67. 5日目⑤ アシュクロフト家の家族写真
ユーリスはその後、私が苦手な音の発声方法を一緒に確認してくれた。「英語のRの発音をするときには舌を口の後ろ側に動かして……」という、日本のテレビか何かで得た曖昧な知識も少しは役に立った。他の五人に発音チェックをしてもらった後ということもあり、発音できない音のピックアップはかなりスムーズに進んだ。
この時に作ったノートが無ければ、シュワード氏を説得するのは困難だっただろう。何度聞いても違いが分からないLとRの音を、この方式で出し分けられるのを見せた後は、驚くほどスムーズにことが運んだ。
私が発音して、シュワード氏が違和感を感じる音をチェックする。チェックした音の口の形と舌の使い方にどう違いがあるのかを分析する。覚える定型文が限られているとはいえ、根気の必要な作業だった。最後の文までチェックし終わった頃には、昼食の時間を大幅に過ぎ、おやつの時間になりかけていた。
「辛抱強い先生ですね、シュワード氏って。正直、最初は怖いし、融通も利かなくて困った人だなーと思ってたけど(Mr.Sheward is a...... patient teacher. Honestly I thought he was just a difficult person because he was scary and stubborn.)」
説得は大変だったが、一度納得しさえすれば試行錯誤に最後まで付き合ってくれた。ずっと年上で、おそらく社会的にも高い立場にいる人だろうに、出自不明な外国人の幽霊(だと思われている私)が反論しても、生意気だと無理矢理黙らせるようなことはしなかった。
「たった数日の付き合いで、その感想が出る君には恐れ入る」
アシュクロフト氏は苦笑した。
「幼い頃の私は、もっと強く反発していたよ。両親の手前、黙っていたがね」
教師に反発するアシュクロフト氏は、今の紳士然とした姿からは想像できない。しかしシュワード氏の授業の仕方を思い出せば、「そりゃそうだろうな」という感想に変わった。あのやり方に反発しない人なんているんだろうか? ヴィクトルだってきっと大変だったに違いない。
「ヴィクトルも、シュワード氏の授業、受けていたんですよね? 家族全員そうなの?(Victor took Mr.Sheward’s lessons, right? Did all of your brothers take his lesson?)」
「シュワードのスケジュールが埋まっていない限りはそうだね」
セイヴェルの貴族の子息は、基礎教育を信頼できる家庭教師から受けるのが一般的らしい。家庭教師は子供が成長したらお役御免になるので、シュワード氏も時期によっては別の家の家庭教師をしていたり、大学で教鞭をとっていることがあるのだそうだ。
「いい機会だ。我がアシュクロフト家について説明しようか。茶会までに最低限、母の顔を覚えてもらわなければならないと思っていたんだ」
そうアシュクロフト氏に促され、私たちはサンルームから応接間に移動した。廊下からついてきたメイドが昼なのにランプを灯したのは、雨雲に覆われて足りない窓明かりの光量を補うためだろう。アシュクロフト氏が人払いをしたので、彼女たちは入れ違いに部屋を出ていった。
アシュクロフト氏はゆったりとした足取りで、ソファセットの裏、部屋の中央の壁の方へ案内してくれた。火の入っていない暖炉の上のマントルピースや、その近くのサイドテーブルの上に、沢山の写真が飾られている。
「これが私とヴィクターの母。メアリー・アシュクロフトだ」
示された写真には、ヴィクトルによく似た目元の女性が写っていた。ヴィクトルと同じようにひょろっとした痩せ型で、髪の毛にふわふわとボリュームがある。白黒写真なので髪の色までは分からないが、色の濃さはヴィクトルと同じくらいに見えた。
一緒に写っている少年はヴィクトルだろう。今よりも髪が短く、気の弱そうな面立ちをしている。
「そういえば、ヴィクトルの本名、ヴィクターですか?(By the way, Victor's real name pronounce "Victor" (not "Viktor")?)」
最初は、アシュクロフト氏がヴィクトルを「ヴィクター」と呼ぶのは愛称か何かだと思っていた。しかし日記を書きながら、ヴィクトルの名前の綴りを見て思ったのだ。
"Victor"——このアルファベットの並びを英語の読み方で読むなら、「ヴィクトル」ではなく「ヴィクター」になるのではないだろうか?
「そうだよ。ヴィクター・アシュクロフト。"Victor"を『ヴィクトル』の音にするのは、ドイツ語やフランス語風だね」
フランス語やドイツ語はセイヴェル人にとって外国語のはずだ。どうしてヴィクトルの名前だけ?
「孤児院の皆は『ヴィクトル』って呼んでたけど……(His orphanage friends call him "Viktor"......)」
ユーリスも、確かティモシーもそうだったはずだ。むしろ私がこれまで知り合った人達の中では「ヴィクター」と発音する人の方が珍しい。
「どうやら、魔術師としては『ヴィクトル』と名乗っているようだね。あの子がどうしてそうしたのかは知らないが」
「魔術師は、本名を名乗っちゃいけない決まりがあるとか?(Maybe there's a rule that wizards shouldn't tell anyone their real name, perhaps?)」
なんとなく、ファンタジー系の作品を思い浮かべながら言った。怪物に本名を知られると致命的になるので、偽名を名乗ったり、言いくるめて誤魔化したりする冒険譚があったはずだ。
「どうだろうね。今度、魔術師ギルドに行ったら聞いてみよう」
写真を見ながら、ついでにアシュクロフト氏の父、妻、子供と順番に家族を紹介されていく。ヴィクトルにはアシュクロフト氏以外にも兄弟がいるらしい。
アシュクロフト氏の奥さんと子供を屋敷の中で見かけないと思ったら、今は首都から遠く離れたアシュクロフト家の領地で暮らしているそうだ。毎年社交の季節だけ、首都ルメインの屋敷に滞在するらしい。そういう慣習なのだそうだ。
「アシュクロフトさんたちのお母さんは、明後日のお茶会に来るんですよね? もうこのお屋敷にいるんですか?(Your mother will be coming to the tea party the day after tomorrow, right? Is she already here?)」
だとしたら、挨拶くらいはした方がいいのではないだろうか。いや、私はまだヴィクトルのふりを相槌ですらこなせないのだから、むしろ隠れて会わないように気を付ける方がいいのかもしれない。
「いや。母は今、友人の家に世話になっているんだ。懇意にしている夫人が居てね」
その夫人が明後日のお茶会のホストに当たるのだそうだ。顔を覚えておきたかったが、残念ながら応接間に飾られている写真の中には映っていなかった。
「まあ、本物のヴィクターが、夫人の顔と名前を憶えているかというと微妙なところだからね。知らなくても大した問題にはならないだろう」




