40. 3日目⑦ ドリフィ・ローフ手作り計画
「あんた、どこまで行くんですか?」
「中央区西の音楽学校まで……一度辻馬車に乗ってしまえば、停留所で迎えが待っているはずなんですけど」
「それなら、馬車の乗り場までご一緒しましょうか。丁度行先が同じだわ」
女性がエスコートをするように女の子の手を取った。ジャストサイズのトップスの硬めの素材が、細い背中と腕の角度をピシッと決めていて、そういう仕草も最高にかっこいい。
「よかったら俺らも送っていきましょうか? 男が一緒にいた方が安全だろうし」
「あら、ありがとう。助かるわ」
ギルがテキパキと話を進めていくおかげで、私の口数の少なさが目立たなくて助かる。言葉が不自由ということもあるが、最大の理由は「美女に見惚れているから」だ。あまりばれたくはない。
「ギルー、それだと時間やばくね? 今日は多分、店閉まるの早いぜ」
「確かにそうだな。どうすっか……」
マーケットの入口ゲートの真ん中には、時計が取り付けられていた。時刻は二時半ちょっと前。今日はマーケット自体の終了が早い日なので、店によってはあと三十分もしないうちに店仕舞いを始めてしまうのだそうだ。
「じゃあ、ダニーとヘレナは先に行って、アヤネを案内してやってくれるか? 俺はこの人たちを送って行って、後で合流する」
「分かった!」
「待ち合わせ場所を決めておきますか?」
「いや。辻馬車の乗り場はそんなに遠くねえから、すぐに合流できると思います。どうしても会えないようなら、入り口のゲートんとこで落ち合いましょう」
そうして、私たちは一足先にロウ・マーケットの中に入ることになった。好みの美女とお近づきになれないのは残念だが、皆の厚意を無碍にするほどではない。縁があればまた会うこともあるだろう。
市場の中に入っていくと、果物や野菜以外の商品も多いことが分かった。穀物、卵、ナッツ類、干したハーブ、瓶詰めのピクルスやジャムにハーブオイル、日用品と雑貨類。
屋根付きの露店ではパンやサンドイッチなどの軽食、焼き菓子などの他に、よくわからない干物や何かの鉱石の塊のようなものが並んでいる。
粉にする前のスパイスを扱っている店はこじんまりとしていて、店主が鋭い眼光で商品をしっかり監視していた。形状だけではスパイスだと分からないものも多くある。
興味本位で見ていると、やってきた客が何かを注文した。注文を受けた店主が瓶から原料を取り出し、計量して、すりこぎで挽きはじめる。ツンとした独特の香りがあたりに充満した。
広場の壁沿いにも店が入っており、そこでは飲食物の他に砂糖や茶葉、コーヒー、香辛料、チーズに加工肉、ドライフルーツなどの日持ちのする商品を売る店が並んでいる。こちらは少し高級品のようで、寄り付く人はそれほど多くなかった。
奥の方に行くと少しばかり生臭いにおいが漂ってきた。どうやら生鮮食品を売るエリアのようで、塊のまま吊るされた肉を背景に、ベーコンやソーセージ、ハムを並べている店がある。
その横の何も置いていないスペースは清掃中だった。横に立てかけられている看板と独特のにおいから考えると、午前中には魚が並んでいたのだろう。
『ねえ、この間言ってたあれは売ってないの? ドルフ・ロールだったっけ?』
一通り市場を巡り、比較的人の少ない壁沿いあたりに戻ったところで私は気になっていたことを質問した。実はずっとそれらしきものがないか探していたのだ。
ギルとは道のりの半分くらいのところで合流済みだ。市場は広かったが、通路の作りがシンプルで見通しが良く、ある程度の身長があれば人探しがしやすいのだそうだ。
「ドリフィ・ローフのこと? んー、今見て回った感じだとなかったよな」
「そういやあれは売ってるのあんまり見たことないっすね。孤児院では割とよく作るんですけど」
『そっかー、残念』
肉のケーキだというドリフィ・ローフ。どうしても食べたいわけではなかったが、ご当地料理は旅の楽しみの一つだ。せっかく教えてもらったので、機会があれば食べてみたかった。
「アヤネが世話になってるアシュクロフトさんの家なら、そのうち晩飯に出るんじゃないすか?」
「お客様にドリフィ・ローフを出すことはほぼありませんね。別の料理を作った余りの食材で作るものですので。お客様のご要望なら、お出しすることもできるとは思いますが」
ヘレナに言われて、それなら頼んでみようかなと思った。が、直後にもう一つ別のアイデアを思いついて、深く考えずにそれを口にした。
『ねえ、それって材料があればあたしにも作れるかな?』
ギルとダニーが首を傾げた。
「そっすね。孤児院でも年長のやつらが交代で作ってるんで、オーブンと材料があればできると思いますよ」
「俺、混ぜるのうまいぜ! あれ、結構力が要るんだよな」
「うちは人数が多いからなあ」
『じゃあさ、明日の晩御飯に作ってみない? あたし、明日はお昼過ぎにヴィクトルの家に行く予定でさ。用事が終わった後なら晩御飯の準備にちょうどいい時間になってると思う。キッチンを使っていいか、一応アシュクロフトさんに聞いとかなきゃだけど』
言ってから、これはなかなかいい提案なんじゃないかと思えてきた。
今日ロウ・マーケットに来られたおかげで、今気になっている観光場所は一通り回れてしまった。探せばもっと見どころがあるだろうが、スマホも観光ガイドブックも手元にない状態では難易度が高い。
明日以降、午前中に気の重い英語のレッスンだけしか予定が無いというのもしんどい。ハードな予定の後には楽しい予定があってしかるべきだ。
「いいっすけど……一人か二人、料理担当ってことで増えても構わねえすか? 俺らだけじゃ手順が心もとないんで」
『あたしは全然いいけど……』
ギルが心配してるのは、人数分の材料費がいくら掛かるかということだろう。そして、それが彼らの労働の対価に見合うかどうか。
初めて会った日、ソルビを買う買わないの問答をしてからずっと、あの時のギルの反応について考えていた。アシュクロフト氏のダニーへの冷たい対応と、それに対するギルの考えを聞いてようやくわかった。
ギルは、自分たちよりお金持ちのヴィクトルとの関係性が、一方的な搾取になるのを避けようとしている。おそらくは、ヴィクトルを慕うダニーの気持ちを、周囲に誤解させないために。
今も自分たちが提供する「観光案内」の対価と、私が払うお金が釣り合うか、普通の友人関係以上に慎重に考えているはずだ。
『ちょっと、いくら要るか計算してみようよ』
私は鞄に入れてきた手帳の余白ページに、必要なものを書き出した。
大麦の粉、刻み肉、野菜(なんでもOK、香味野菜を一つは入れると良い)、卵、オイル、塩、胡椒……。一部の材料は綴りが分からなかったので、日本語でメモをしたらギルとダニーにびっくりされた。教えてもらった英語の綴りを書き添え、市場で値段を調査する。
『意外と安く済みそうじゃない?』
「肉も野菜も破片でいいんで思ったより安いっすね。胡椒と卵がちょっと高いな」
店の正面に置かれているような野菜や肉ならもう少し高いのだろう。ダニーは店の端にある投げ売りの野菜を見つけるのが上手く、ギルはすでに閉店済みの肉屋に声をかけて、大きめの肉からくず肉の値段までを比較して底値を見つけてきた。素晴らしい生活力だ。
「胡椒はヴィクトルん家にあるぜ」
「卵が足りないときは、チーズを多めにして代用することもありますねえ」
ヘレナはドリフィ・ローフのレシピに自信はないそうだが、作る手伝いなら何度もしたということで、おおよその材料を把握していた。
「そっちのが安いな。チーズ旨いし。んじゃチーズを足して、卵はちょい少なめで……後は量次第か」
「でっかいのにしようぜ! 俺いっぱい食べるし!」
「ダニーの言うことは無視してください。自分の限界が分かってないんで」
『いいじゃん、でっかいの。余ったら皆で分けて持って帰ればいいし』
言ってから、この時代にラップが無いことに思い至った。余った場合どうやって持って帰ればいいんだろう? 皿ごと?
「量で悩んでいらっしゃるなら、家にどれくらいの大きさの型があるかで決めた方が良いかと」
冷静なヘレナの意見が助かる。しかしながら、ヴィクトルの家のキッチンツール事情は誰も把握していなかった。
「そしたら、型は孤児院から持ってきますよ。ガチででかいのになりますけど」
「オーブンはヴィクトルん家にあったぜ。一回だけ使ってんの見たことある」
セイヴェルの一般家庭に冷蔵庫はないそうなので、買い出しは当日にすることになった。これはギルとダニーにお金を渡して担当してもらうことにする。私は昼すぎにはユーリスと一緒にヴィクトルの部屋の検証をすることになっていて、それがいつ頃終わるか分からないからだ。
ヴィクトルの家のキッチンを使えるかどうかは、明日の昼までにアシュクロフト氏に確認して孤児院に伝言を出すことにした。伝言を待ってから買い出しに行ってもらえれば、ギルとダニーも無駄足を踏まずに済むだろう。
「ヘレナは明日も私と一緒に居れるの?(Helena, will you come with me tomorrow?)」
ヘレナはちょっと眉を上げた。多分、ヘレナ流の驚きの表情だ。
「旦那様のご指示次第です」
「そっか。じゃあアシュクロフトさんに聞いてみようっと(Right. I'll ask Mr. Ashcroft if you can come with me tomorrow.)」
それから私はドリフィ・ローフの材料の他に、日本で見たことのない果物をピックアップして買い物リストに追加した。
明日も楽しみになってきたな!
ここからは書き溜めが溜まるまで不定期更新になります。
スケジュール見通しは「活動報告」に随時投稿予定。
丁度明日の話が3日目の最終話になるので、3日目のまとめも含めて明日明後日は連続投稿します。




