7. 1日目⑦ 魅力的ですいません
身代わりとは。ずいぶんと物騒なワードが出てきた。
ぎょっとした私はソルビの生地から具を落としかけ、慌てて手で抑えた。
「ああ、いや、別に危ない話ってわけじゃないんすよ。多分、ヴィクトルはお茶会が嫌だっただけじゃねえかな」
『お茶会?』
ギルは残りのソルビを一口で片づけると、口をもぐもぐさせながら手元の鞄の中を探った。
「見てください、昨日がこの日なんすけど」
ギルが取り出したのは使用感のある革張りの手帳だった。開かれたページはマンスリー形式のカレンダーで、黒のインクで大量の書き込みをされている。
ギルが示した日付にはいくつか単語が書かれていた。
書き込みはほんの数単語だったが、それでも読解には頭を使う必要があった。英語だと分かっていて、「お茶会」というワードを聞いているから何とか読み取れたものの、そうでなければ音を上げるところだった。
これが崩し字として普通なのか、単純にヴィクトルの字が下手なのか。どのみちブロック体のアルファベットしか習ってこなかった日本人に、手書きの英語の読み取りは厳しいものがある。
『このお茶会で何かあったの?』
ソルビの欠片で汚れた手を、ギルが貸してくれたハンカチで拭きながら聞く。
「でかい何かがあったわけじゃないと思います。ただヴィクトルは、なんつーか、人と話すのが苦手で」
「すっげー臆病者なんだよヴィクトルは! 詰められるとすーぐぷるぷるしちゃってさ」
「黙ってろダニー」
言いながらギルはダニーの口元を指で拭い、ついていたソルビの欠片をとってやった。ダニーは食べ方がずいぶんと下手なようだ。九歳の子供はみんなそんなものかもしれないが。
「ヴィクトルが呼ばれるのは大抵金持ちか、貴族なんかが主催してるような茶会なんすけど。そういう所に行くと、ほとんどいつも霊に憑依されて帰ってくるんすよ」
『つまり、お茶会で人と話すのが嫌すぎて、適当な霊を憑依させて身代わりにして切り抜けてたってこと?』
ギルはこくりと頷いた。えー?
『でもあたし、お茶会の記憶はないけどなあ。ええー、貴族のお茶会、めっちゃ見たかったんだけど!』
「お茶会」ってあれでしょ? アフタヌーンティー。お茶とお菓子を囲んで優雅なひとときを過ごすやつ。
大学生になって初めてバイト代を手にし、ちょっと贅沢するぞという時に先輩が誘ってくれたのがホテルのアフタヌーンティーだった。その時は非日常の豪華さにテンションが上がって写真を撮りまくったのを覚えている。
お金持ちか貴族のアフタヌーンティー、絶対めちゃくちゃ豪華だったんだろうな。いいなー、見たかった。あわよくば参加したかった。
「まあだから、そのうち元に戻ると思いますよ。霊が憑依したまま家に帰ってきたときは、いつも一日以内にはヴィクトルが戻ってくるんで」
「だなー。今日どっかで戻るか、明日寝て起きたら戻ってるんじゃねーかな」
『なんだ、そっかあ。もっとセイヴェルを見て回りたかったのになー』
本当に残念だ。ちょっと見て回っただけでこんなに楽しいなら、一週間くらいは憑依させてもらってもよかったのに。
というか、私は本当に死んで幽霊になっているのだろうか?
「あっ、トラムが来たぜ! ほら、あれ! おーい!」
ガタガタと大きな音が遠くから聞こえてきて、四角いトラムの車体がベンチから見える線路の上を通り過ぎていった。
ダニーがぶんぶん手を振りながらトラムを追いかけていく。セイヴェルのトラムの走行速度は私が知る電車よりもだいぶゆっくりなようだ(日本で言う「路面電車」の方が近いのだろうが、私は路面電車のある街に住んだことがない)。
駅での停車に備えて減速していることもあり、小さなダニーでもすぐに追いつくことができた。
トラムの車体は日本のバスや電車の上に、オープンシートを設置して二階建てにしたような形をしていた。中の席は満席に近く、外の二階席には多少余裕がありそうに見える。オープン席に座っている丸い帽子の男性が柵に手をかけて、駅周辺でトラム見物をしている群衆に手を振っている。その横ではシルクハットをかぶった紳士が杖を突いていかめしく座り、豊かな髭を風に揺らしていた。
トラムが耳障りな音を立てて止まると、ダニーを含めた子供や野次馬の大人たちが集まり、物珍しげに車体に触れていく。クラシカルな制服を着た車掌が下りてきて、新しく乗る客のチケットを改め始めた。
『ダニー! トラムを見れてよかったね!』
そのまま人波に流されて行ってしまいそうなダニーを後ろから捕まえる。
「うん! アヤネも見れた? すっげーだろ! 馬もロバもいねーし、蒸気も魔術も使ってねーんだって! なのにあんなでかいのが動くの、意味わかんねー! ほんとすげーよな!」
『うんうん、すごかった、すごかった』
興奮気味のダニーはともかく、ギルには私があまり驚いてないことに気づかれているかもしれない。とはいえ、わざわざ「電車が当たり前の未来に住んでいて」などと説明をする必要はないだろう。あと一日もしないうちにお別れなら、理解の困難な説明を聞かせるよりも、一緒に楽しく過ごす方に時間を使いたい。
「そんじゃ、改めて魔術師ギルドに行きましょうか。あとちょっとっすよ」
中央広場からトラムの通っている大通りに出て、王城の方へ進む。
トラムの終点駅は歩いてそれほどかからない場所にあった。先ほど見たトラムは私たちが歩くのより先にターミナルへたどり着いていて、その周辺を駅員とおぼしき人々がせわしなく動き回っている。
それを横目に見ながらさらに歩を進めると、建物の雰囲気が変わった。
石造りの建物ばかりというのは変わらない。しかし石の壁の滑らかさがまず違う。切り出した石の大きさが違うのか、使っている石の種類なのか、はたまたコンクリートや漆喰のような柔らかい物質を塗り固めて作っているのか。建築に詳しくないので分からないが、住宅街のごつごつとした壁とは明らかに質が違っていた。
柱の頭部分や軒天に精緻な彫刻が施されている建物も多く、玄関口には紋章が掲げられている。大きな窓が長身のヴィクトルでも中を覗けないくらい高い所についていたり、窓枠の縁が彫刻で飾られていたり、それぞれに趣向を凝らされている。
一つ一つの建物の敷地も住宅地よりずっと広いようだ。おそらく人が住むための建物ではない。市役所のような公的機関なのかもしれない。
人通りも中央広場より少なくなり、おしゃべりの声も活気のあるものから、さざめくような上品なものに変わっていった。すれ違う人々の印象が上流になり、服装も一目見てわかるほどランクが上がっている。
その中で使い古しのローブとぶかぶかのシャツを着て歩いている私たちは、相当目立つのだろう。結構な頻度でちらりと見られては、何かを囁かれているのを嫌でも感じてしまう。
視線に気づいてそちらを向くと、さっと目を逸らされた。
『えっ、あたしそんなにカッコいい?』
「……」
『何か言ってよー!』
「ぶはっ」
ギルが噴き出した。大笑いだ。ソルビを買う買わないの問答に関してはすでに割り切っているようだったが、あれ以降こっそり様子を気にしていたので笑ってくれて嬉しい。
「アヤネ、あんた、おもしれー人っすね!」
『褒めてもなんもでないよ? でも、気分がいいからもっと褒めて』
「くくくっ」
兄貴分が楽しそうなのにつられてダニーも笑い出し、私たちはさらに耳目を集めた。魅力的すぎるのも困りものである。
しかし手前の建物の、警備員らしき人がこちらを見ているのが視界に入ったので、ふざけるのはやめることにした。面倒ごとは流石に避けたい。
『冗談はともかくとして。悪目立ちするようなら路地に入るのはどう? この道を通らないとたどり着けないなら仕方ないけど。それとも治安が良くなかったりする?』
「そっすね。路地の方から行くと、ギルド本部の入り口までちょっと遠回りになるんすけど、行けなくはないはずです。治安は……まあ、このあたりなら大丈夫か。まだ明るいし、俺もヴィクトルもタッパのある男っすから」
一応荷物、特に財布には注意してください。
ギルのまっとうな注意を受けて、鞄の位置を改めて身体の前に寄せる。そうして私たちは、大通りから明るい路地へと進んでいった。




