42. 4日目① 英語のレッスン(2回目)
異世界四日目。
自分が思うよりも英語のレッスンがストレスになっていたのだろうか。どこかの学校の授業で緊張しまくり、周りに嗤われる夢を見た。
明け方に目が覚めた私は、せっかく早起きしたのだからと昨日の英語のレッスンノートを開いた。昨日寝る前にやった復習を、もう一度行うことにする。
(習った言い回しは馴染みのないものが多いけど、覚えるだけなら)
レッスンで学んだ定型文にはそこそこの量があるが、大学受験の英語ほどではない。知らない単語もそんなにない。発音はともかく、暗記だけでもきっちりしていこう。
昨日のギルの話では、あの鞭で殴られる心配はそんなになさそうだ。今日はビビらず積極的に質問していこう。
そうして挑んだ英語のレッスンで、私はほぼ昨日と同じ形で撃沈してしまった。
『発音が一番の問題なのに、文字だけで復習するってのは無理があるよねー……』
「アヤネ? どうしたの、お腹でも痛い?」
応接室で落ち込んでいると、遅れて部屋にやってきたクララが声をかけてくれた。
現在時刻、午後一時。ここは一昨日訪れたのと同じ、クララのお屋敷である。
ヴィクトルの家に魔術を使った痕跡が残っていないかを確認するため、アシュクロフト氏の馬車でユーリスを迎えに来たところだ。
てっきりアシュクロフト氏も同行するものだと思っていたが、彼は別の用事があるそうだ。調査結果についてはユーリスからの報告書を待つらしい。
「魔術に関しては門外漢だからね。私が居ても、ヴィクターの家の玄関の鍵を開けることしかできない。そしてその鍵は、アヤネ嬢、君も持っているだろう?」
ヘレナを同行させるので、私に用があればいつでも使いを寄こしなさい。
アシュクロフト氏はぴかぴかのトップハットを被りながらそう言った。きっと今日は畏まった場所に行くのだろう。
ついでに「夕食をヴィクトルの家で作って皆で食べたい、ヴィクトルの家のキッチンを使っていいか」と聞いたところ、あっさり承諾された。ただキッチンの使用については、事前にユーリスに魔術の痕跡が無いか確認してもらってからにしてくれとのことだった。
この会話をしたのが本日の朝。あまりにとんとん拍子にことが運んだので私はご機嫌で、気持ちに弾みをつけて午前中のレッスンに挑むことができたのだが。
ノリと勢いで倒すには、あのレッスンは強敵過ぎた。
「大丈夫……英語ってむずかしいね……(I'm alright……English is tough……)」
クララには「降霊術の期限が云々」の細かい説明は省略し、「次のお茶会でヴィクトルの母を安心させるためにヴィクトルのふりをする必要がある。その為の英語のレッスンに苦戦している」とだけ伝えている。
しょぼしょぼしながら美味しいクッキーで心を慰めている私に、クララは深く共感してくれた。
「発音のレッスンって辛いわよね。よく分かるわ」
なんでも、クララの生まれは貴族の家ではないらしい。貴族とそれ以外では喋る英語に違いがあるそうで、ダルトン子爵家に嫁ぐことが決まった後に、貴族流の英語の話し方を叩きこまれたのだそうだ。
私には庶民のギル達の英語と、貴族のアシュクロフト氏の英語の違いが分からないので、同じ英語にそこまで大きな違いがあることに少なからず驚いた。関西出身じゃない人が関西弁をしゃべるとうまく発音できない、みたいなものだろうか?
「どんな酷いレッスンだったの? ちょっと話してごらんなさいよ」
「愚痴になっちゃうよ(It would be complaining.)」
「愚痴でいいのよ。レディの嗜みの一つでしょう? 吐き出して楽になる時間だって必要よ」
「やさしい……(You're so kind…….)」
ユーリスがこちらに来るまで、少し時間が必要らしい。その間クララが相手をしてくれるというので、私はお言葉に甘え、決して楽しくはないレッスンの話を聞いてもらうことにした。
アシュクロフト氏が手配してくれた教師の名前は、シュワード氏と言った。
濃い茶色に白の混じった髪と立派な髭をきちんと整え、アシュクロフト氏と遜色ないほどに上等な服を着込んだ、壮年の紳士である。
一分の隙も無い所作に、高名な学者を思わせる厳めしさ。博学さを感じさせる話しぶり。
彼の知的で上品な自己紹介は私にはほとんどちんぷんかんぷんで、思えば私とシュワード氏の関係性は初対面から破綻しかけていた。
「すみません、分かりませんでした。今のは――と言う意味でしょうか?(I'm sorry, I didn't understand. Did you mean -- ?)」
今日の授業は前回の復習から入った。
貴族らしい言い回しの定型文。教師のお手本を聞いての発音練習。
意味や使用するシチュエーションの説明は昨日より省略されていたが、分からないところはおそらく昨日と同じなので、朝のうちに質問事項をメモに取っておいた。
「違います」
昨日はここで容赦なく次に進んでしまい動揺したものだが、今日は違う。この先生のペースに合わせていたら永遠に質問のタイミングが来ないことはすでに学習済みだ。
「はい、先生! もう一度、ゆっくり説明してもらえませんか! 出来れば簡単な言葉で(Could you explain it slowly again? With simple words, if possible.)」
次の項目へ進みかけていたシュワード氏は黙り込んだ。
「同じ説明を昨日もしたはずですが」
「昨日も分かりませんでした(I couldn't understand yesterday, too.)」
「何故確認しないのですか」
「あなたの鞭、怖かったからです(Because I was scared your whip.)」
シュワード氏は再び黙り込んだ。
「何故自分で調べてこないのですかと聞いています」
「はい?(Say what?)」
何か聞き間違えただろうか? 「何故その場で自分に確認しないのか」ではなく、「なぜ自分で調べてこないのか」?
「先ほどのあなたの発音も、昨日とほとんど変わっていませんでした。どういうことですか?」
「どういうことですか、とは?(What do you mean, "How did that happen?")」
なんだ? 喧嘩か?
いやいや、一旦落ち着こう。なんだか会話が噛み合っていない気がする。
「あなたには学ぶ気はないのかと聞いているのです」
「めちゃくちゃありますよ?(Yes. Veeery much.)」
やる気があるからちゃんと復習してきたし、分からない箇所を事前にメモして質問をしている。まだ授業が始まって十分しか経っていないから、この努力が伝わらなかったのだろうか?
「学ぶ気があるのであれば、不明な箇所は自ら調べてくるものでしょう。発音も、自ら直そうとしなければ直るものではありません。それをしないのは、怠慢《negligence》というものです」
「ネ……? あー……すみません、分かりませんでした("Ne"......? Uh......sorry, I didn't understand.)」
「あなたは、生徒としての義務を怠っている」
おっ、喧嘩だな? よし分かった。




