64. 5日目② 想像してください
「あなたは……」
窓から入ってきた近所の犬が足を組んで椅子に腰かけ、前足で優雅に紅茶を飲み始めたら、こんな顔をするだろう。
私自身に対してかなり失礼な描写だが、シュワード氏の今の表情を形容するならそんな感じだった。先ほど眉間に深く刻まれていた皺は、いつの間にか消えている。
「本当に、ヴィクター様とは別の人間なのですね」
「えっ、今そこ?(What? You didn't know that until now?)」
今の今までその認識がなかったのなら結構な問題なのでは? これまでの授業の前提が全部おかしかったことになってしまう。
「あなたという霊が、ヴィクター様の代役を務めるための授業だということは聞いています。しかし……」
そこまで言いかけて、シュワード氏は我に返ったようだ。再び厳めしい顔を取り戻した。
「発音が改善されているのは事実です。が、ややおかしな癖が見られます。下町の子供のような汚い音は控えるように」
毎度毎度、シュワード氏の言い回しは私にとってレベルが高すぎる。いつも通り、何度か聞き返してようやく内容を理解した。
「そりゃあ、半分くらいの英語、下町の子供に教わったから(Of course. I learned half of my English from working-class kids.)」
シュワード氏が奇怪なものを見た顔をした。今日のこの人は表情が良く変わる。
「下町の子供に……? 一体何故」
真っ先に「あなたが『自分で学べ』と言うからですが?」という気持ちになった。次いで、やっぱりな、という納得が上回った。この人にはやっぱり、私が何に困っているのか全然伝わっていなかったのだ。
「どうぞ想像して。知っている人が誰も居ない、言葉もろくに話せない外国人の幽霊が、やってきて四日で貴族な友達、作れると思いますか?(Please imagine. If you were me, could you make aristocratic friends in just 4 days? You didn't know anyone in this country, and you couldn't speak English well.)」
そもそも貴族とは、庶民がおいそれとお近づきになれるものでもないだろう。もし運よく知り合えたとしても、得体のしれない幽霊と友達になりたがる物好きとは限らない。私がアシュクロフト氏やクララと知り合いになれたのは、ひとえにアシュクロフト氏がヴィクトルの家族だったからだ。
「だからといって、下町の子供と友人になる必要がどこにあるというのですか。人間の品位は付き合う相手でも測られるのですよ。アシュクロフト家に悪評を立てる真似をし、なおかつ汚い言語を覚えてくるなど言語道断です」
またかみ砕いて言い直してもらい、ゆっくりと意味を理解して、かなりムッとした。友達の言葉を「汚い」と言われるのも腹が立つし、悪評が立つってなんだ。ギルとダニーは親切ないい子たちだ。彼らが居なかったら、私はきっとセイヴェルを楽しむどころじゃなかった。
それに私と出会う前から、彼らはヴィクトルの友達だ。これまで接してきた感じ、彼らが良い関係を築いているのは間違いないのに、この人の中でそれは「品位を下げる行い」なのだ。ギルのこともダニーのことも知らないくせに。
「あなたが演じるのは貴族の子息——ヴィクター様なのですよ。私の教える言葉と、彼らの言葉が大きく異なるということくらいは、理解できると思いますが」
「理解できませんよ(No, I can't.)」
口から出た拙い英語は、きっちり不満を伝えてしまった。こうなると当然、シュワード氏の態度も硬化する。
「しっかりと聞いていないからです」
「聞いても分からないんです(I can't understand even if I listen carefully.)」
「何度でも聞きなさい。もっと真剣に」
「真剣に聞くしています。でも聞くだけじゃ不可能なんですってば!(I'm listening seriously. But it's impossible for me to understand that!)」
「初めから諦めていては何事も成せません。先日も申し上げたはずですが」
不毛な押し問答が始まってしまった。問答のペースが上がるにつれ、私の頭は逆に冷えていく。
このままヒートアップするのはまずいな。シュワード氏を説得して授業を実のある形に整えたかっただけなのに、方向性がどんどんずれてしまっている。何か打開策はないか。
私は視線だけで辺りを見回した。見つけたノートのページに、昨日ダニーたちからもらったアドバイスの一つを思い出す。正直効果は半信半疑だが、今は他の方法が思いつかない。
私はノートを手に取り、急いでページを捲った。目当ての一ページを見つけて開き、シュワード氏に突き付ける。
「見て下さい、これ!(Look at this, please!)」
そこには、大量の日本語の走り書きがあった。
『戸松絢音』『ラナとベティと友達になった! わーい!』『セイヴェル』『ドリフィ・ローフ、チーズ入りの方がおいしいかも?』『ダニー』『ベティ』『明日の授業までにやること 早起き→ノートの復習→ヘレナに付き合ってもらう ヘレナが空いてなかったら他のメイドさんに頼めるか確認』




