55. 4日目⑭ 出迎えの練習
「さて、魔導式オーブンには当然、火が使われています。これを作った魔術師は、オーブンの中に火を招き、留まらせ、人間と上手くやれるよう様々な魔術を施しました。人間が使っている間、オーブンに留まった火は食事を貰い、整備された居心地の良い環境で気分良く過ごすことができます。使用が終われば感謝して火を開放し、また次の火を呼ぶ。本来はそういった仕組みでしたが……」
火かき棒の先で、金属板を軽く叩く。カン、と鈍い音がした。同時に自然にはあり得ない黒いもやのようなものが立ち昇り、空気の中に消えていく。
「何らかの問題が発生し、火はこの場から逃げられなくなってしまいました。痕跡を見るに、そのあとに制作者とは別の魔術師が対処をしたようですが――」
ダニーが小さな声で「ひょっとして、ヴィクトル?」とつぶやいた。
そう言えばダニーは「ヴィクトルが一度だけオーブンを使っていた」と言っていた気がする。それがその「対処」だったのかもしれない。
「その時点で、おそらく手遅れになっていたのでしょう。出口が見つからず苦しんで消えた火の気配がこの場に染み付き、新しい火を呼び込めない状態が出来上がっています」
私は先ほど、ユーリスがオーブンの動力部を開けた時に飛び出した、黒いトカゲのようなものを思い出していた。あれが苦しんだ火の残滓なのだろうか。
(あのトカゲ、苦しんでたのかな)
もしヴィクトルが「対処」をしたのだとして、それまでの間ご飯ももらえず、狭い空間の中で閉じ込められたまま息絶えた生き物がいたとしたら、酷く可哀そうなことに思えた。
「これからこの暖炉の火を元手に、オーブンへ新しい火を迎えます。受け皿となる金属板にはこの場で可能な限りの浄化を施しましたが、完全ではありません。皆さんには、迎えた火にできるだけ長く留まって貰えるよう、火を落ち着かせる役割をお願いしたいのです」
ユーリスは柄杓の形のカップを取り上げ、柄をヘレナに差し出した。本番ではこの中に薬剤を入れるそうだが、今は空だ。
私はこの時初めて、ユーリスが黒い皮手袋をしていることに気が付いた。
「後程、私がこちらの金属板に火を乗せてあなたに近づきます。ヘレナ、あなたは金属板のくぼみの中にこのカップの中の液を少しだけ注いで、隣の人に回してください。次の人も同様です。その際、くれぐれも手が魔法陣の上に入らないように」
ユーリスが空の金属の板を持って周り、順番に動作をシミュレーションした。まず左端に居るヘレナが柄の長いカップから液体を注ぐ真似をする。
「注ぐ際に一言、言葉を――皆さんが先ほど教えてくれた大人たちがやっていたように、火に話しかけてあげてください。『来てくれてありがとう』でも『少し力を貸して欲しい』でも。相手を歓迎する気持ちや、安心を贈る気持ちを乗せられるならば、どんな言葉でも構いません。逆にどんな言葉でも、心が伴わなければ、火は不安になり逃げてしまうでしょう」
ユーリスの言う「火」にとっては、気持ちがとても重要なようだ。しかしながら、ぼんやりとした指示に正直戸惑う。「どんな言葉でもいい」って、ちょっと広すぎやしないか?
「ええー? 難しくねえ?」
「決まり文句とかないんですか?」
素直に不満を訴えるダニーと、皆の困惑を代表して質問するギル。ユーリスは膝を折って、ギルの手前にいるダニーに目線を合わせた。
「難しいようなら、目を閉じて。ゆっくり想像してみてください。新しい火は、初めての場所を訪れた子供のようなものです。知らない場所に戸惑い、一人ぼっちで怯えている子供。不安そうに身を竦めて、恐る恐る周りを窺っている。……さあ、あなたなら、この子になんと声を掛けますか?」
ダニーは言われたとおりに目を伏せ、想像を巡らせた。周りの皆も目を閉じて、それぞれにシミュレーションを始めている。
(そうか。気持ちを込めるってなると、定型句を唱えながらじゃ難しいんだ)
不安げな子供。怯えて、こちらを見上げている。
定型句を提示できない理由がよく分かる。この子相手に、誰かにそう言うよう教えられた、中身のない言葉を掛けても意味が無い。信用されないし、余計に怯えさせてしまう。この子に必要なのは「安心」だ。私は、初対面のこの子に、まず何て言うだろう?
「言うまでもなく、相手を侮辱したり、むやみに刺激するようなことをしてはいけません。くれぐれも真摯に向き合うように」
ぱちぱちと薪の音が響く中、全員がゆっくりと動作を確認し、それぞれに思いついた言葉を述べていく。
ユーリスは一人一人に「上手ですよ」と声をかけ、列の最後の私に「ここで残りの薬液を全部注いでください」と指示して、金属板を元の位置に戻した。
「皆さん、イメージは掴めましたか? ――では、始めましょう」
ユーリスは柄杓型のカップに薬液を入れ、再び柄の先をヘレナに向けて手渡した。
外を歩いていた時と同じようにローブのフードを被り、暖炉に向き直る。そしてヘレナに渡していない方の柄杓型のカップの柄を取ると、傍らに置いていた別の薬液を入れ、暖炉前に置いた金属板のくぼみに中身の半分を注いだ。次にもう半分を、未だに炎が上がらない薪の上に垂らす。
「わぁ!」
子供たちから歓声が上がった。薪が一気に燃え上がり、半透明の赤い炎の中に黄緑とも黄色ともつかない色が舞う。




