63. 5日目① 英語のレッスン(3回目)
「どうですか? できてるかどうかくらい教えてくださいよ、先生(How was that? Could you tell me if that was okay or not, teacher.)」
「…………」
この英語が喧嘩腰に聞こえるかどうか、友達に確認しておくべきだったな。
異世界五日目の午前。英語のレッスン三回目。もともと厳めしい教師の顔——シュワード氏の顔に、苦々しさが広がっていくのを眺めながら私は思った。後の祭りである。
まあ、「正解は自分で学ぶもの」と言っている人に「これって正解ですか?」と聞いているので、どんな言葉でも同じ結果になったような気もする。
何も言わずにノートを捲り始めたシュワード氏につられて、束の間気を逸らす。
窓の外は雲に覆われ、鈍い光を零していた。今日は雨だと聞いていたが、今のところ降ってはいない。湿度は低いながら黒い雲が遠くに流れているのが見えるので、予報はきっと当たるだろう。
今日の授業も前回の復習から入った。昨日と違うのは、知識としてのフレーズを総ざらいしてからロールプレイが入ったことだ。
ロールプレイというのは特定のシチュエーションを想定し、教師と生徒が役割を演じる形で行う会話練習を言う。今回で言えばシチュエーションはお茶会、シュワード氏がお茶会のホストや顔見知りの貴族の役、私がヴィクトルの役になる。
これは私にとって、それまでの授業より格段に充実した時間になった。シーンの中で不自然な言い回しを選べば、鞭の音と指摘が入る。間違っているかすら指摘してもらえない発音の練習よりはずっと成果が分かりやすく、やりやすい授業だった。
冒頭の質問は、ロールプレイを一通り終えた後、個々の発音についての確認を私が無理矢理ねじ込んだ結果である。
今回はシュワード氏と対決する姿勢で挑んだ。こちらの努力が視覚的に分かりやすいよう、びっしりとメモ書きをしたノートを目の前に広げて見せる。前回のように「怠慢」だのなんだのは言わせない。
このノートは、昨日から隙あらば作っていたノートだ。クララに「授業外ではメイドに練習相手になってもらって、授業で細かいところを修正する形にしたらどう?」というアドバイスを貰って以来、出会う人全員を先生と思いながらちょくちょく発音を確認してもらっていた。
「え? 発音練習って、俺たち相手にですか?」
昨日のドリフィ・ローフ作りの最中にも、ギル達に協力を頼んだ。予想外に驚いた顔をされてこちらも驚いた。ギルの通訳により私の頼みごとを理解したラナも、信じられないものを見た目でこちらを見ている。ダニーとベティはきょとんとしていて、ヘレナはいつも通り表情を変えなかった。
『えっ、そんな変なこと言った?』
ギルとラナが微妙な顔をしながら説明してくれた。
「変っつーか、あー、変わってはいるけど……」
「私たちみたいな孤児に発音を習いたいって人、あんまりいないわよ。あんまりって言うか、全然いないわ」
なんでも、一般的に『孤児は発音が汚い』と揶揄されがちなのだそうだ。普段の生活の場で使う普通の言葉が、聖職者やお金持ち、いわゆる社会階級が上の人にとっては耳障りに聞こえるらしい。
「ま、何がそんなに気になるのか、私には全然分からないけど!」
ラナは何か嫌なことを思い出したのだろう、眉を顰めて吐き捨てた。
「それよ(That's it.)」
「え?」
私はその言い方に激しく同意した。自分の言葉のどこが間違っているか分からない。自分では普通に、あるいは相手と同じように話しているはずなのに——まさにシュワード氏の授業で私が直面している問題である。
「つまりね、あたしは発音、『きれい』とか『汚い』とかいう前に、英語らしい音すら話すできないんだよ(I mean, I can't even make the sound like English. Before talking about pronunciation is good or bad.)」
言語学系の授業でこのあたりの説明をしていた気がする。
大学の学期の始まりには各講座のお試し受講期間がある。その中で齧っただけなので記憶はだいぶ曖昧だが、確か、言語によって「意味のある音」の区分が違うとかなんとか。日本語と英語では使っている音が違う、みたいな話だった。
あの講義を取っておけばもっと上手い説明ができたのかもしれない。講義内容は面白かったが、卒業に必要な単位ではなかったし、一限の早起きが必要な授業だったので取るのをやめてしまった。
「ラナ達の英語と、アシュクロフトさんみたいなお金持ちの英語の違い、全然分からない。全部ひっくるめて『難しいなー』って感じ(I can't distinguish your English from the English rich people like Mr. Ashcroft speak. It's all difficult for me.)」
だからね、と私は持って来た英語レッスンのノートをみんなの前に広げた。二回目の授業で、発音が出来ていないことが分かった言い回しを全部メモしてある。
『あたしがここに載ってるフレーズを発音してみるから、皆が「英語として変」って感じるところを教えて欲しいんだよね。一人一人違っていいからさ。たくさんの人が「それおかしい」って感じる場所は「英語としておかしい音になってる」ってことになりそうじゃない? それぞれ英語の話し方が違っても、この場にいる六人全員に聞けば共通して変に感じるところが分かると思うの』
この長い説明は英語ではうまく伝えきれなかったので、日本語で話してギルに通訳してもらった。見た感じ、私がやりたいことと、理屈にはおおよそ納得してもらえたようだ。
「いいわよ。手伝うわ。下ごしらえの間は口も耳も空いてるしね。でも、料理の邪魔はしないこと。あんたも勉強するのはいいけど、手だけはきっちり動かしなさいよね」
料理の総監督、ラナからお許しが出た。
そんなわけで、私はドリフィ・ローフ作りの間中、自分の担当の調理道具を持って一人一人の隣に移動して回っていた。下ごしらえの時間を利用して、その場にいた英語ネイティブ六人分の発音チェックを受けたのである。
その上で、今日は朝から重点的に直した方がいいと分かった発音を練習してきた。発音の監督はヘレナだ。
「…………発音に関しては、昨日よりも改善の兆候が見られます」
「よっしゃー!(Yeees!)」
苦々しい沈黙ののち、シュワード氏から初めて肯定的な言葉が出た。私は反射的にガッツポーズを決め、シュワード氏の手元の鞭が大きく鳴った。
「下品な動作は控えるように」
ガッツポーズが下品かどうかはともかく(そもそもこの国に存在するポーズなのか?)、貴族らしい動作でないことは理解できたので「はぁい」と答える。「間の抜けた返事をしないように」と再び注意が飛んだ。イエッサー。
「よぉし。それじゃ、改善されてないところを教えてください。明日までに練習して直すしてきます!(OK. Then, could you tell me the points I should correct? I'll practice and correct these points by tomorrow.)」
「…………」
うきうきしながら万年筆を構えると、シュワード氏は無言になった。
作者体調不良により、7/27(月)の更新を7/29(水)に変更します。




