65. 5日目③ 授業方針変更要望
時間は再び昨日の食事会に遡る。
「うふふっ! 何それ、おかしいの!」
話の流れでゴリゴリの日本語読みの英語を披露したところ、ベティとダニーにそこそこウケた。「アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ」とかそういうのだ。
オーブンの修理が終わり、あとは焼きあがるのを待つだけのゆったりとした時間帯のことだった。煮込んでいるスープの様子を見るくらいしかすることも無くなり、思い思いに雑談をする中、発音ノートの話からレッスンでどんな風に困っているのかをダニーに聞かれ、私は素直に答えていた。
ついでにどれくらい私にとって英語が難しい言葉かを実演して見せた時の反応が、先ほどのベティのセリフである。普段、通訳魔術を使わないときは出来る限り英語っぽい喋り方をしているので、わざと日本語らしさを強調した英語はものすごく奇妙な音に聞こえたらしい。
「今の変な喋り方を聞いたらさ、そのせんせーも分かってくれるんじゃねえの? アヤネが聞いただけじゃ英語を分かんねーんだってさ」
ひとしきり笑って落ち着いたらしいダニーが、建設的な意見をくれる。
「うーん、でもあの先生にちゃんと聞いてもらえるかなあ(Umm......I wonder if the teacher will listen to my opinion.)」
皆にいくつもアドバイスを貰ったはいいものの、頭の中のシュワード氏は頑なで、こちらの言い分を聞いてもらえるところが想像出来なかった。
「じゃあさ、アヤネがめちゃくちゃ外国人だって分かるもんでも見せればいいんじゃねえ?」
「めちゃくちゃ外国人って?(What's ......uh, "proper foreign"?)」
直訳すると「適切な(proper)外国人」だろうか? 通訳魔術でもよく分からず、被って聞こえた英語の音を何とか拾った。ただの外国人とどう違うのだろう?
「ロウ・マーケットで買い物してた時、なんか変な字書いてたじゃん。あの、絵みたいなの」
「ああ、日本語の文字のこと?(You mean Japanese characters?)」
買い物をしたときのメモは手元に残っていなかったので、私はノートの空いた欄に適当に文字をつづった。戸松絢音。私の名前だ。
「そうそう、それ! すげー複雑! やっべー」
ダニーはけらけらと笑う。
漢字の中ではそこまで画数が多い方ではないが、確かにアルファベットと比べたらかなり線が多い。ベティは不思議そうに文字を眺めて、「これ、何て読むの?」と小首を傾げた。
「これ見たらさ、アヤネが全然違う国から来たって分かるじゃん。外国人だから英語が難しいってことも、分かりやすくなるんじゃね?」
「えー? そうかなあ(Will he?)」
シュワード氏には最初からずっと「私が外国人である」という認識があるはずだ。わざわざそこを強調したところで、何か変わるものだろうか?
どう思う、と周りを見渡すと、興味を持った何人かが日本語の書付を覗き込み、一様に不思議そうな顔をした。
「アリかもしれないっすね。見慣れねえし、一目で『なんだこれ、分からねえ』って思えるくらい複雑に見えます」
「うん……。あんた、見た目がセイヴェル人だし、結構英語をしゃべるからあんまり感じなかったけど、本当に全然違う国から来たのね」
私が意味不明な日本語のノートをシュワード氏の前に突き付けたのは、このアドバイスに従った結果だった。
聞いたときはそれほど効果があるとは思えなかったので、事前準備は何もしていない。今見せたのは、昨日皆と話しながら書いていただけの雑多なメモだ。
突然翳された外国語の書付に、シュワード氏は大きなリアクションを示さなかった。
が、言葉の応酬が止まっている。薄い色の瞳の中に「なんだこれは」という感情が浮かび上がるのを、私は見逃さなかった。追撃のチャンスだ。
「ここ、読みます。聞いてください。『明日の授業までにヘレナが空いてなかったら、他のメイドさんに頼めるか確認してください』……この文章が貴族らしい話し方なのか、下町の子供らしい話し方なのか、判別がつきますか?(I'll read here. Please listen. ............Can you tell if this sentence was the way rich people speak or the way working-class kids speak?)」
どこを読んだのか分かりやすいよう、メモの上の文章をなぞりながら問う。
「…………」
「しっかり聞けばわかると言われるたび、私は……途方にくれます。今のあなたと同じように(I always feel......um...... lost, whenever you say "You can understand if you listen carefully." Like you do now.)」
シュワード氏は沈黙した。
私はその様子をじっと見て、彼が自分からこちらに視線を向けるのをじりじりと待った。
目が合う。
強い反論の言葉が出てきてもおかしくないと思っていたが、シュワード氏は何も言わなかった。やはり、基本的には理性的な人なのだと思う。それなら上手く話せば、きちんと通じる相手のはずだ。
「どうか、もっと詳細が……説明が必要なことを理解してもらえませんか。ヴィクターならあなたの授業について行けたかもしれませんが、私はあなたやヴィクターとは全く違う文化の中で育ったんです。(Could you understand that I need more detail...... explanation? If I were Victor, maybe I could keep up with your class. But I grew up in a totally different culture from you and Victor.)」
下手に出て、日本語のノートのインパクトを言葉で調整する。ノートを持ち出し、外国語の聞き取りを実演したのはあくまでも文化の違いを体感してもらうことが目的で、決してシュワード氏をコケにする意図はないのだと示しておく。
「あと三日でお茶会です。それまでに私たちは、ヴィクトルの……ヴィクターの代わりが務まるように準備をする必要がある。(We have only 3 days until the tea party. We have to prepare for it. I have to master Victor's manners.)」
さらに、私たちには共通の目的があることを強調する。異なる教育論をぶつけ合う敵ではなく、アシュクロフト伯爵の依頼という、同じ目的を共有する仲間なのだ。
「ここには母国語の辞書もありません。私が貴族の言葉を覚えようと思ったら、頼れる人があなたしか居ないんです(I don't have Japanese-English dictionary. If I want to learn aristocratic manners, you're the only person I can rely on.)」
その上で、眉を下げて困り顔を作る。声に感情の揺らぎを乗せ、不安を伝える。あなたが困りごとの解決策を持つ唯一の人間なのだと念を押し——
「教え方を、変えてもらうことはできませんか? ……アシュクロフトさんのためにも(Could you change the way you teach? ......For Mr. Ashcroft.)」
最終的な要望を真剣かつ端的に伝え、さりげなく立場が上の人間の名前を添えてみせた。
「…………」
長い沈黙の間、私は余計な言葉を重ねそうになる口を、唇に力を入れることで押さえた。代わりにシュワード氏の白が混じった口髭を、じっと見つめて耐える。
——交渉って、相手を言い負かすことじゃないのよ。関係性を作るための対話なの。相手に聞いてほしい意見があるなら、相手のペースもちゃんと考えなきゃね。
起業する前、母が必死に勉強していた会話術の話はいつも面白かった。
実戦経験が浅い上、拙い英語でどこまで通用するのかは賭けだ。それでも今、私に使えそうなスキルはこれくらいしかない。
「…………なるほど」
ようやくシュワード氏が口を開いた。表情は厳めしいままだが、苦々しさは読み取れない。上手く伝わったか。
「理解しました。三日後に間に合うよう、授業方針を見直しましょう」
私は心の中でガッツポーズを決めた。




