35. 3日目② せんせーがこわいよー
「昨日、君と別れた後に私が預かっていたものだよ。明日、友人と街歩きをするのならそちらの鞄の方が身軽で良いだろう。財布に多少小銭を増やしておいたから、皆で好きなものでも食べなさい」
私はついアシュクロフト氏の表情を伺ってしまった。
普段通りのアルカイックスマイルが浮かんでいる。感情や意図を読み取らせないようにするのが得意なのだろう。
彼がどういうつもりであれ、自分の資金がゼロの私にとってはありがたい。少なくともこの財布の中身に関しては、ヴィクトルに気兼ねすることなく使っていいということだ。
「ありがとうございます(Thank you very much.)」
アシュクロフト氏は満足げにうなずいた。
「ああ、それから」
別れ際、アシュクロフト氏は今思いついたというように切り出した。
「お茶会までの間、英語のレッスンを受ける意思はあるかい?」
「え?」
英語のレッスン? 唐突な提案に私は目を瞬かせた。
「次の茶会の主催が我々――私とヴィクターの母の、友人だという話はしたかな? 当然、母も出席するのだが。もしも君がそれまでヴィクターの身体に滞在し続けた場合、母と対面するのは、アヤネ嬢、君ということになる。我々の母君はかなりの心配性でね。一週間もヴィクターが戻っていないと分かれば、色々と気を揉むに違いない。そこで、茶会の間は君にヴィクターのふりをしてもらえないかと思うんだ」
なるほど。ヴィクトルの母がどんな人なのかは知らないが、一週間も知らない霊に息子が乗っ取られているとなれば、心配しない母親の方が少ないだろう。
「分かりました。英語のレッスンは受けたいです。でも、ヴィクトルのふりをするの、可能でしょうか?(I see. I'd like to take an English lesson. But is it possible to pretend Victor?)」
私にはヴィクトルの記憶が無い。たとえ英語のレッスンを受けてヴィクトルっぽい話し方ができるようになったとしても、会話が噛み合わない可能性が高い。
第一、相手はヴィクトルの母親なのだ。他人であればまだしも、親の目を誤魔化すのは相当厳しいのではないだろうか?
「ヴィクターはもともと口数の少ない子でね。私が一緒に居てフォローをすれば、相槌だけで何とか誤魔化せるだろう。茶会の最中は私も社交があるので君のそばを離れざるを得ないが、それは母も同じはずだ。その上、セイヴェル式の茶会では男女が共に過ごす時間は限られている。万が一、母と一対一で話すことになっても、手洗いと言えば切り抜けられるだろう」
それならば大丈夫そうな気がする。何より、セイヴェルにきてからずっと英語の勉強をしたいと思っていた。アシュクロフト氏がレッスンを受けさせてくれると言うなら渡りに船だ。
「わかった。できる限り頑張ります(OK. I'll do my best.)」
そうして明日からお茶会まで、毎日午前中に英語のプライベートレッスンを受けられることになった。
(ラッキーだなー)
私はもともと英会話に興味がなかった。
受験勉強は真面目にしたので基本的な英語と文法は頭に入っているが、その分「英語=勉強する義務があるもの」というあまり楽しくないイメージが定着してしまっている。だから、母が一時期はまっていた英会話教室にも一緒に行きたいとは思わなかった。
ここ数日、それを何度も後悔している。英語を話す友達がたくさんできて、話したいことをうまく話せないのがもどかしくなった。
(まあ、思ったより話せててびっくりしてるけどね! 受験のとき頑張ってよかったなー)
とはいえ、話している相手の推測力に頼っている部分は大きい。時々致命的な勘違いも起こしているし、もう少し英語ができるようになったらもっとセイヴェルを楽しめる気がする。
一週間に満たない程度のレッスンでは大して変わらないかもしれないが、こういうのは地道に積み上げていくしかない。お茶会が終わるころには、皆に伝えられるお別れや感謝の言葉が増えているといいな。
その日の夜は、貴族のお屋敷でアシュクロフト氏に似た小さな男の子と一緒に、アルファベットを習う夢を見た。
そんなわけで異世界三日目の昼下がり。この数時間前に、初めての英語のレッスンを受けてきたわけなのだが。
『せんせーが、こわいよー』
たった九十分程度の初回レッスンで、私は早くもめげそうになっていた。
アシュクロフト邸の馬車に送ってもらい孤児院でギルとダニーと合流した私は、一気に気が抜けて二人に抱き着いた。そのまま院内の談話室に案内され、固いソファに突っ伏している。
「どーしたんだよ、アヤネ? 大丈夫かー?」
「何すか、そんな変な先生だったんですか?」
ダニーとギルが両脇から慰めてくれる。日本語を話しても言葉が通じる空間に涙が出そうだ。
『だってなんか鞭とか持ってるんだよ! 何あれ!? セイヴェルの先生って鞭を持ってるのが普通なの!?』
鞭と言っても縄状の長いものではなく、短い乗馬鞭だ。何の慰めにもならない。少なくとも私の常識では、教育現場に持ち込んでいいものではない。
「鞭ぃ? 何それ。俺の知ってるせんせーは持ってないぜ、そんなん。こわー」
ダニーと自分の感じているおかしさを共有出来てほっとする。一方でギルは、何か心当たりがある様子で首をひねった。
「あー……ひょっとしてその先生、結構年配の人なんじゃないすか? 髪とか白くなってるくらいの」
『うん。見たとこ、五十は過ぎてる感じだったかなあ』
私は午前中に散々見た教師の顔を思い出していた。
半分近く白くなった髪と髭をきちんと撫で付けた、壮年の紳士である。愛想が一切なく、必要最低限のことしか言わない。授業内容は会話で使えそうな切り返し文句の練習ばかりだったので、私も積極的に覚えようとしていたのだが、いかんせん発音が難しい。
どんなに頑張って繰り返しても、何度お手本を聞いても、自分の発音との違いが全然分からないのだ。教師は表情を変えない人だったが、私があまりにできないので、後半はちょっとイライラしていたような気がする。自分の不甲斐なさに対する私の中の焦りが見せた幻覚かもしれないが。
「その鞭で殴ってくるんすか? その人」
『殴られはしないけど……間違えると、手元で鞭をパシッて鳴らすんだよね。それがめっちゃ怖くてさー』
その上、指摘された発音が直っても直らなくても、何も言ってくれないのだ。授業は先生の発音を繰り返す方式で進んだが、最初の指摘箇所より先の部分に進んだとき、自分がちゃんと発音できていたのか、本当は出来ていないけれど後回しにして次に行ったのかさっぱり分からない。結果、ずっと間違っているかもしれないという不安を抱えたまま進み続けるのだ。
一度勇気を出して「さっきの発音はこれで大丈夫でしたか?」と質問してみたら「直っていません」とだけ返ってきた。さらには質問の仕方自体を修正される始末である。
最後の方にはこの先生の前で英語をしゃべるのが怖くなり、必要最低限の発言しかしなくなってしまった。
「確かそれくらいの年代の人って、学校の先生に折檻されるのは普通だったとかって聞いたことがあります。俺らが生まれるちょっと前くらいに『殴る教育は良くない』って風潮になって、国が規制を作ったとかなんとか。鞭で殴られてるならその規制に引っかかるんすけど、手に持ってるだけだと……うーん、ちょっと俺も詳しくないんで分かんねえっすね」
マジか。「良くない」の基準が違いすぎる。日本だったら教師が鞭で脅しをかけてくると言うだけで、SNSどころかニュースでも取り上げられるレベルだ。どこかしらの公的機関にも訴えられる、大問題になる気がする。
(でも一九〇九年だと、日本は明治時代か大正時代くらいか)
大正文学をつまみ食いしていた高校生のころ、十代後半の兄が妹を殴る描写があってぎょっとしたのを覚えている。しかもそれが小説の中では大した問題になっておらず、「よくある日常風景の一部」として描かれていたのだ。当時は私の生まれた年代より、はるかに暴力が身近にある社会だったのだろう。
ということは、この価値観のズレは日本とセイヴェルの文化の差というより、時代的な側面が大きいのかもしれない。
(そういえば、タイムリープしてるって話はまだ誰にも言ってなかったっけ)
昨日、ユーリスに私の話を沢山したが、時代のズレに繋がるような話題にはならなかった気がする。生年月日も聞かれなかったし、スマホやインターネットの話もしていない。映画の話はしたけれど、ギルが「映画」という言葉を理解していたので、この時代にも存在する技術なのだろう。
まあ、今話したところでややこしくなるだけだろうし、いいか。




