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異世界&ギークス  作者: 弥乃
1章 初めの一週間

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71. 6日目② これはなんの緊張感

 本日最初に訪ねたのはクララとユーリスのところだ。行先はアシュクロフト邸と同じ貴族街にある、ダルトン子爵夫人のお屋敷である。


 ヘレナは今日も私に付いて歩くよう言われているらしい。「結構長い距離を歩くと思うけど大丈夫?」と聞いたら「仕事ですので」と返された。メイドって大変な仕事だな。


 アシュクロフト氏もどこかに用事があるらしく、近くまで馬車で送ってもらえることになった。貴族街に興味津々で窓から眺めていると、アシュクロフト氏がいくらか近隣の説明をしてくれる。その中で「ここから行き先が分かれる」と知った私は、途中で降りて短い距離を歩くことにした。


 昨日の夜まで街を濡らした雨は、朝にはすっかり止んでいた。乾燥気味の気候のせいか、少し湿度を含んだ柔らかい空気が新鮮で清々しい。雨上がりの街並みを歩くと、端々に残る小さな水溜まりが午後の光をきらりと反射した。



「申し訳ございません、アヤネ様。奥様は本日、別のお客様の対応をしております。一日掛かる見込みですので、日を改めてご訪問下さい」


 クララの家の執事に慇懃な態度でそう言われて、私は「しまったな」と思った。上品な言い回しなので半分くらい分からなかったが、多分、クララは別のお客さんが居て会えないと言っているのだろう。事前にこの時間に訪問することを伝えておければよかった。スマホがないこの時代、そういう細々とした連絡はどうやって取ればいいんだろう?


「クララには会えないですか? ユーリスには?(I can't meet Clara? How about Yuris?)」

「ユーリス様も、お客様の対応をされております。本日は一日中お忙しいかと」


 この間の私のように、ユーリスに魔術関連の相談をしに来た人が居るのだろうか。

 そういえばお屋敷の門のあたりで、見慣れない服装の人をちらりと見かけた気がする。彼らが歩いてきた方向は多分、屋敷の裏手の馬車寄せ辺りだった。そのお客さんの使用人だったのかもしれない。


 それにしても、うーん、困ったな。


「私、明後日にはセイヴェルを離れるかもしれないので、挨拶に来たんです(I might leave Seivel the day after tomorrow, so I came here to say goodbye to them.)」


 「お茶会の後に元の状態に戻るかも」という推測が当たった場合、日を改めることが出来ない。とはいえ、クララとユーリスに無理をさせるのも忍びなかった。


「もし可能でしたら、少しだけ机と椅子、借りられるしますか? 短いメッセージを書きたいんです。手土産にクッキーを持ってきました。それと一緒に二人に渡してください(If it's possible, can I use your desk and chair? I'd like to write a short message for them. I brought some cookies for them. Could you give them with my letters?)」


 執事は快く了承してくれた。私とヘレナは、彼の案内で玄関ホール横の小さな部屋に通される。


(……? なんか、ピリピリしてる?)


 玄関先では分からなかったが、すれ違う使用人の雰囲気が張り詰めている気がする。主人の客人である私が通ると使用人は一様に畏まって端に避けるので、具体的なアクションがあるわけではない。例えるなら、スタッフの間で大きな衝突があった後に客を迎えた美容院みたいな感じだ。誰もが自分の仕事をこなしていて、特に何も言わないのに、なんとなく空気がひりついている。


 そういえば、最初に玄関口で対応してくれた私と同い歳くらいの使用人も、心なしか落ち着きがなかった。用件を伝えた時に「確認してまいります」と言って奥へ引っ込んだ時の動作が、ドタバタしていて可愛かったのでよく覚えている。


 その彼女が呼んできた年嵩の執事は流石に落ち着いた様子ではあったものの、やはりどこかピリピリとした空気を纏っていた。


 どちらも本人の性格によるものかと思っていたが、殺伐とするほど忙しいところに訪ねて来てしまったのだろうか?


「よろしければ、こちらをお使いください」


 件の執事が、上質な厚紙で作られたメッセージカードの束を持って来てくれた。私がメッセージを書こうと取り出したのが使い込んだ手帳で、くたびれたカバーに白紙の紙が挟まっていないか探している様子を見かねたのだろう。


 丁度私も、何年手帳カバーに挟まっているのか分からない紙で手紙をしたためることに躊躇いを覚え始めたところだ。有難く頂戴することにした。


(あたしに何かあるってわけじゃなさそうなんだよね)


 歓迎され、敬意を払われているのが分かる。使用人全員の顔までは覚えていないが、何人かは私がクララと楽しくおしゃべりしている場に居合わせた人なので、主人の友達として認識されているのだろう。


(……あ、やばい。あたし、思ったより英作文苦手かも)


 メッセージカードに万年筆を走らせ始めてはたと気づいた。


 喋るのはおおよそ何とかなる。シュワード氏の英語のレッスンでは、初めから覚える文章を文字で提示されていたので気づかなかった。


 自分で英作文をするとなると、所々綴りに自信のない単語がある。言い回しの面でも、話す時は相手がある程度文脈で推測してくれるからおかしな文章でもなんとか通じていたけれど、手紙となるとこれでちゃんと伝わるのかどうか悩んで筆が止まってしまう。


「んー……ヘレナ! 最初にこっちに下書きするから、変な文章になってないか見てもらえない? ……この台無しにしたカードに(Umm......Helena, could you check my messages before I write them on this card? I'll write them here first ...... on the card I spoiled now.)」


 書き損じて、上等なメッセージカードを一枚無駄にしてしまった。ちょっと慎重にならないといけない。書き損じのカードの裏側を示しながら頼むと、ヘレナは微妙な顔をした。


 微妙というか、「えー……、本気で言ってる?」みたいな、不満そうな気配を感じる。


「……私に分かる範囲でしたら」

「うん、分かるところだけでも助かるよ。ありがとう(Yes, whatever you can check is helpful. Thank you.)」


 わずかに漏れた不満をあっという間に隠したヘレナは、きっと優秀なメイドなのだろう。


 ヘレナとは、打ち解けて話せる仲にはなれていないものの、アシュクロフト邸でお世話になり始めてから一番長く一緒にいるので、ある程度プライベートな話も聞いていた。


 ヘレナは農家の出身で、家に居た頃は勉強できる時間なんてあってないようなものだったのだそうだ。そのせいか、本にあまり興味がないらしい。文字を読むのが苦痛なのだという。同じ理由で文字を書くことも好きではないのかもしれない。それでも予想通り、私よりは文法や言い回しの面で頼りになった。


 そうやってヘレナの力を借りながら四苦八苦していると、文章の短さの割に時間がかかってしまった。引っ越しの多い家庭に育ったので、こういうメッセージは書き慣れているつもりだったが、英語だとそうもいかないらしい。


 どうにかこうにか書き終えて顔を上げると、ほぼ同じタイミングでノックの音が響いた。

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