60. 4日目⑲ そこに何が
ルメインに住むようになったのと、クララと友達になったのと、ヴィクトルと出会ったのがおおよそ十年前。
その前は別の街に住んでいて、その街が小さな集落だった頃から定住していた。
さらにその集落に住む前は、「長く旅をしていた」。
その上、ルメインに来る前の時点で、ユーリスには教え子が居た。と、なると、
「ユーリスって、いくつなの? 見た目より絶対上だよね?(How old are you? You're definitely older than you look.)」
外見年齢で考えれば、ユーリスは今二十代前半。ルメインに来た時点で十代前半ということになる。その時点で先生になれるほど魔術師として成熟していて、小さな集落が街になるまで見守っていて、さらにその前は長く旅をしていて?
「小さな集落が街になるまでの年月」も、「長い旅」がどれほどの長さなのかも、魔術師の一般的な成長過程も知らないが、流石に無理があるのではないだろうか。絶対的に年齢が足りない。
究極の若作りなのか、ものすごく若く見える人種なのか、はたまたどこかで話がすれ違っているのか。とにかく何かの説明が無いと整合性が取れない。
「…………?」
質問に対するユーリスの反応は、一言で言えば「困惑」だった。
最初、彼は私の発言を冗談として受け取ったように見えた。次に、私の真剣な顔を見てどう受け取ったものか戸惑う顔をし、微笑んだまま質問を返す。
「失礼ではないと思いますが……どういう意味でしょう?」
「だって今の話だと、二十歳じゃ足りない(Because from that story, 20 years old isn't enough.)」
彼はおかしな話を聞いた顔をした。
「二十歳じゃ足りない?」
「えっと……(Um......)」
どう説明したものだろうか。時間の概念を理解するのも、伝えるのも、英語で正確にできる自信がない。何かに書いた方がいいかもしれない。
私は辺りを見渡して、書くもののありそうなヴィクトルのデスクに歩み寄った。
「何か誤解がありませんか? 私は、————」
ユーリスは私の行動を見守りながら答え、——その声が、途中で途切れた。
軽く折り目の付いた何も書かれていない紙と万年筆を見つけた私は、デスクの上にそれを広げ、時間軸を表す横線を書き込み始める。そこでようやく、ユーリスが黙り込んだことを不思議に思って振り返った。
「どうかした?(What's up?)」
ユーリスの表情が、完全に抜け落ちていた。
常に湛えている微笑は消え、それどころか人間的な感情を丸ごとどこかに置いてきたかのように、ぽっかりと表情が失われていた。血の気の失せた、紙のように白い肌が美しい顔立ちを無機質に変え、まるで生きたまま蝋で固められた人形のように、微動だにせず固まっている。
「ユーリス……?」
その視線は私ではなく、デスク横の窓へ釘付けになっていた。
不思議に思ってそちらを振り返ったが、夕焼けに染まりかけた明るいオレンジの空が窓越しに広がっているだけだった。隣の家の石壁が、薄青い影をこちらに投げかけている。
「——……ぁ」
目を見開くと同時に小さな呻き声を漏らし、ユーリスの身体がゆっくりと傾ぐ。両手で自分の首を押さえ、その指先が肌に食い込むのも構わず押さえつける。ヒュッ、と嫌な呼吸音がする。巻いたばかりのカモミールティーの湿布が寄れて、結び目がぐしゃりと歪む。
「——ユーリス!?」
痩身を咄嗟に受け止めると、掌が汗で濡れた肌を滑った。脂汗が酷い。喉から漏れる喘鳴が徐々に早くなっていく。全身がかすかに震えている。
『ユーリス、ユーリス! 大丈夫!?』
この時ほど自分が成人男性の身体になっていて良かったと思ったことはない。ユーリスの身体は見た目よりもしっかりしていて重かったが、一回り大きなヴィクトルの身体のおかげで支えるだけなら余裕だった。
少しばかり苦労しながらユーリスの身体を抱え、すぐそばのベッドに寝かせる。
ユーリスは胸を大きく上下させながら苦しげな呼吸を繰り返し、きつく目を瞑っていた。
「あっ、あああ……、ぐ……ぅあ……っ」
『ユーリス!』
何とかベッドに横たえ、どうしたものかと目を離した瞬間、ユーリスの喉から絞り出したようなうめき声が上がった。
胸元を押さえていた手で、今度は頭を押さえはじめる。白くなった指の爪が地肌に刺さり、結われた長い髪を乱す。苦しさを逃がそうとして頭を敷布にこすり付けて暴れる。
ベッドから落ちかねない身体を抑えながら、私は必死に頭を回転させた。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう!? お医者さんを呼びに行く? ……どこに!? ヘレナを呼びに……でも馬車が停まってる場所を知らない! ギル達なら孤児院への道の途中で会える可能性がある? 最悪、孤児院まで行けば……でもこのままユーリスを一人にするのは)
考えているうちに、暴れていたユーリスの身体から力が抜けていった。頭を押さえる指が外れ、だらりとベッドの上に落ちる。荒い呼吸音にまぎれ、かすかな声が耳を掠めた。
「……して、リュ、……ラ……」
うわ言をどうにかして聞き取ろうと顔を寄せたが、うまく意味が取れない。外国語でなければ理解できたかもしれないのに。
歯噛みしながら覗き込んだユーリスの瞳は、焦点が合っていなかった。
「ユーリス、何て言ったの? 何か欲しいものがある? ユーリス(Yuris, what did you say? Do you want anything? Yuris.)」
声を掛ければ、ピクリと目元が反応したが、視線がこちらに向くことはなかった。瞳が閉じられ、身体が弛緩していく。
『ユーリス……!』
そのまま力尽きたように倒れ、身動きをしなくなった。
(……。よかった、気を失っているだけみたい……)
胸の動きから息を確認してほっとする。脈も多分問題ない。顔色は悪いが呼吸は正常で、先ほどのように苦しむ様子もない。
私はベッドの上でユーリスの身体を転がして、楽な体勢を取らせた。それからタンスの中を探して綺麗そうなハンカチを見つけ、ユーリスの汗を拭う。額に触れたが、熱は特に無いようだ。
(あと、こういう時どうすればいいんだったっけ。服を緩めたほうがいいんだっけ)
貧血か何かの対処法な気がするが、何分知識が乏しい。突然倒れた原因も分からない。私は気が動転したまま、思いついたことをやっていった。
ヘレナが戻ってきたら近くに病院がないか聞こう。馬車があるから寝かせたまま運べるはずだ。二階からユーリスを運ぶのは一人だと難しいかもしれないが、御者に手伝ってもらえばなんとかなるだろう。
ユーリスの靴を脱がせ、シャツのボタンをいくつかと、ベストのボタンを外しながらこれからの算段を考える。
と、ピクリとその身体が動いた。




