58. 4日目⑰ 失礼な人
食事会が終わり、各々が食器洗いや動かした家具の片付けをしているうちに日没が近づいてきた。孤児院の子供たちはもう帰らないとまずい。
「悪いわね、残りの片付け任せちゃって」
「あとちょっとだから大丈夫だよ。今日はありがとう。また明後日にね!(It's alright. It's almost done. Thank you for today. See you the day after tomorrow!)」
ラナやギル達とはお茶会の日の前日、つまり私がセイヴェルから離れるかもしれない日の前日に孤児院で会う約束を取り付けた。明後日は晴れるといいな。
私とヘレナとユーリスは同じ馬車で帰る予定だ。一番時間のかかる食器洗いはすでに終わっていて、残り少ない掃除を分担した。ほどなくして担当作業を終えたヘレナが馬車を呼びに行く。
昼過ぎに迎えに来たクララの家の馬車が、少し離れたところにある馬車寄せで待っているのだ。ユーリスが食事会に参加することになったので、食事会前に迎えに来た御者に予定変更を伝えたところ、近くで待機してくれることになった。
「何度もお使いにする、ごめんね(Sorry for making you a messenger again.)」
こういう時、スマホや車の便利さを実感する。馬車がクララの家に一旦戻る選択をしなかったのは、遠くにいると帰りの時間に呼びに行けないから。家の手前で待機できないのは、車と違って馬に生理現象があるからだ。
「仕事ですので」
ヘレナの返答は相変わらずクールだった。玄関先から見える空は、日が傾きかけて黄色くなり始めている。
ヘレナの背中を見送ってからリビングを振り返ると、ユーリスの姿はなかった。暖炉の残り火を処理していたはずだが、暖炉前には誰もおらず、薪の燃え残りも灰もすっかり片付けられている。最初に見たのと同じ場所に火かき棒が行儀よく立て掛けられていた。
(…………)
そっと洗面所を覗いたが、そこにもいない。
私はふっと軽く息を漏らした。ちょっとした苛立ちを晴らす、無意識の行動だった。
私は床の掃き掃除を手早く済ませ、掃除用具を階段下の物置に突っ込んで片付けた。そしてベティの置き土産を掴むと、とある予想を胸に足音を忍ばせて二階に上がった。
「ユーリス」
案の定、ユーリスはヴィクトルの寝室の棚の前に立っていた。
「アヤネ? どうかしましたか?」
こちらに気が付いたユーリスが、微笑みながら顔だけをこちらに向けて振り返った。
「あたしだったら、薬を探す前に水で手を冷やすけどな(If I were you, I'd cool my hand with water first before looking for some medicine.)」
魔術師ヴィクトル、手足の長い体に生まれてくれてありがとう。
ユーリスが反応する前に、私はヴィクトルの身体のリーチを存分に生かして一息に部屋を横断した。間髪を容れず、彼の左手をさっと掴み上げる。
『やっぱりね』
案の定、ユーリスの左手の掌はやけどで変色していた。あのトカゲの炎を受け止めたせいだ。
ユーリスのやせ我慢は見事だった。もし私が大人数での会話についていけていて、皆の言動を暇つぶしに眺めていなかったら、彼が左手だけ手袋をしたまま食事をしている違和感に気づかなかっただろう。
「……ちゃんと冷やしましたよ。だいぶ痛みもおさまったので、薬が無くてもいいくらいです」
ユーリスは動揺を見せなかったが、こちらと目を合わせもしなかった。
「…………」
冷やしたというのは嘘ではないのだろう。掴んだ手首の皮膚はしっとりと濡れている。
ユーリスは確かにきちんと冷やしたのだ。一階にしかない水道を誰にも気づかれずに使える、片付けの時間を待ってすぐに。素知らぬ顔でやけどを手袋の下に隠し、オーブンを修理し、動作が安定するまで付きっきりで確認し、焼きあがるまでと食事の時間を笑顔で過ごし。暖炉を掃除してから、誰にも不審に思われないごく短時間、きちんと冷やした。
『見栄っ張り』
私は相手に分からない外国語で悪口を言うという悪逆でもって不満を表した。
持ってきた濡れハンカチをぴしゃりとユーリスのやけどに貼り付ける。本当に痛くないのか、まだ何でもないふりを継続中なのか、乱暴な手当にも彼は動じなかった。
「カモミールティーの湿布ですか」
「そうだよ。ベティが作ってくれたの(Yes. Betty made it.)」
カモミールティーは飲んでも美味しいが、濃く抽出して冷ませばやけどの赤みを和らげる効果があるのだそうだ。食事会の最中、皆が話し込んでいる間に、やけどに効くハーブがないかこっそりベティに相談したのだ。私はハーブに詳しくないが、薬のような使い方があることは知っていた。
ユーリスのやけどは、あれほど大きな炎を受け止めたにしては軽傷に見えた。オーブンの修理の最中につけていた黒い手袋が、保護の役割を果たしたのかもしれない。しかし赤みは広範囲に広がり、一部は水膨れになっていて、見ているだけで痛い。下手をすれば痕が残るだろう。
「ユーリスは優しいけど、失礼だよね(You are kind, but you are rude as well.)」
ハンカチを包帯状に折って巻き付けながらぼやくと、ユーリスが問うように視線を上げた。
「ユーリス自身に失礼だよ。自分の痛みを無視してさ(You are rude to yourself. You ignore your own pain.)」
「っ!」
巻き終わったハンカチの上をぺちんと叩くと、ユーリスが息を詰めた。ほら、ちゃんと痛い癖に。
「あと、あたしにも失礼。ユーリスがあたしのせいで傷ついたって知ったら、そりゃああたしは罪悪感を覚えるだろうけど……(And you are rude to me. I would feel remorse if I noticed you were hurt because of me but ......)」
ユーリスがただの見栄で傷を隠したわけではないことくらい分かっている。あの時、私があれ以上落ち込まないように何でもなかったことにしたのだ。でも、
「あたし、自分でちゃんと受け止めて、反省できるよ。子供じゃないんだから。ユーリスがあたしの責任まで取らなくていい(I can deal with my feelings by myself and learn from that. I'm not a child. You don't need to take responsibility for me. )」
心持ち強めにぎゅっとハンカチの端を縛った。全然反応が無いので、本当に痛くないのかもしれない。
「もちろん、助けてくれたことにも気を遣ってくれたことにも感謝してる。ありがとう(Of course, I appreciate what you did for me. Thank you. )」
手当ては完了。ちゃんとお礼も言えてスッキリした。
ユーリスが何も言わないので会話は終わりと判断し、そそくさとその場を去ろうとする。
「待って」
と、手を引かれて引き留められた。
ダークブルーに金色の虹彩が浮かぶ、不思議な色の瞳がこちらを覗き込む。
「すみませんでした。あなたに、失礼なことをして」
あまりにまっすぐ真剣な目をしていたので、私は二の句が継げなくなってしまった。
「それから、手当てをありがとう」
『……ん』
何となく顔を上げられず、むっと口を曲げ、目を逸らして頷く。
と、何故かユーリスが、ふ、と軽く噴き出した。
「ユーリス」
見れば、彼は口元を押さえて顔を逸らしていた。黒い上等なシャツに包まれた肩が震えている。
「すみません……昔、私を叱った人が同じ反応をしていたのを思い出して、つい」
口を尖らせて不満を訴えたが、ユーリスはどうにも堪え切れない様子だ。先ほどまでの居心地の悪さも忘れて、軽く睨みつける。
「ちょっと、笑うのやめてよね!(Hey, stop laughing!)」
「ふ、ふふ、今度は言い方まで同じで……すみません、っふ、くく」
笑いが長い。せっかく感謝で終わってさわやかに去ろうと思ったのに、これじゃあ台無しだ。
「ユーリス~?」
「はぁ……失礼しました」
ようやく落ち着いたのか、ユーリスは大きく息をついてもとの丁寧な調子に戻った。今更畏まられてもイメージは回復しないが。




