5. 1日目⑤ 情報多寡にもほどがある
ヴィクトルの家は閑静な住宅地に建っていた。
玄関から出ると凸凹の石畳に覆われた短い小道があり、すぐに広い道に出る。
車が二、三台余裕ですれ違えそうなその道に面して、レンガや石でできた四、五階建ての縦に長い家が連なっていた。入り口が分かれているように見えるのに家と家の間に隙間がない造りは、確かテラスハウスとかいうんだったっけ。
昼時だからか、方々からおいしそうなにおいが漂い、鼻をくすぐっていく。湿気のないからっとした空気は少し冷たいが、風がないので気にならない。空はよく晴れていて遠く、石の街の重さとコントラストを作っていた。
『外国の景色だ……!』
私のテンションは絶賛上昇中である。周りに私たち以外の人がいないので、私は誰に憚ることなくウキウキを口に出した。
「ギル、アヤネと手ぇつながねーの? しゃべれないと困るじゃん」
「……つないだ方がいいな、絶対」
目を離すと勝手にどっか行っちまいそうだ、という育児を始めたばかりの父親のようなギルのつぶやきは、あいにく私の耳には全然届いていなかった。
三人仲良く手をつないでの道行は楽しかった。二人にとっては何もない住宅街でも、私にとっては新鮮で、どこを切り取ってもポストカードになりそうなお洒落な風景に思えた。何よりおしゃべりの相手がいるというのが良い。
「へえ、アヤネは二十になったばかりなんすね。俺はこないだ十五になりました」
『えっ、嘘!? 十八くらいかと思ってた!』
「俺はねー、あとちょっとで十歳!」
『ってことは今九歳!?』
ダニーはこの三人の中では小柄だが、十にもなっていないとは思わなかった。なんてこった、人種差でここまで年齢の推測が外れるとは。
「俺ら、そんなに老けてます?」
『いや、多分あたしがアジア人だからだわ。あ、アジア人は分かる?』
「俺はわかんねー。ギルは?」
「ちょっと聞き取れなかったっすね」
『若く見える人種ってこと。そっかー、じゃあこの国で日本人はめちゃくちゃ珍しいのかもね』
住宅街の道の端まで歩いていくと、こじんまりとした店がちらほら見え始めた。
レストランとカフェが合わさったようなお店の手前のテラス席には誰も座っていない。一押しメニューの描かれた看板が出ているので、店の奥にはちゃんと人がいるのだろう。
テラス席を通り過ぎた向こう側にも店と思われる建物が並んでいたが、閉店しているのか商品が並んでいる店自体が少ないようだ。日本のさびれた商店街並みに人の気配がしない店のショーウィンドウは、ギルの言う通り鏡代わりにちょうど良さそうだった。
開店準備中と思われる、何も飾られていない店のガラス窓を見つけて、私たちは足を止めた。
『魔法使いだー! すごーい、あはは!』
ガラスに反射した魔術師ヴィクトルの姿は、いかにもファンタジー作品に出てくる西洋の魔法使いという風情だった。
私は楽しくなって、決め顔をして角度をつけてみたり、背中をガラスに映して振り返ってみたり、自分の姿をよくよく眺めた。
使い込まれたローブは布がそこまでへたれておらず、貧相な感じがしない。もともとの布量が多いのだろう。大きめのモッズコートよりずっと大きく、しっかりした生地でできていた。
ヴィクトルは痩せぎすの男だったが、全身を眺めてみると上背だけはかなりある。言葉を選ばず言えばひょろ長い体型だ。その細すぎる体型をボリュームのあるローブがうまいことカバーしていて、背の高さをプラスに変換していた。
『ねえねえ、ヴィクトルって杖から火とか出せる? 呪文を唱えたら氷が出たりとかする?』
「なにそれ、曲芸?」
そういう感じじゃないらしい。九歳のダニーに忖度という言葉はなかった。
「アヤネの国の魔術はそんな感じなんすか?」
『いや、映画とかのイメージなんだけど』
「映画? すげーもん見てるんすね」
映画というより、小さい頃見たアニメの影響かもしれない。改めて考えてみると、魔法使いの出てくる映画のタイトルがあまり思い当たらなかった。
そもそも私は語れるほどたくさんの映画を見ていない。付き合いで観ることが多かったので話題作はだいたい知っているけれど、積極的に見るほど熱心になれずじまいだった。
とある有名な魔法使いが出てくる映画シリーズも、映画よりも原作の本ばかり読み込んでいたのだ。魔法使いっぽいポーズを取ろうとしてもアイデアが浮かばないのはその弊害かもしれない。
『姿勢がなー』
妙に肩が凝っていると思っていたが、これは猫背のせいだな。鏡の中のヴィクトルは無意識に背中が丸まるようで、肩と首が前に出ていた。
私は腕をぐるぐる回し、肩甲骨を軽くほぐす。ついでに背筋を伸ばしてみたが、すぐに疲れてしまってやめた。そうするともっさり感が増して、せっかくの背の高さがマイナスに変わってしまう。ちょっともったいないな。
『そういやヴィクトルっていくつなの?』
私の見立てでは三十五前後だったが、ギルとダニーの感覚ではまた違うだろう。
「うーん、聞いたことねーな」
「俺も知らないっすね。見た感じ、二十五よりは上だと思うけど」
やはり感覚のずれは大きそうだ。
ガラスに映ったギルはヴィクトルよりは背が低いが、一般的な日本人の成人男性くらいの身長はあるように思える。体型は成人よりもやや細いように感じるが、体幹が鍛えられているのか安定感があった。十五歳にはとても見えない。
ダニーも九歳と言うには大きく、大人っぽい顔立ちをしていた。
「見てー。うんこのポーズ」
「やめろ」
中身はちゃんと九歳だな。
さらに道を進んでいくと、大通りに出た。
相変わらず石造りの建物が連なっているが、道幅が広く、住宅街のような圧迫感はない。人通りはそこそこ多く、立ち止まって道を眺めている間にも通行人が数人近くを通り過ぎていった。
ほとんどの人が何らかの帽子を被っていて、女性はくるぶしまで隠れるロングスカート。男性は襟のあるシャツばかりで、ずいぶんとクラシックな格好をしている。
地面の石畳は住宅街より小さな石で作られていて、凹凸が少ないように感じた。その上を数台の馬車が行きかっている。馬車を引くつやつやの毛並みの馬が、カツカツと石畳を鳴らして歩いている。
『馬車だー! すごーい、初めて見た!』
「馬車なんてその辺にいっぱいあるだろ?」
「すげー田舎住まいだったとかすか? なら、もう少し城の方に行けば車も見れますよ。見に行きます?」
「車なんて金持ちしか持ってないじゃん。運が良くなきゃ見れねーよ車は。それよりさ、トラムを見に行こうぜ! アヤネは絶対びっくりするって! なんてったって、最新科学だもんなー!」
言われて地面に目を凝らしてみれば、トラム(路面電車)のレールが道に沿って埋め込まれていた。上を見ると電線が張られていて、薄い色の青空に黒い模様を作っている。
『あー』
私は肯定とも否定ともつかない声を漏らした。
「この辺にもトラムは通って……ないか。まだ工事中だな。中央広場の方に行くか」
レールを目でたどっていくと簡易的な柵に覆われた区域があり、ギルが言った通り工事中なのだと察せられた。この場所でトラムを見られるのは当分先だろう。
「やったー! ギルド本部もそっちの方だし、ちょうどいいよな!」
『うーん』
薄々予想はしていた。会話の中に、ちょいちょい引っかかる食い違いがあった。
さすがにこれ以上は無視できず、私はずっと聞かずにいた疑問を口にした。
『あのさ、今って何年?』
「え? 一九〇九年っすけど」
わーい、タイムトラベルもしちゃってるぞ。私が大学生をやっていた年代より百年以上前かあ。
「アヤネ? 早く行こうぜ」
『あ、うん』
まあ、今言ってもどうにもならないか。私は驚きを飲み込み、脚を動かすことにした。




