56. 4日目⑮ 炎のトカゲ
(トカゲがいる)
炎の発生源、薪の木組みの下あたりに、炎の赤と同じ色の大きなトカゲが顔を出していた。見ているうちに、徐々に焦点がずれていく。
流石にもう考えなくても分かった。見える人にしか見えないアレだ。
繰り返し瞬きをして焦点を合わせ、赤いトカゲを観察する。彼はおびえたようにキョロキョロして、薪の間から出てこようとしなかった。普通のトカゲよりは大きいが、最初にオーブンを開けた時に見えた黒いトカゲよりもかなり小さい。ユーリスの「初めての場所を訪れた子供」という形容がぴったりの様子だ。
「おいで」
ユーリスは両手で金属板を持ち上げると、小さなトカゲに優しく語りかけた。
炎の子トカゲはユーリスを見上げたり、周りを見回したりと、しばらく戸惑っている様子だった。ユーリスが続けて低く話しかける。英語ではない音だ。
と、ふいにトカゲがぴょんと金属板に飛び乗った。
くぼみに溜まっていた液体から、新しく色付きの炎が上がった。
ユーリスは炎のトカゲを乗せた金属板を片手で水平に持つと、反対の手で魔法陣の欠けた部分に書き込みを加えて完成させた。それから金属板を両手で抱え直し、ヘレナに近づいて差し出す。魔法陣の円に収まるぎりぎりの位置だ。
「さあ、先ほど練習したように、薬を注いで」
ヘレナは言われたとおりに柄杓の中の液体を注いだ。練習の通りに「来てくれてありがとう」と言うと、金属板の上のトカゲがボッと炎を上げて応じる。
次にベティが液を注いだ。
「ようこそ、火さん!」
その後ろのラナが柄杓を受け取り、慎重に液を垂らす。
「よく来たわね、いらっしゃい」
隣のギルが手を伸ばし、柄杓を傾ける。
「怖がらなくて大丈夫だぜ」
その手前で柄杓を受け取ったダニーが液を追加し、軽快に言う。
「ちょっとだけそこでじっとして、料理を手伝ってくれよな!」
私に柄杓が回ってくる頃には、小さなトカゲが最初よりもつやつやしているように感じた。
心なしか体も大きくなっている気がする。最初は不安そうにあたりを見回していた顔が、今は正面を向き、こちらをじっと見ていた。トカゲに表情はないが、好奇心と期待が滲んでいるようにも見える。
事前に言われた通り残った液体を全て注ぐと、爬虫類特有の顔に対し大きい瞳が、炎の揺らぎを反射してキラキラと輝いた。瞳の色は、黄緑の炎と同じ色。最大限磨いた希少な鉱石のように、虹彩に赤い炎が揺れている。吸い込まれそうな美しい色にしばし見惚れた。
『……綺麗な目ね』
途端に、炎がぶわりと大きく膨らんだ。
私は驚いてよろめき、柄杓を取り落とす。金属が床に当たる耳障りな音と、「アヤネ!」と言う皆の声が重なった。
背の高いヴィクトルの頭よりもさらに大きく吹き上がった炎は、しかしこちらに襲い掛かることはなかった。魔法陣の境界の見えない壁に阻まれて、内側に翻って落ちていく。内側、つまり、ユーリスが立っている方へ。
「――っ!!」
最悪の事態に誰もが反応しきれず息を呑む。ギルとラナが、ダニーとベティをぎゅっと抱きしめる。
あわや、ユーリスの頭に炎の塊が直撃すると思われたとき——黒い手袋をした手が、降りかかる炎の塊を受け止めた。
「――――」
一切の動揺を感じさせない表情のまま、ユーリスの唇が、低く知らない言葉を発する。
短い音節が終わるなり、炎は急速に収縮していった。くるくると丸まって、ユーリスの手の中に納まっていく。
ユーリスが何事か会話するように話しかけ続けると、次第に動きがゆっくりになり、金属板の上、くぼみの中に溜まった透明な液体に吸い込まれるように沈んでいった。
やがて炎が完全に消え、部屋は静寂に包まれた。暖炉の薪が小さくはぜる音だけが場に残る。
ユーリスは最後に金属板の液体の上を掌でなぞるしぐさをし、何かを短く呟いた。
「……はい。上手くいきましたね。皆さん、ご協力ありがとうございました」
もう魔法陣は消していいですよ。
何事もなかったようにユーリスが言うので、場は逆に騒然とした。
「ちょっと、大丈夫なの、今の!?」
「ごめん、ユーリス、怪我はない!?(Sorry, Yuris, are you alright!?)」
「さっきアヤネはなんて言ったんだ!?」
「アヤネも大丈夫っすか!?」
皆が一斉に思ったことを口にするので、誰も何も聞き取れない。ユーリスは片手をあげ、「落ち着いてください」と場を制した。そう言う彼は落ち着きすぎである。
「順番に行きましょう。私は問題ありません。アヤネ、あなたに怪我はありませんか? 先ほど尻もちをついていましたね」
「こっちは全然大丈夫。あたし、あのトカゲを怒らせちゃった?(I'm alright. Did I make the lizard angry?)」
ユーリスはゆるく首を横に振った。
「いいえ。あれは、褒められて喜んでいたのです」
あのトカゲは私に自分が見えていると知って、仲良くなろうと飛びついたらしい。魔法陣の結界に阻まれて失敗に終わったが、もしもあのまま炎に触れれば大惨事になっていたところだった。
「あなたにあれが見えることを考慮に入れておくべきでしたね。私のミスです」
「や、あたしが練習と違うことを言っちゃったからだし……(No, that's my fault. I said something I didn't practice.)」
ユーリスは私が唇を引き結んでいるのを見て眉を下げると、私の二の腕を掌でぽんぽんと叩いた。
「アヤネ。あなたに彼が見えたことも、彼の姿を純粋に褒めたことも、何ひとつ悪いことではありません。彼らは人とは別の理で生きるもの。想定外は織り込み済みです。あまり気に病まず、学びの一つにして下さい」
私は神妙にうなずいた。
もう瞬きをしてもあのトカゲの姿は見えなくなっていた。
金属板のくぼみの容積よりもずっと多く注いだはずの液体は一切あふれることなく、固まったガラスのようにぴったりとくぼみにはまり込んでいる。
その上の部分がぼんやりと光っていて、何かがくぼみ部分を覆っているようにも見える。何かが居るのは間違いないが、かなりぼやけていて、何なのかはよく分からない。
「さあ、彼が喜んでいるおかげで、初めの予想よりもオーブンの火力を出しやすくなっているはずです。早速これを取り付けて、予熱に入りましょう。ギル、ダニー、オーブンの操作を見学させてもらってもいいですか?」
「おう!」
「了解っす」
ギルとダニーがすれ違いざまに背中を叩いていき、後から来たラナに追撃されてよろめいた。ベティが一緒に行こうと手を差し出してくれる。
くそ、皆優しいな。
作者の体調不良が長引いてしまったため、更新を1回分お休みします。
次回更新は2026/7/3予定です。




