47. 4日目⑥ 鶏ガラ事変 - 破 -
東街の孤児院に行ってみると、ギルの姿はすぐに見つかった。
声を掛けなかったのは、遠目にも取り込み中だと分かったからだ。
玄関の外、建物の中から見えないドアと窓の間で、女の子がギルに詰め寄っている。潜めた怒鳴り声は、同じく外にいる私たちには丸聞こえだった。
「あんたが良かれと思ってやったのは私だって分かってるわよ! でもどうすんの、皆に厄介ごとを残して私たちだけ行くなんて、そんなの出来るわけないじゃない!」
女の子は前にも見かけた、ギルと同じ年頃のポニーテールの子だ。かなり感情的になっているようで、こちらには気づかない。比べてギルは落ち着いているが、上手い対応の仕方が見つからないようだ。
「……ラナの言う通りだ。俺の考えが足りなかった」
「全くよ! でも迷惑が掛かるのは私だけじゃない。だから困ってるんじゃない!」
「すまねえ、俺のせいだ」
「そうよ。でも、謝ってもらっても状況は変わらないもの。ああ、もう、一体どうすればいいの?」
ラナと呼ばれた少女は、怒っているというよりも追い詰められている様子だ。怒りの底に強い責任感と、焦りのようなものを感じる。
私はどうしたものかとダニーを見たが、目が合うよりも早く、ダニーが二人に話しかけていた。
「ラナ、ギルになんかされたの?」
「何もされてないわよ! だけど、……っ」
二人が同時に振り向く。ラナは反射的にダニーに言い返そうとしたが、隣にいる私を見て言葉を飲み込んだ。
「ダニー! アヤネも? あ、入れ物を持って来てくれたんすね。ありがとうございます」
『ああ、うん、まあ……お取込み中?』
うっかりいつもの調子で日本語で話してしまったが、手に触れていないのでギルには通じない。仕方なくギルに近づき、その手を取った。隣でラナが何か言いたそうにしながら私の動向をじっと見守っている。
私が片手に抱える大きな鍋と、通訳魔術のためにその手についていかざるをえないダニーがぞろぞろと移動する。至極真面目にやっているのだが、緊迫した場面を絵面で壊した感は否めない。
『えーっと、肉の……鶏ガラの包みが破れてギルが立ち往生してるって聞いて来たんだけど』
「そうなんすよ。でも、ダニーが入れ物を取りに行ったあと、知り合いが通りかかってでかい器を貸してくれたんです。それで何とか運べそうだったんで、先にこっちに持って帰って、今、汚れた服とかをやっつけたとこなんですけど」
『それで、なんでギルが怒られてるの?』
「俺が買った鶏ガラ……めちゃくちゃ安かったんすけど、安い理由が店側の処分の手間を省くためなんですよね」
話を要約するとこうだ。
件の鶏ガラは血合いがこびりついたままのもので、これを料理に使おうと思うと下処理に相当の時間がかかる。店側はその手間賃を考え廃棄しようと考えていたが、安くても買ってくれる人がいるならそのほうがありがたい。そこで昨日、安い肉を探していたギルを見かけて声を掛けた。
ギルは、食べ盛りの子供がたくさんいる孤児院の食卓に丁度いいと、それを購入した。
しかし一九〇九年の孤児院に家庭用冷蔵庫などというものはない。生肉の処理はその日のうちにしなければならない。形の複雑な鶏ガラを大量に処理するとなれば、それなりの重労働になる。
ギルとラナは、孤児院の年長者。他の子供たちの兄であり姉である。その二人には、これからヴィクトルの家に行って料理をするという予定が入っている。
結果、「年下の皆に面倒ごとを押し付けて、ヴィクトルの家でちょっといい食事をしに行くお兄ちゃんとお姉ちゃん」という構図が出来上がってしまった。
「俺がこっちに残って、鶏ガラの処理をするからさ。ラナはヴィクトルんちに行って、ドリフィ・ローフの作り方を教えてやってくれよ」
「最初に誘われたのはギル、あんたなんでしょ? 大体、魔術師ヴィクトルの家での料理パーティって、あんたにとっては仕事みたいなもんじゃない。ちゃんと行きなさいよ」
「そこは許可を取るって。……アヤネ、急な予定変更で申し訳ないんすけど、今日は俺、孤児院に残っていいっすか? ドリフィ・ローフ作りは、ラナが居れば完璧なんで」
『ええ? いや、あたしの許可を取る必要なんてないんだけどさ。友達だし……』
ギルの態度が変に固く感じるのは、英語特有の言い回しのせいだろうか? どこかの店の店長か、会社の上司みたいな扱いをされても困ってしまう。
私はギルを友達だと思っているが、ギルにとって私との付き合いはビジネスの割合が高かったのか? ちょっとショックだ。
「予定をずらせばいいんじゃね? ギルとラナと俺が孤児院で鶏ガラを片付けて、それからヴィクトルんちに行けば……」
「無理よ! 量が多すぎる。ドリフィ・ローフを作るのだって時間がかかるのよ。鶏ガラの下処理をしてからドリフィ・ローフを作り出したら、外が明るいうちに帰れなくなるわ」
「じゃあ俺がちょっとだけ残って鶏ガラをやって、残りは皆に頼むとか……」
「だから、あんただけ途中で抜けてごちそうを食べに行く罪悪感に耐えられるのかって言ってんの!」
最初のダニーの提案あたりはなんとか内容を拾えたものの、ヒートアップしたギルとラナの早口英会話にはさっぱりついていけない。私は、同じく年長者たちの言い合いに置いていかれたダニーに声を掛けた。
『ヴィクトルの家でご飯を食べるのって、他の子に羨ましがられるようなことなの? 別に豪華なパーティをするわけじゃないんだけど』
「ドリフィ・ローフはごちそうだぜ? 肉も卵もいっぱい使うじゃん。俺が置いてかれたら、『ギルとラナだけずるい』って思うよ。だから今日の予定は、他のやつらには内緒にしてた」
『そういうものなんだ?』
ヘレナの話によると、伯爵家では「ドリフィ・ローフは客に出すようなものではない」。孤児院では「ごちそう」。貧富の差が如実に表れる話だ。
とはいえ今の本題はそこではない。ダニーの話を聞いて、ようやく私にも問題の本質が見えてきた。
年長者の二人が、年下の子供たちを残してごちそうを食べに行く。ギルとラナがそれを自分に許したのは、多分、「私が誘った=仕事」という式が成立したからだ。
そこに今、「子供たちに面倒な作業を残して行く」が追加されてしまった。仕事の名目でごちそうを食べることを他の皆に内緒にしていたのなら、なおさら二人の罪悪感は刺激されてしまったことだろう。
よく見れば、ラナの手の爪には赤黒い汚れが挟まっていた。きっと直前まで、問題の鶏ガラの下処理を頑張っていたのだ。
私にできる解決策は何だろう? ドリフィ・ローフを孤児院の全員に行き渡るようにして不平等をなくす?
いやいや、私にそんな経済力はない。ギルもラナもダニーも、きっとそれを分かっているから他の子供には内緒にしたのだ。私に身銭を切る余裕があったとしても、新たな捻じれを生みかねない。
私は一番単純で、現実的な案を出すことにした。
『ねえ。その鶏ガラ、今からヴィクトルの家に持っていって料理したら? そしたら孤児院の他の子たちに作業をさせることもないし、ギルも一緒にドリフィ・ローフを食べれるじゃない?』
「え?」
ギルに「思いつきもしなかった」という反応をされて、私も「え?」と返してしまった。通訳魔術の恩恵を受けられないラナは置いていかれている。
『ドリフィ・ローフ作りってどれくらいの人数が必要? 今さ、あたしとギルとダニー、ヘレナ、ラナ、それからヴィクトルの先生のユーリスって人を誘ってるのね。ってことは六人でしょ。ドリフィ・ローフがいくらでっかくても、それだけいれば手の空く人が出たりしない? 余った人で鶏ガラを処理しちゃえば丁度いいかなって』
「いや……、でも、アヤネたちに孤児院の仕事をやらせるってのは……」
ギルのこの言葉に、私は少しだけ、ほんの少しだけ、心にざらりと積もるものを感じた。
この感覚をどう言おうか。探していたお店にようやくたどり着いたのに、目の前でシャッターを閉められて一人で立ち尽くしたときみたいな。隣を一緒に歩いていると思っていた人が、実は別のレーンに居たと気づいたときみたいな。
『ギルにとって、あたしって友達? それともただの雇い主?』
ざらつきをそのまま吐き出したような言葉は、明確にギルを刺した。
「それは」
いつも快活なギルの顔が曇る。
『あたしがギルとダニーのご飯代を出せなくなったら、もう一緒に街歩きしようって誘えなくなっちゃう?』
「…………」
ギルは傷ついた顔でこちらを見た。まっすぐに見返すと、視線を外される。
ちょっと理屈で詰め過ぎたかもしれないな、と遅れて思った。
深く考えた言葉ではなかった。ただ言わずにいられなかっただけだ。自分が割と口喧嘩に強いことには、薄々気づいている。傷つけたいとは思わないけれど、傷つける威力があると知った上でこぶしを振るった。
黙ってしまったギルの横で、ダニーが早口でラナにやり取りを説明していた。




