76. 6日目⑦ 孤児たちとの別れ、モロー・レーン
「うん。えっと、そいつがもう門まで来てて、それで……」
「はいはーい、皆注目! 急いで食材をキッチンに片付けて、手を洗ってきて頂戴! 豆と芋はあっち、ナッツ系はギルのところに持っていって。手はきちんとタオルで拭いて。服を使って拭いちゃダメよ!」
何かの話が付いたようで、ラナが子供たちをまとめ始めた。どこか緊張した面持ちでじっと三人の話に聞き耳を立てていた子供たちは、ラナが手を鳴らすとともに動き始める。人の流れが交錯する中、シスターは落ち着きなく玄関の方に向かい、ギルはこちらに近寄ってきて、にかっと笑った。
「すんません、アヤネ。急に客が来ちまったらしくて。アシュクロフトさんちには十八時くらいまで帰れないんですっけ?」
『ううん、十八時まで正面玄関が使えないだけ。お客さんが来るなら帰るね』
「俺はちょっとしたお使いを頼まれたんで、途中まで送っていきますよ」
相当急いでいるらしい。ギルから問答無用の気配を感じて、私は促されるままキッチンの奥の勝手口へ向かった。
「あっ、アヤネ待って! これ」
「ちょっと、ベティ! 手を洗ってからにしなさいよ!」
「もう洗ったもん!」
食材の片づけをしていたベティが私たちに気づいて走り寄ってくる。ラナがその先にいる私に気が付いて、後を追ってきた。
「これ、あげるね。皆とおそろいなの」
ベティがポケットの中から取り出したのは、小さな布袋だった。洗いたてのしっとりした手が掌に触れる。
「これは……?(What's this......?)」
「あのね、ローズマリーよ」
「ローズマリー?(Rosemary?)」
ハーブの名前であることは分かったが、どんな植物なのかはイメージできない。
「ローズマリーの、ポプリね。仲良しの証ってやつ」
長く陽に晒したような白っぽいベージュの目の粗い布地に鼻を寄せてみると、目が覚めるようなすっとした香りがした。
「また会いましょ」
ラナとベティがそう言って、あとから走ってきたダニーも一緒に手を振ってくれた。
「アヤネー! まったねー!」
お使いに必要なのだろう、ギルは大きな袋(トートバッグと呼べなくもない形をしている)を一つ抱えていた。中身はいくつかの布袋に小分けされている。半分持とうかと申し出たが「大丈夫です。見た目より軽いんで」と断られた。
「アヤネはトラムで帰るつもりっすか?」
『うーん。せっかくだから、歩いて色々見て回りながら帰ろうかな』
街歩きが出来るのも、今日が最後になるかもしれない。せっかく地図を手に入れたことだし、時間もあるので、残りの時間は一人で気ままにぶらぶらするのもいいだろう。
そう言うと、ギルは「じゃあせっかくなんで」と言って、トラム駅に向かう道から一つ外れた場所にある商店街へ案内してくれた。
住宅街の路地に近い小道で、日本人が「商店街」という言葉で想像するような広さはない。左右に小さな店が入っているが、それも「軒を連ねる」と表現するにはまちまちだ。
売り子が座っている店は露店ばかりで、細々としたアクセサリーやちょっと洒落たカトラリーから、誰が買うのか分からない古びた道具まで、ごちゃごちゃと並んでいる。露店の後ろが彼らの本当の拠点なのだろう。手作りの小物が並んでいるテーブルの後ろには芸術家のアトリエらしき、キャンバスが積み上げられた家。ちょっとした果物や野菜を並べている店の後ろには家庭用の台所が見えた。
手書きの看板がある以外に商売っ気はなく、売り子はだらりと椅子に座ってくつろぎ、客が通り過ぎても特に反応しなかった。
「ここは、モロー・レーン(Morrow Lane)って呼ばれてる場所です。周りは見ての通り普通の家なんすけど、芸術家がたくさん住んでて。そいつらがちょっとした小遣い稼ぎに作った小物が並ぶんで、好事家なんかがたまに立ち寄ったりします。あとは家で出た不用品も売ってたりするんで、安い道具が欲しい時に覗いたり。昼時には軽食を売ってたりもするんですけど、今はもう終わってるっぽいっすね」
『へー!』
私は目を輝かせた。可愛らしく飾られているが整いきらないこじんまりした手作りのお店や、「たまたま近くにあった紙に書きました」と言わんばかりの値札の隣に並ぶ、よく分からない道具。規模は小さく、人通りも大してないが、のんびりとした時間の流れが好みに合った。
石やレンガで出来た壁の風合いも相まって、まさに異国情緒の溢れる場所だ。日本ではここまで自由に商売している場所を見たことがない。
ギルは「多少時間があるんで、気になる店があったら付き合いますよ」と言ってくれたが、お使いならば早く行った方がいいだろう。少しだけゆったり歩いて、雰囲気を楽しむことにした。どうせじっくり見ても買い物をすることはできない。明後日私がどうなるにせよ、買ったものを日本に持ち帰れるとは思えなかった。
「そういや、この間ロウ・マーケット近くで働いてる友達に聞いたんすけど、あの辺で塩を大量に買っていった男二人組が居たらしいっすよ」
『塩?』
どこかの店の倉庫なのか、穀物や茶葉、調味料の量り売りをしている露店を見て、ふと思い出したらしい。ギルがちょっと含み笑いをしながらそんなことを言った。私は何の話か分からず聞き返す。
「覚えてないっすか? 三日前、女の子に絡んでたガラの悪い奴らを追い払うために、怪しい魔術師のふりをしたじゃないすか。その時、アヤネが言った中に『頭から塩を被って浄化する』とかなんとかがあって」
『ああ……、確かに言ったかも?』
あの時は本当に、適当に思いついた日本語を呪文っぽく唱えていただけなので、内容はほとんど記憶になかった。「塩で浄化」はギルの言った「浄化」というキーワードから連想して口にした気がする。
『えっ、まさか、あの人たちがあたしの適当な言葉を真に受けちゃったってこと?』
ギルが笑いをこらえつつ、こくりと頷いた。
「本当に塩を買ったのがあいつらなのかは分かんねえっすけど、そうだったらおもしれぇなって」
その図を想像してみた。あの連中は最終的に「頭おかしいんじゃねえのか」みたいな捨て台詞を吐いて逃げたはずだ。意外としっかり私たちの作り話を信じていたのだろうか。信じていなかったが、どこかで魔術への恐れがあり、後になって怖くなったのかもしれない。あの時のガラの悪い二人の様子を思い出して、私も笑ってしまった。もしそうだとしたら可愛げがある。
自分が塩をどう使うと言ったのかももう忘れたが、彼らに幸があることを祈ろう。
『あーあ、明後日にはもう帰っちゃうの寂しいなー。もうちょっとセイヴェルをゆっくり見て回れたらよかったのに』
モロー・レーンを抜け、再び閑散とした住宅街に入ったところで伸びをしながら言うと、ギルはわずかに沈黙した。
「それなんすけど……本当にお茶会が終わるだけで戻れると思います? なんか、厄介なことになってたりしません?」
『どういうこと?』




