の身体だったら怖くて泣いてしまったかもしれない。でかい男で良かった。でかい男でも嫌だが。
ギルとダニーが止めてくれようとしているが、残念ながら大人の力には敵わないようだ。
これまで身体を締めるための筋トレしかしてこなかったけれど、現代日本に帰ったら攻撃力を上げる方向の筋トレを追加してもいいかもしれない。
私の現実逃避がいよいよ極まった瞬間、
「君がヴィクターとそれほど深い親交を持っているとは知らなかったな、トンプソン殿」
流麗な英語がトンプソン氏の大演説に終止符を打った。




