39. 3日目⑥ 紳士淑女とエチュードを
治安の違いは早々に露見した。
「だぁからぁ、俺らが案内してやるって言ってんの」
「ほら、そんな大きい荷物持ってさあ。貸してみ。俺らが持ってやるって」
「け、結構ですから。あの、通してください」
売り子たちを避けて、市場の正面を迂回して入口に向かおうとしていた時だった。喧騒にまぎれて、あまり平和的ではなさそうなやりとりが耳に届く。
見れば、低い可動式の柵で仕切られた向こう側、搬入用の通路の人の目に付きにくい場所で、若い男二人が誰かに絡んでいる。男たちの身体に隠れて見えにくいが、絡まれているのは小柄な女性のようだ。
『ギル。あの人たち、なんて言ってる?』
遠い上に男たちの発音は不明瞭で、うまく聞き取れなかった。女性の言葉から感じた不穏な気配だけを頼りにギルを見ると、ギルも同様に男たちの様子をじっと見ていた。
「……ナンパみたいですが、良くない雰囲気っすね。あいつら、酔ってる」
ダニーとヘレナもそちらを見たが、二人の身長では人ごみの向こうが良く見えないようだ。丁度人の流れの死角になっていて、他に立ち止まる人もいない。
「ちょっと声掛けてきます。少し待っててください」
『あたしも行くわ!』
「え? いや、喧嘩になるかもしれねえし……アヤネって喧嘩できるんでしたっけ?」
『全然! でも今は背の高い男だよ。威嚇くらいにはなるでしょ』
「危ねえっすよ。向こうは二人なんで、なんかあっても守りきれねえし」
『二人いるからこそだって。頭数があった方が、穏便に引いてくれる確率も上がるだろうし』
そんな問答をしている間に、事態は悪化してしまった。
「返してください!」
女性が抱えていた何かの大きなケースを奪い取られて声を上げている。十代後半くらいの、まだ少女と言っていい年頃の女の子だ。太く編まれたおさげに、純朴さを感じる気の弱そうな顔立ち。プリント生地の素朴なドレスに繊細なレースの手袋が浮いていて、一目で都会に慣れていないのが分かる。
男たちは拒否の言葉を意に解さず、酒で赤くなった顔をニヤニヤと歪ませていた。
「だーから、荷物を持ってやってるだけだって。親切よ、シ・ン・セ・ツ」
「そんな悪者扱いされると俺ら傷ついちゃうなぁ。ちょっとあっちでお話ししよっか」
「嫌です、離して!」
私たちが問答をやめて駆け寄ろうとした時だった。
「まあ、リジー! こんな所にいたのね!」
大きな丸眼鏡に帽子を被った女性が、場違いなほど明るい調子で割って入った。
男たちも、絡まれていた女の子ですら、ぽかんとしてそちらを見た。
まっすぐ伸びた背中に細いウエスト。理想的な曲線を描く肢体を、保守的なドレスが首元まで覆っている。結い上げられた緩いウェーブを描く髪が顔周りに散らされて、小作りの顔に華やかさを添えている。長いまつげに縁どられた深い知性を感じる新緑の瞳が、眼鏡のレンズ越しにちらりと見えた。
地味な帽子と大きな眼鏡で隠してなお、隠しきれない美貌の持ち主は、呆然としている男たちをかき分けて女の子の手を取った。
「いつまで経っても待ち合わせに来ないものだから心配したのよ。この方達は? お友達かしら?」
美女の上目遣いに、男たちが釘付けになっている。女性の発音は一つ一つがクリアで、不思議なほど理解しやすかった。
「い、いえ、知らない方ですけど、あの、あなたも誰……」
「まあ! それじゃあ通りすがりに荷物を持ってくださったのね。ご親切にどうもありがとう。でも……」
女の子の発言をかき消すように女性の明るい声が被さり、「でも……」のところで急にトーンが落ちた。
女性がふいにこちらを見る。私はどきりとした。
「困ったわ。実はこの子、魔術師の助手でね。呪いの品の運搬をしていたところなの」
「の、呪いの品?」
「その荷物、壊れるとまずいし、手袋なしじゃ触るのも危ないんじゃなかったかしら? ねえ?」
そこの魔術師さん、と目線を送られ、意図に気づく。私は可能な限り表情を引き締めて、こくりと重々しく頷いた。
突然の展開に、男たちのアルコールで鈍くなった頭が困惑に染まっていく。
ギルも女性の意図に気付いたらしい。素早く目配せした私たちは、小声で短く打ち合わせをすると、胸を張って堂々と彼らに近づいた。
ギルが男たちの目の前に立つ。そして、わざとらしいくらいの厳めしい口調で話しかけた。
「失礼。こちらの権威ある魔術師ヴァージル様は、早々にそちらの品を彼女に渡し、あなた方の浄化を行った方が良いとおっしゃっています」
誰だヴァージル様って。私は理性的に表情筋を硬直させながら、出来るだけ重々しく聞こえる日本語を探した。ギルとつないでいない方の手で片合掌をして、いつかの法事で見たお坊さんに思いを馳せながら、言葉を呪文っぽいリズムに乗せていく。
『あー、南無妙法蓮華経、続き知らんけどどうしよう。浄化、浄化、五劫の擦り切れ、とりあえず水で手を洗って塩とか被ったらいいんじゃないの知らんけど』
ギルが真面目くさった顔でうんうんと頷きながら聞き、その場に居た皆にでたらめな通訳を披露する。
「魔術師ヴァージル様は浄化を試みられましたが、あなた方に降りかかった呪詛は相当強力なようです。そちらの助手の方、まずは彼らから呪物を引き離して頂けますか? 絶対に壊さないよう、慎重に」
「えっ!? は、はいっ!」
元より素直な性格らしい女の子は言われるままに応じた。おかしな即興劇に巻き込まれた男たちは最初の気勢を完全に削がれている。よしよし、これで荷物は無事に回収できた。
『すいへーリーベぼくの船。ギル、あとは私、適当に呪文唱えてる感じにするから、どこか別の場所で浄化した方がいいとか言って追い払って。そーまぐあるシップスクラークか、拙者親方と申すは以下省略』
「えー、ヴァージル様はあなた方に呪いの浄化方法を提示しておられます。まず全身を水で流し、次に頭から塩を被り爪の先までしっかりと塗りこみ、それから生木の薪で煙を……」
「なーにが呪いだ! 時代遅れなんだよ、おっさん!」
男たちはようやく正気を取り戻したようだ。
『あわや咽、さたらな舌にかげさしおん。はまの二つは唇の軽重、かいごふ爽やかにあかさたなはまやらわ。をこそとのほもよろお……』
「もう行こうぜ。頭おかしいんじゃねえの、こいつら」
呪文を唱え続けている私にわざとらしくぶつかって、男たちは逃げて行った。
『アホみたいなナンパしてたあんたらには言われたくないんですけどー』
彼らの背中に追い呪文(ただの日本語)を投げながら、市場とは反対側へ去っていくのを見送る。
「あなた、大丈夫? 連れの方はいないの?」
「か、簡単なお使いなので、一人で……」
男たちと十分距離が離れたのを確認したのち、助けに入った女性が、絡まれていた女の子に声をかけた。
初対面の適切な距離感を保った様子に、やはりあの明るく親し気な様子は演技だったのだなと思う。おそらく女性が呼んだ「リジー」と言う名も、女の子の本当の名前ではないのだろう。
「アヤネ、ギル! 上手くいったなー!」
「即興劇、面白かったです」
少し距離を取った場所で見ていたダニーとヘレナがやってきて拍手してくれた。私とギルは顔を見合わせてハイタッチする。
「あなた方も、協力してくれてありがとう。急に巻き込んでごめんなさいね。こちらに注目していたのが、あなたたちだけだったものだから」
「いえ。俺らも、あれが一番穏便に荷物を取り返せそうだなと思ったので。すげー機転っすね」
「上手くいって良かったわ。即興劇が始まるとは思わなかったけれど。ふふふ」
花がほころぶように女性が笑う。素の話し方は知的できりっとした印象だが、笑うと華やかな雰囲気になった。女の子もようやく緊張が解けたのか、安心したように笑う。
(うわー、ほんとにまじで美人さんだ~!)
緊迫感のない場で微笑む女性は、私の好みにどんぴしゃだった。もうお気づきかもしれないが、私は知的なおねえさんに弱い。恋愛的な意味ではなく。
「あの、助けてくださってありがとうございました」
女の子は取り戻した荷物をぎゅっと握って、はにかんだ様子でお礼を言った。
「どういたしまして(My pleasure.)」




