73. 6日目④ あの喧嘩からもう五日
次に向かうのは東街の孤児院だ。
院の皆とは今日会う約束をしてはいるものの、時間をしっかりとは決めていない。
知り合った四人の内、ギルだけ予定が不安定だったので、彼の「大体十四時から十五時過ぎには院に戻ってると思うんで」という言葉を基準にふわっとした予定にした。臨時アルバイトのような生活をしているギルの予定を、この間二日連続でもらってしまったので、出来るだけギルの仕事に変更を入れずに済む時間にしたかった。
クララのお屋敷から東街の孤児院はかなり遠いので、トラムに乗ろうと地図を広げた。アシュクロフト氏から借りた紙の地図だ。アシュクロフト邸とヴィクトルの家に丸が付いている。万が一また迷っても、これなら人に道を聞きやすい。
「ええと、ここがクララのお屋敷で合ってる?(Umm...... Is this Clara's mansion?)」
「あちらに教会が見えるので、おそらく」
ヘレナと一緒に周りの景色と地図を照らし合わせる。
ヘレナの地理の把握率は私とそう変わらないようだった。メイドという職業柄、外を自由に出歩ける時間が少ないため、ルメインの道に詳しくないのだそうだ。(なんと一日に十二時間は働いている上、丸一日休みの日はないらしい。二十一世紀の日本だったら法律的に一発でアウトな驚きの労働条件!)
私たちの見立てが正しければ、ここから最寄りの駅までは結構歩くようだ。「トラムは音がうるさいので、貴族街では不評なんだよ」とアシュクロフト氏が教えてくれたのを思い出した。
「あ、ねえ、ヘレナ。こっちの道を通って行かない?(Oh, Helena, can we go this way?)」
私は地図の一点、最寄り駅への最短ルートよりは少し大回りになる道を指さしながら言った。
「構いませんが、何かご用事が?」
「そこですることがあるわけじゃないけど、魔術師ギルドに所属している友達、出来るなら会えたらいいと思ってさ(I don't have anything to do there, but I want to meet a friend who belongs to the Wizards' Guild if I can.)」
クッキーを作りながら、出来れば魔術師ギルドのギルド員・ティモシーにも渡せたらいいなと考えていた。会ったのはセイヴェルに来た初日だけだが、あの日あそこで彼に出会わなかったら、一人で夜の街を彷徨う羽目になっていた。
あの夜、ティモシーにとっては何の用事もない場所まで案内してもらった上に、よく考えたら私を送った後、彼は「治安が微妙」と言われている夜の東街を歩いて帰らなくてはならなかったのだ。あの後、無事帰れたのかという確認も含めて、きちんとお礼を言いたい。
大して遠回りにもならず、孤児院での約束の時間にも十分間に合うことを確認し、私たちは最短ルートから少し外れた道を歩き出した。
あわよくばどこかで遭遇できないかと考えていたが、それほど都合よくはいかないようだ。
ティモシーはもちろん、ギルド員らしき風貌の人ともすれ違うことなく、魔術師ギルド本部までたどり着いてしまった。
道中、すれ違うのは仕立てのいい馬車ばかりで、歩いている人は私たちくらいだ。店も一切見当たらない。昼間の住宅街特有のこの静けさが、貴族街らしいのかもしれない。
「入らないんですか?」
魔術師ギルドの大扉の前でヘレナに聞かれて、私は「うーん」と唸ってしまった。
普通に考えれば魔術師ギルドの受付に行って、ティモシーを呼び出してもらうか、クララのお屋敷でやったようにメッセージをクッキーに添えて受付の人に預けるのが常識的な対応だろう。
しかしながら、私はセイヴェル初日に魔術師ギルドの理事とがっつり喧嘩をした実績がある。
今回は理事には会わないにしても、受付の人ともばっちり喧嘩したので、ものすごく運が良くない限り入ってすぐに嫌な顔をされる可能性が高い。あれからすでに五日経っているが、盛大にやり込めた相手に会うのは気まずかった。正確にはやり込めたのはアシュクロフト氏だが。
「いやー、私、前にここの受付の人と揉めちゃってさあ……(Actually, I had a conflict with the receptionist before.)」
私は素直にヘレナに経緯を説明した。
「なるほど。では受付に預けるのは良くないですね。預けたものを渡さないだけで済めばいいですが、いたずらをされてご友人に被害が出ると困ります。食べ物ですし」
「えっ!? 流石にそのようなことしないと思うよ!? するの!?(What!? I don't think they do such a thing, do they!?)」
ヘレナは受付の人が、私からの預かりものに何かすることを危惧しているらしい。動機は私への嫌がらせ。予想外の発想過ぎてめちゃくちゃびっくりした。相手も子供じゃあるまいし、個人的な好悪で仕事を放棄するどころか、悪意を持って害を成すなんてことがあり得るだろうか?
「普通にあり得ますよ」
『うそぉ』
セイヴェルとの文化差なのか、時代格差なのか、それとも私が世間知らずなだけか。あまりの感覚の差を受け止められず目を白黒させた私を、ヘレナは「ふーん」という顔で眺めていた。
まあ、ヘレナの方がセイヴェルの文化に詳しいのだし、受付にクッキーを預ける案は却下にしよう。
「そしたらまあ、ティモシーがそちらに居るかどうかだけ、訪ねるしてみるかー(Well, then, let me ask whether he is there.)」
あまり気は乗らないが、何もしないよりはいいだろう。もし外回りに出ていたとしても、巡回のルートが分かれば会えるかもしれないし。
もしも受付の人が本当に預けたクッキーにいたずらをするタイプの場合、まともに教えてもらえるか疑問だが、勝手によく知らない人の人物像を決めつけるのは良くない。当たって砕けるのみだ。
「私が一人で行って聞いてきましょうか?」
ヘレナの提案は数々の懸念を解決するいい案に思えた。すぐさま頷きかけたが、待てよと考え直す。
「いい考えだけど、でも……出来るかな? ギルド員でもない人に教えてくれるもの?(It's a good idea, but..... Is it possible? You are not a member of this guild.)」
この間、私が突然訪問しても話が通ったのは、私の外身がギルド所属の魔術師、ヴィクトルだったからだ。ちょっとお堅い組織なら、関係者でもない人に職員の情報を聞かれて、ほいほい答えたりはしない。
「アシュクロフト家の使いということにすれば大丈夫かと」
アシュクロフト伯爵は魔術師ギルドの出資者の一人なので、無下にはできないだろうという話だ。なるほど、それならぎりぎり嘘ではない。
ヘレナは間違いなくアシュクロフト家のメイドで、用事があるのはアシュクロフト家の子息の一人だ。ヘレナが「アシュクロフト家の使いです」と名乗った場合に、相手の思い浮かべる人物が「ヴィクター・アシュクロフト」ではないことを除けば、完璧な言い分として成立する。
「……よし。それでいこう(......Sounds great. Let's go.)」
「分かりました。では」
若干グレーな方法だが、悪用するわけでなし。私がゴーサインを出すと、ヘレナはすぐに階段に足を掛けた。
しばらくして情報を手に入れて戻って来たヘレナに「ありがとう、ヘレナもクッキーいる?」と朗らかに聞いたら、即座に「結構です」と断られた。うーん、クール。




