57. 4日目⑯ 辿り着いた食事会
焼きあがったドリフィ・ローフは、ずっしりとした茶色いパンのような見た目をしていた。
パウンドケーキを焼くときの四角い型に入れて焼いたので、ケーキのように膨らむのを想像していたが、焼き上がりの高さは焼く前とほとんど変わっていない。ベーキングパウダーを入れていないのもあるし、野菜と肉の水分が出てしっとりしているせいもあるだろう。
ケーキやパンと言うより、ハンバーグに近い気がした。主食ではなく、夕食のおかずになりそうだ。
「これ、チーズを入れたの大正解じゃない? ハーブもとてもお肉に合っているしておいしい(Drify Loaf with cheese is so good, isn't it? The herbs match meat really well.)」
「本当ね。私もチーズを入れたのは初めてだけど、こっちの方が好きかも。誰の発案?」
「ヘレナが教えてくれたんだよ」
「ルメインの方だと一般的じゃないんです? うちの田舎ではよくチーズを入れて作っていたんですけどねえ」
大麦粉の味は案外癖が少なかった。黒っぽい色から何となく全粒粉のあの酸味を想像していたのだが、思ったよりも生地の主張がない。肉と野菜とハーブの主張が強過ぎるのかもしれない。
鶏ガラのスープはやや薄味だったが、ドリフィ・ローフの肉の油のくどさを、玉ねぎの優しい味とローズマリーのさわやかさが相殺してくれた。
「オーブンを使わないレシピだともうちょっと煮る時間が必要みたいね。しくじったわ」とラナは悔しがったが、バランスの良い優秀な付け合わせになっていると思う。
「なー、なー、ベティ。俺のグリーンスターとベティのドリフィ・ローフ、ちょっとだけ交換しねえ?」
「嫌よ」
「次のトイレ掃除代わるからさあ。ちょっとだけ」
「いーやー」
ダニーがベティにちょっかいを掛けている。ベティは見た目から大人しそうな印象があるが、嫌なことはきっぱりと断れる子のようだ。
「こら、ダニー! さっきちょっとだけ私の分を分けてあげたでしょ! スープでも飲んでなさい」
「肉がいいんだって! じゃーギル、一口だけ頂戴! 一口だけ!」
「お前、さっき自分の分、一気に全部食べたんだろ。わがまま言うなよ」
「だって足りねーんだもん! ちょっとだけでいいからさあ」
「駄目よ。ギル、さっさと食べちゃって」
ギルがすまし顔で自分の皿を空にすると、ダニーが「あー!」とわめく。ユーリスがくすくすと笑った。
「ダニー、良ければ私の残りの分を食べますか?」
「ちょっとユーリス! 甘やかさないでよね!」
ユーリスが自分の皿の上のドリフィ・ローフを切り分けてダニーに渡そうとしたが、ラナの掌により物理的に阻まれた。
「なんでだよ! ラナのケチー!」
そこからラナとダニーの小競り合いが始まった。ユーリスはしばらく二人のやり取りを観戦していたが、結局自分の皿の上のドリフィ・ローフを自分で平らげることにしたようだ。
空になった皿に気づいたダニーが残念そうな声を上げる。そこでヘレナがすかさず、おかわりの果物を小皿に取り分けて目の前に置き、「デザートのお時間ですよ、坊ちゃん」と恭しくサーブした。現役メイドの空気の読み方は伊達じゃない。
私には早口英語のやり取りは8割くらい聞き取れなかったが、皆がどっと笑ったので楽しい内容だというのは伝わってきた。仲が良さそうでなによりだ。
私は手持ち無沙汰のまま、目の前の大皿の上の果物をフォークで一切れ突き刺した。
「日本で見たことがないから」という理由だけで買うことを決めたこの果物は、グリーンスターという名前だそうだ。切る前の形は、先の丸い紡錘形と言えばいいだろうか、角ばったラグビーボールのような、真ん中がこんもり膨らんだ双五角錐の形をしている。どこが「スター」なのだろうと思いながら輪切りにしてみると、五角形の断面に星の形が浮かび上がってきた。
色は端の方こそ黄緑だが、全体は黄色っぽいオレンジで、これまた名前の「グリーン」が謎だった。ラナにそう零したら「それはね、冬の間は緑で、甘くないままサラダに使ったりするからよ」と教えてくれた。
果物として食べられるオレンジのグリーンスターは、枇杷とすももの中間のような、少し酸味のある素朴な味わいだった。思ったより肉肉しい食卓になったので、果物の軽さが有難い。
(例のお茶会まであと三日かあ)
それはつまり、このセイヴェル旅行が終わるまで、あと三日ということだ。この異世界呼び出され事件を一週間の旅行だとすると、もう半分以上が終わったことになる。一週間で帰れる保証が現状特にないことは一旦置いておく。
『明日は勉強多めにして……他にも何かしたいなあ』
英語の勉強は頑張らなくてはいけないものの、貴重な旅行の一日をそれだけで終わらせるのはもったいない。
「明日は雨みたいっすよ。外を歩くのはやめといた方がいいと思います」
私が会話からあぶれていることに気づき、ギルはできるだけ手を握るようにしてくれていた。おかげで独り言に近い私のぼやきを拾ってしまったらしい。
「天気予報、どこで知るできるの?(Where can we know weather forecast?)」
「色々あるけど、一番簡単なのは旗ね。広場や市場に立ってるのよ。今日は青い旗だったから、明日は雨」
分かりやすそうだが、大雑把な方法にも思える。「晴れのち曇りや、雨のち晴れの場合はどうするの?」と聞いたら「雨が降るって分かってればOK」と返された。
「ロウ・マーケットの屋根のないとこに出てるような露店は、雨が降るかどうかで商売するかを決めなくちゃいけないですからね。昔から魔術師が予報を出してて、新聞なら時間区切りでもっと細かく、先の予報まで載ってます」
「魔術っていろんなところで使われてるんだ(Magic is used for a lot of things.)」
想像以上に生活に密着している。「ユーリスも天気を予想する魔術が使えるの?」と聞いたら「道具があれば。専門の魔術師ほどの精度は出せないと思いますが」と言われた。
「トラムんとこにも天気板があるよな。あっちは科学で予報を出してるんだって!」
「時々天気板と旗が真逆で困るのよね。どっちを信じたらいいのかって」
現代日本で言う、天気予報アプリとテレビと新聞とで予報が違う、みたいなことが魔術と科学で起こっているらしい。面白い共通点だ。
(雨かあ)
それなら明日は外に出ず、勉強に集中した方が良さそうだ。
歩き回れないのは残念だが、そう言えばアシュクロフト氏のお屋敷の中はまだゆっくり回れていなかった。屋敷の中で行ってもいい場所は初日に案内されたので、改めて探検してみよう。
客間以外にも居心地のよさそうな場所があれば、気分転換にそこで勉強するのもいい。
「そんなにすげーんだ、このイヤーカフ」
「ええ。見ただけでは細かい機構は分かりませんが」
食後の紅茶を囲みながら、ダニーとギルが、ヴィクトル作の翻訳魔術のイヤーカフをユーリスに見せている。
楽しげだが内容の分からない英語の会話をぼーっと聞きつつ、温くなり始めたお茶を呑んでいると、だんだん眠くなってきた。ドリフィ・ローフは小さな切れ端でもお腹に溜まる。本来はたくさん焼いて二日かけて食べる、多少は保存の効く料理なのだそうだ。
(でも、今は寝てる場合じゃない)
いつ帰ることになっても後悔しないよう、今この場で出来ることは全てやっておきたい。
皆がイヤーカフに注目している横で私はひっそりと席を立ち、対角に座っているベティに小声で話しかけた。
次回から更新日を月・金曜固定に変更します。




