53. 4日目⑫ 魔導式オーブン
三人で東街の孤児院まで鶏ガラを運ぶと、キッチンではすでに夕食の準備が始まっていた。ラナが慣れた様子で夕食づくり担当の子供たちに焼き時間を指示し、オーブンに鶏ガラをセットして帰る。
幸か不幸か、今回はエレメントと遭遇することはなかった。
「ま、危ないことがなくて良かったじゃない。あの時、ほんとに怖かったんだからね」
「エレメントの動きが変というのも、『かもしれない』という程度ですしね」
二人の言う通りだ。私もあまり気にせず、いい感じにお腹が空いてきたなあ、と思った。後は焼くだけだし、ドリフィ・ローフがどんな味か楽しみだ。
「ユーリス、ちょっといいすか」
ヴィクトルの家に戻るなり、キッチン側からやってきたギルに声を掛けられた。
「どうしました?」
「オーブンがどうしても動かなくて。動かし方が間違ってるっていうより、壊れてる気がするんすよね。魔導式ってことは、魔術師なら何か分かるんじゃないかって皆で話してたんです。すみませんが見てもらえませんか?」
ユーリスは外でずっと被っていたローブのフードを外しながら答えた。
「分かりました、やってみます」
オーブンの作りには詳しくないので解体に近いことをするかもしれないという話を聞き、私は急いでヴィクトルのエプロンを取りに行った。ユーリスはすでにここに来た時の服装——クララ謹製の服に戻っている。オーブンの汚れをつけるわけにいかない。
キッチンに行ってみると、全員がオーブンの周りに集合していた。
「業者に修理を頼めないの?」
「業者の場所が分かんねえ。どっかに工房の名前が書かれてないか?」
「うーん、この中とか? ……あ。あの焦げて真っ黒なとこにあったりして」
「今から業者に頼んでも、すぐに来てくれるか微妙ですよねえ」
エプロンを身に着けたユーリスが近づくと、子供たちが場所を譲る。
ユーリスは手始めにキッチン台に埋め込まれたオーブンの扉を開き、中を見分した。
「ねじ回しはありますか?」
キッチン台の真ん中部分、動力部と思われる鉄の扉をコンコンと叩きながら訊ねる。
「あるぜ!」
ヴィクトルの家に詳しいダニーがひょいと立ち上がり、すぐに工具箱を持って来た。
ユーリスが工具を使ってねじを外し、鉄の扉を開く。ぎぃ、と小さな音がした。
と、思うや否や、中から黒い煤をヴェールのように纏った何かが飛び掛かってきた。半透明のトカゲの大群が、ユーリスの上半身を覆う。
『……!? ユーリス!』
私はとっさに駆け寄り、ユーリスの服を手で払う。
「アヤネ? なんか見たんすか?」
(あれ? 何も居ない……)
煤にまみれたように見えたユーリスのエプロンは特に汚れておらず、もともとついていた染み以外見当たらなかった。あたりを見回しても、先ほどのトカゲの影も形もない。すぐに隠れられるような大きさではなかったはずだ。
『ああ、いや、えっと――』
ユーリスと目が合った。
彼は何も言わず、口元だけで微笑んで、そっと唇に人差し指を当てた。
(あ、これも見える人にしか見えない系?)
詳細は不明だが、何も言わない方が良いらしい。
「あー……見えたっていうか……白昼夢的な? はは……(Um......I must've seen..... a daydream, maybe.)」
私がしどろもどろに誤魔化すと、皆は首をかしげながらも引いてくれた。
(『見える人にしか危害を加えられない』って言ってたもんね。見えてない人に説明する方が危ないのかも)
トカゲの直撃を受けたように見えるユーリスにも慌てる様子が無いので、すぐに害になるようなものでもないのだろう。何だったのかは、後で聞けたら聞くことにした。
ユーリスは腕まくりをすると動力部分に手を突っ込み、中の部品をいくつか外した。取り出した金属の板には、煤で黒く汚れているものと、細かい模様がびっしりと描かれているものがある。
よく見れば細かい模様のほとんどはなにかの文字で形成されていた。線のように整然と刻印された文字が板の上に張り巡らされている。まるで機械の電子回路だ。
ユーリスは煤を布巾で優しく拭いながら、その板を読み解き始める。
「ふむ。これは……」
「何か分かりました?」
「魔術関連の装置……火を起こす要の部分が駄目になっていますね」
見守っていた皆から、落胆の声が上がった。
「困ったわね。今日のメニュー、オーブンが無いとどうしようもないわよ」
「孤児院のを使わせてもらうか?」
「うーん、今、鶏ガラを焼いている最中なのよね。弱火でじっくりやるから、空くまでに二時間はかかるわよ」
「帰りが遅くなっちまうな……」
セイヴェルは日本よりも日が長く、夜の七時を過ぎてもまだ明るい。それでも今から二時間後に焼き始めて、その後食べるとなると、おそらく日の入りに間に合わない。
最悪「焼いたけど食べる時間がありませんでした」という悲しい集まりになってしまいそうだ。どうしたものか。
皆が頭を悩ませる中、ユーリスが場を落ち着かせるように両手を挙げた。
「ひょっとしたら、応急処置でオーブンを動かせるかもしれません。必要な道具があるか家の中を調べてみますよ」
専門の業者のようには行かないでしょうが、との補足事項が入ったものの、オーブンを使える可能性が少しでも生まれるならありがたい。私たちはユーリスに、その応急処置をお願いすることにした。
「この家に一番詳しいのはダニー、あなたでしたね。手伝いをお願いできますか?」
「ん! 任せろ!」
ダニーが意気揚々と手を上げ、魔術師の助手になった。
しばらく他の皆にできることはないと言うので、私はラナの指示でデザートの果物の皮むきを開始し、ギルはラナと一緒にスープ用の鶏ガラを調理し始めた。ヘレナとベティが野菜やハーブをスープ用に切っていく。
ユーリスはその間、金属板から何かを読み解きながら部屋をうろうろし、時折ダニーに質問をしたり、何かを探しに行かせたりしていた。
「ラナ、オーブンでの焼き時間はどれくらい必要ですか?」
丁度ラナが水を入れた鍋を暖炉の火にかけているところだった。キッチン台にはコンロがあるが、オーブンと同じ場所に埋め込まれているので、ユーリスの見分が終わるまで使わないことにしたのだ。
(キャンプのご飯みたいだな)
薪を使う暖炉はもちろん、そこに直接吊るされる鍋を直接見たのは初めてで、私は改めて旅行気分を思い出していた。
「そうね、今日は中くらいの焼き型を二つ持ってきたから、両方一緒に入れて四十分くらいかしらね。オーブンってものによって焼き時間が変わるから、細かいところは様子見しつつになるわ。それから、中に生地を入れる前に予熱が必要なの。孤児院のオーブンだと、いつも二十分くらいかかるわ」
ユーリスは頷いた。
「最低でも一時間以上、二時間程度動けば安心というところですね」
言いながら、ユーリスは暖炉の横に積み上げられている薪を見つけ、コツコツと叩く。
ダイニングの大きいテーブルには、いくらかの材料が集められていた。ダニーがどこからか見つけてきた乾燥ハーブや白っぽい石のようなもの、すりこぎ、キッチンの貯蔵庫から取り出した瓶が数本。
「全部あったぜ。他に要るもんある?」
「これで十分ですよ。ありがとうございます。あとは、暖炉周りから燃えやすいものを出来るだけ遠ざけて下さい」
「分かった!」
ダニーの集めた材料を一つ一つ確かめると、ユーリスは「うん」と頷き、各々に作業をしている皆を振り返って言った。
「これなら何とかなりそうです。皆さんにも少し力を借りることになりますが……」
魔術を直接見る機会が無いという皆は、「力を借りる」という部分にきょとんと目を瞬かせた。やがてその表情が、困惑から喜色へと変わっていく。
「えっ、魔術が見れるの?」
「わたしたち、お手伝いできる?」
「俺やる! 全然、なんでもやるよ!」
はしゃぎ始めた子供たちが予想外だったのだろう。ユーリスは軽くあっけにとられたような表情を見せ、やがて微笑ましげに笑った。




