46. 4日目⑤ 鶏ガラ事変 - 序の二 -
なぜかキッチンではなく、玄関横の棚の上にあった大きな鍋を見つけて、ダニーが指を差す。私はヴィクトルの長身を生かしてそれを取ってやりつつ、事情を聞いた。
この鍋は一回洗わないと駄目だな。
「残りの肉をギルが運んでたんだけど、途中で包みが破れちゃったんだよ。血が漏れてて見た目がやばいし、歩くだけで地面が汚れるし、無理矢理運んで落として駄目にしたくないしで、今、道の真ん中で動けなくなってるとこ。ヴィクトルんちが一番近かったから、俺が入れ物を取ってくるってことになったんだ」
そうか、きっとこの時代にはまだビニール袋なんてないんだ。氷も簡単には手に入らない中で、生肉の運搬をどうやるのか想像もつかないが、鶏ガラのグロテスクな見た目を考えるに、街中で包装用の包みが壊れるのはかなりの危機に思えた。
『なるほどね。この鍋だけで足りる?』
「うーん。わかんねーけど、もう一個あった方がいいかも」
『結構量があるんだ? そしたらあたしも一緒に行くよ。この鍋、結構重いし』
水で流したばかりの大きな鍋は、ダニーの小柄な身体では両手で抱えるサイズになってしまう。使い込まれた風合いがあり、見た目からして重そうだ。二十一世紀の鍋とは素材が違うのだろうか。
ダニーがもう一個きれいそうな鍋を探し始めたが、一階のキッチンに積み上げられている道具には埃と油の混じった汚れが引っ付いていて、あまり期待できそうにない。
私は半地下の物置に声をかけた。
「ユーリス! そっちにきれいな鍋はない?(Yuris, are there any clean pots?)」
少し前に見つけた半地下には、ユーリスが掃除道具を探しに行ってくれている。声をかけると奥の方からくぐもった返答があった。ついで、道具を物色する音が響く。
「ヘレナ以外にも誰かいんの?」
『うん。ダニーは知ってるかな? ユーリスっていう、ヴィクトルの先生なんだけど。今日調べものに来てくれたから、ついでに一緒にご飯を食べないかって誘ったの』
「ヴィクトルにせんせーが居るのは知ってるぜ。会ったことはないけど」
『そうなんだ』
ヴィクトルは魔術師として独立しているのだろうし、頻繁に先生と会うこともないのかもしれない。こんなすごい通訳道具を自作できるくらいだ。
「この鍋でどうでしょう?」
「うわ」
ほどなくして埃避けのスカーフを外しながら顔を出したユーリスに、ダニーが以前の私と似たような声を上げた。
(やっぱ初対面だと皆そういう反応になるよね、うんうん)
掃除の前に着替えてもらったので、今のユーリスは非常に簡素な格好をしていた。少しサイズの大きいヴィクトルのシャツをラフに着て、邪魔にならないよう適当に髪を後ろでまとめている。
飾りが何もなくても美人は美人ですごいな。
客観的に見ると割と失礼なダニーの反応を、ユーリスは私の時と同様に流した。初対面のダニーにちょっと微笑んで挨拶をすると、こちらに視線を移す。
「これは、鶏肉の余りの部分ですか。ずいぶん沢山ありますね」
「うん。スープにするんだって(Right. We'll use it for soup. )」
前半はよくわからなかったが、鶏ガラのことを言っているのだろう。「鶏ガラ」の英語表現なんて当然知らない。
「その前に私たち、友達を助けに行ってくるね(We're gonna go out to help my friend first.)」
ユーリスが探してきてくれた鍋は少し小ぶりだが深さがあり、外に持っていくのに丁度よさそうだ。こちらも軽く内側を水で流す。
「掃除が一段落したら、先に下ごしらえをしておきますよ。お気を付けて」
「はーい。ヘレナは二階にいるから(Alright. Helena is still on the first floor.)」
私はダニーと連れ立って、二つの鍋を持って外へ出た。
「あれ? ギル、居ねーな。あそこで待ってたはずなんだけど」
ダニーに案内された場所には誰もいなかった。住宅街の、人通りのほとんどない通りの隅。ダニーが示した道の石畳には肉のドリップと思われる薄い赤色の液体が零れていた。ダニーの言う通り、ここで肉を抱えたギルが立ち往生していたのは間違いないだろう。
『孤児院のご飯用に鶏ガラをいっぱい買ったんだったよね? 何かうまく運べそうな方法を見つけて、一旦孤児院に帰ったんじゃない?』
「そーかも。孤児院に戻ってみるか」
スマホが無いとこういう時に不便だ。とはいえ、ダニーに苛つく様子はない。私もそんなに焦る気にはならなかった。
連絡出来ないのが当たり前だと思うと、入れ違いに腹を立てる理由もない。目的の相手に会えそうな見込みもあり、急ぐ用事も特にない。ルメインは今日も快晴で、のんびり歩くには悪くない時刻だった。
『そういえば、トラムには乗らなかったの?』
時間短縮のため、ヘレナにギル達用のトラム代を言付けたはずだ。今いるこの道は、中央広場から東街の孤児院近くのトラム駅へ行くルートとは全然違う気がする。
「行きは乗ったぜ。でも帰りは荷物が多くてさー。人も多かったし。狭いトラムの中で荷物を潰したり、周りに怒られたりしそうだから歩こうってギルが。マジでそうしといてよかったよなー」
『トラムを生肉の汁で染めたら流石に怒られたかもね……』
どれだけの量の肉を持って歩いていたのか不明だが、私がトラムの客だったら、生肉の汁が車内で爆発する現場に居合わせたくはない。
「あ、使わなかったトラム代はちゃんと後で返すからな! 今、ギルが持ってるんだ」
それについてはあまり考えていなかった。が、にかっと笑ったダニーの顔を見て、ある種の義務感に駆られた。
ダニーの顔は「俺、ちゃんとできるんだぜ。すごいだろ」という誇らしさで輝いていた。
わざわざこれを私に言うということは、多分、ギルがダニーに言って聞かせたのだ。「おつかいで使わなかったお金は、持ち主にきちんと返す」ということを。
ダニーが親から教われなかったことを、ギルが、あるいはダニーを大切にしている周りの誰かが、代わりに教えようとしている。
『うん、分かった』
私は、意識的にしっかりと頷いた。
ダニーは満足そうに笑った。




