70. 6日目① 英語のレッスン(4回目)
異世界六日目。四回目になるシュワード氏との英語のレッスンは、非常にスムーズに進んだ。
お茶会を想定したロールプレイから始まり、定型文の発音の確認へと続く。ヘレナを筆頭に、通りすがりの使用人に声を掛けては確認を手伝ってもらった発音は、かなり改善されたようだ。昨日から暇さえあればブツブツ呪文のように復唱した甲斐があった。
シュワード氏は今回も、こちらから聞かなければ上手くできているかどうかを教えてくれなかったが、「どうですか、発音できてましたか?」と聞いても鞭が鳴らなくなった。大進歩である。
できていないと指摘された発音を再度確認してノートにメモを取ると、昨日よりだいぶ数が減っていた。
(おおー、やったー。あたし、すごい!)
達成感があるとやる気が出る。あとはこれを授業終わりに重点的に練習して、明日の午前中の最後のレッスンで全部クリアしてやろう。
見通しが立った満足感と共に時計を見れば、まだ午前の終わりまで余裕があった。
よーし、今日は時間通りお昼ごはんを食べれるぞー。いい気分で伸びをしたら、シュワード氏の鞭が鳴った。おっと、いけない。
「やあ、順調かな?」
レッスンの終了予定時刻十分前、部屋にアシュクロフト氏がやってきた。今日はやや軽装で、後ろにケネスを連れている。
「"はい、順調です!" ("Quite well, thank you!")」
今まさに学んでいる最中のフレーズの一つで自信ありげに返すと、アシュクロフト氏は片眉を上げた。
「……合ってました、今の? 何か言う、ください!(Was that okay? Could you ......say something!)」
愉快そうに微笑んで頷くアシュクロフト氏と、良いも悪いも口に出さないシュワード氏。二人の間に共通するものを感じて、私は慌ててフィードバックを求めた。普段なら「何も言わないから大丈夫だったんだろう」と判断するような状況だが、シュワード氏の授業でそれをやるのは危険だ。
「君のほうが詳しいだろう(You know the matter better than I.)」
アシュクロフト氏がさらりとシュワード氏へ話題を流す。
おっ、これも今覚えようとしているフレーズの一つだ! 本物のセイヴェル貴族が実際に使う言葉なんだなあ。
私が当たり前のことに感動している横で、屋敷の主人に話を振られたシュワード氏は畏まって返事をした。
「発音や返答の内容は、及第点かと。ただ、ヴィクター様らしくはありません」
「ふ。そうだね。アヤネ嬢は元気で可愛らしいが、私の弟はもう少し静かな性質なんだ」
快活に返事をしたのが良くなかったらしい。私は「なるほど」と頷きながら、ノートの空いた場所にメモを付け加えた。『全体的に静かに話すこと』。
アシュクロフト氏の本日の用件は事前に聞いていた。お茶会の一日前の、今日この日に、私の英語の習熟具合を確かめに訪れたのだ。お茶会の当日は何かと忙しいので、前日に確認しようと以前から話していた。
「茶会のマナーの確認も必要だろう? 簡単なティーセットを用意させたよ。終わったら、そのまま昼食にするといい」
セイヴェル式のお茶会は社交の場なので、テーブルに豪華な食事が並べられていても、ばくばく好きに食べてお腹を満たすことはできない。本来は常識の範囲で食べて良いそうだが、私の付け焼き刃のマナーでは粗相をする可能性が高い。本番ではせっかくのティーセット、いわゆるアフタヌーンティーのティースタンドも、摘まむ程度で我慢するようにと言われていた。
今日は、練習用に用意されたそれをランチとして食べきっていいらしい。メイドがやや小さめのティースタンドと紅茶をワゴンに乗せてきた。お洒落な銀縁のスタンドには、四角いサンドイッチやスコーン、小さなケーキが数種類、行儀よく並べられている。これ、後で食べていいの? やったー!
ご褒美を目の前に差し出された私は、意気揚々と勉強の成果をアシュクロフト氏に披露した。
「無難な返答が身についているし、マナーも申し分ないね。短期間でよくやってくれた、シュワード」
「恐縮です」
アシュクロフト氏が真っ先にシュワード氏を褒めたので、私はつい目を剥いてしまった。
「ちょっとー! 私も相当頑張りましたよ!? 私も褒める、ください!(Hey! I made a really big effort, too. Please compliment me, too!)」
アシュクロフト氏と何度か話して親近感が湧き始めていたせいもあり、つい子供っぽい不満が口から飛び出した。ひょっとしたら、褒める順序にも序列によるマナーがあるのかもしれない。しかしながら、今回の勉強の成果を全てシュワード氏の功績にされたような言い回しは、ちょっと、かなり、癪に障った。
ほらほらほら、とノートを押し付けながら自分の努力をアピールすると、アシュクロフト氏はあっけにとられ、思わずと言った様子でクッと笑った。
「もちろん、君も見事だったとも。素晴らしい努力だ。よくやったね、アヤネ嬢」
そうだろう、そうだろう。本当に頑張りました。
望み通り褒められて満足した私は、時計を見てあっと思った。いつの間にか十二時半を過ぎている。今日は約束があるのだ。
「シュワード先生、もう授業終わる、しました? 行ってもいいですか? この後、料理人のジョッシュと約束があるの(Mr. Sheward, this lesson was done, right? Can I go now? I have a plan with a chef, Josh.)」
「うちの料理人と? 君に面識があるとは驚きだね」
「英語の練習のため、いろんな人と話して回るしたから(For English practice, I talked with various people around.)」
アシュクロフト氏はほんの少し意外そうな顔をした。多分、この屋敷の厨房は、本来ならヴィクトルが——屋敷の主人に近い立場の人間が、近づく場所ではないのだと思う。厨房に居た使用人たちも皆ぎょっとしていた。
とはいえ、私も無差別に話し相手を探し回っていたわけではない。たまたま水差しの水が空になってしまったから、家の冷蔵庫に飲み物を取りに行く感覚で厨房を訪れ、その場にいた人と少し話しただけだ。屋敷の中では大概ヘレナが一緒にいてくれるのだが、その時は席を外していた。
「私は、明日がセイヴェルにいる最後の日になるかもしれないでしょ? 厨房でクッキーの材料を買ったんです。お世話になった人に挨拶するためのとき、作ったクッキーをあげようと思って(Tomorrow might be my last day in Seivel. I bought some ingredients to make cookies in the kitchen. I want to give them to my friends when I go for greeting them.)」
その時はたまたまのんびりした時間帯だったようで、厨房には椅子に腰かけて休憩を取る料理人と、彼の見守るオーブンが焼き菓子のいい匂いを漂わせていた。その香りで、私は孤児院の友達に、何か手土産を持っていきたいと考えていたことを思い出した。次の約束が皆に会える最後の日になるかもしれない。
そこで、厨房にあるクッキーの材料をいくらか買わせてもらえないか交渉したところ、OKが出た。ランチタイムの後、一時間程度ならオーブンを使っていいことにもなっている。メイド長は私がキッチンに入ることに渋い顔をしたが、表情の乏しい料理人が言葉少なに許可をくれた。
「君は料理が作れるのかい?」
「簡単なものなら(Just easy meals.)」
小さい頃から鍵っ子だったし、大学生になってからは一人暮らしをしていた。生活に困らないよう、自炊は一通り仕込まれている。フードプロセッサーなしでのクッキーの生地作りには思ったより苦戦したが、朝に仕込んでおいたので、あとは切って並べて焼くだけだ。オーブンの使用可能時間が決まっているので、遅れるわけにいかない。
「アシュクロフトさんとシュワード氏もクッキー、要りますか?(Do you want some cookies?)」
「私たちは良いよ。君の友達の分を奪ってはいけないからね」
「そっか、わかった。じゃあ、ちょっと行ってきます(Alright. Then, I'll go.)」
ランチはちゃんと食べに戻るので、そこのティースタンドは残しておいてくださいね!
言いながら、私はどたばたとその場を離れた。相当よろしくない行動だったらしく、背後でぴしりと鞭の音がして、途中でつんのめりかけた。了解。紳士たるもの、廊下をドタバタ走りません。
「……なるほど、ヴィクターらしくはない」
私に聞こえない距離でアシュクロフト氏が苦笑しながら呟き、隣にいたシュワード氏がしみじみと肯定の意を示した。




