34. 3日目① 昨日の観光の記録
昨日散々魔術を見せられて実感したので、もうここを「異世界」と呼ぶことにする。
セイヴェルがヨーロッパの一国であることは間違いないし、魔術が当たり前に存在すること以外は自分の知っている世界と同じなので、ひょっとすると「パラレルワールド」の方が近いかもしれない。まあ、細かい定義を検閲する人はここにはいないので(なんてったって日本語を話す人が私以外に見当たらない!)、私が呼びやすい言葉でいいだろう。
異世界三日目の朝、私は未だ魔術師ヴィクトルの身体にいた。
昨日、クララの屋敷から離れたあと、アシュクロフト氏は約束通り馬車で観光に連れて行ってくれた。
最初に訪れたのは、国立図書館だ。
王城付近の建物でアシュクロフト氏が用事を済ませている間、退屈だろうからと連れて行ってくれたのだ。
現代日本の図書館と違い、誰でも入れる場所ではなさそうだったが、アシュクロフト氏が二言三言受付で言葉を交わすと、それだけでフリーパスになった。
残念ながら置かれている本は言語の関係で読めない。しかし、建物自体が大きく圧巻の美しさで、ぐるっと歩いて回るだけで楽しい場所だった。
石造りの建物故だろうか、建築様式そのものが長い歴史を帯びていて、彫刻と美術品で飾られている。一部は博物館のようなショーケースと解説文まで並んでいて、図書館というより美術館を歩いている気分だった。ただ本と資料を保管する場所ではなく、国の権威を集め、伝える場所なのだろう。
建物の中心部には円形の閲覧席が並び、身なりの良い紳士や若者たちが静かに本を楽しんだり、何かの資料を紐解いて勉強をしている姿が見えた。私は近くの棚から本を一冊引き出して空いている席に座り、1ページ目で読むのを諦めて、円形の天井の細工を眺めてぼーっと雰囲気を楽しんだ。
次に王城広場だ。
ここでもアシュクロフト氏は用事を済ませるため別行動をしていた。彼は「どこか待機用の店に案内しようか」と提案してくれたのだが、私は街を見て回りたかったので遠慮し、一人で外に出た。ヴィクトルの長い髪は多少人目を引いたが、ちゃんとした礼装を纏っているせいか、それほど長く注目を留めずに済んだ。
王城広場は一度ティモシーと一緒に横切っている。あの時は夕闇に隠されていたが、明るい時間に改めて見ると、他の道とは雰囲気が違うのが良く分かった。
広場自体は夕方に比較して静かで、上品そうな人々がゆったりと行きかっている。時折通り過ぎる馬車もどこかのんびりしていて、建物の合間にある馬車寄せでは御者たちが談笑している姿が見えた。
端の方には記念碑や像が設置されていたが、中央広場のように人がたむろするようなこともなく、荘厳な雰囲気を保つことに成功していた。
装飾の凝った王城の門も同じく、用もなく気軽に近寄れない緊張感を纏っている。少し近づくだけで派手な装飾の衛兵が視線をこちらに向けたので、私は門の手前の道を「そっちには興味ありませんよ」という体を装ってそっと通り過ぎた。
その次に訪れたのは、中央広場近くの大聖堂だ。
ここにはアシュクロフト氏も同行し、可能な限りかみ砕いたやさしい言葉でセイヴェルの歴史などを解説してくれた。
いわく、この国の国民はほとんどキリスト教徒らしい。「ほとんど」というのは街の外に住んでいる魔術師たちの信仰が分からないからだ。彼らは街の人間にとってはおとぎ話に近い存在で、どんな生活を送っているのかすら、絵本からのぼんやりとしたイメージでしか分からないらしい。
「ユーリス卿は、元は外の魔術師だ。おとぎ話の世界から出てきた希少な登場人物というわけだね。今度、外の魔術師の生活について質問してみようかな」
アシュクロフト氏は妙に楽しげにそう言ったが、私は相槌を返すのに躊躇いを覚えてしまった。
これまでのやり取りを見る限り、二人の仲がそれほど良いようには思えなかったからだ。信仰の話からの派生だし、「次に会ったらデリケートな話題にあえて踏み込もうかな」というブラック寄りのジョークだったらどうしよう。
私は迷い、曖昧に表情だけで答えて、頭の上の壮麗なステンドグラスに目を奪われているふりをした。
他にもいくつかの場所を馬車の中から眺めて回った。
一番私の心に留まったのは、商業区域から庶民街の方面に行った先にある市場だ。ルメインの中で最大規模の露店市で、「ロウ・マーケット(The Low Market)」と呼ばれているらしい。
人でごった返している上、場違いなほど磨き上げられたアシュクロフト氏の馬車で中に入ることはできなかったが、横を通るだけで活気が伝わってきた。
色とりどりの果実や穀物を山積みにした木箱の前で、売り子たちが節をつけた大声で、歌うように呼び込みをしている。
ちょうど夕食の準備を始める時間帯なのだろう、エプロンをつけた主婦やメイド姿の女性たちが目立つ。背の低い粗末な身なりの少年たちが人ごみを縫うように駆け回り、小銭と引き換えに小さなパンやお菓子を買って、はしゃぎながら去っていく。
広場の端の方に簡易的な屋根の付いた場所があるが、ほとんどの店は露店だ。商品と売り子と簡易的な屋台の骨組みだけの店が、広場の奥の方までぎっしりと並んでいる。
広場の端にある屋根付きの建物では飲み物と軽食を売っているらしく、数人がカウンターに肘をかけ、同じ形のカップを傾けながら立ち話に興じていた。
アシュクロフト氏は、ここについては「ロウ・マーケット」という名前と市民の台所であることを教えたきり、特に説明を加えなかった。おそらく、貴族の彼はこういった庶民的な場所に縁が無いのだろう。
私は心の中で、「ギル達と観光するときに行きたい場所リスト」に「ロウ・マーケット」とメモをした。
最後にたどり着いたアシュクロフト伯爵のお屋敷は、クララの屋敷よりもさらに贅沢な空間の使い方をしていた。
まず、庭が広い。街中でこのスペースを一つの家が占有するのはありなのかと思うくらいに、広い。
クララの屋敷にも見事な庭があったが、上手に配置された草花の美しさが売りで、面積自体はそこまで広くなかった。対してアシュクロフト伯爵邸の庭は、短く刈り込まれたつやつやの芝生が大部分を占め、その端を庭木の花が彩る、空間の余白を前面に押し出す作りだった。
見渡してみればこのあたりの邸宅は同様に広い庭を持ち、立派な門と豪華な装飾で飾られた建物ばかりだ。やや郊外寄りとはいえ、都市の真ん中で空の広さを感じられるこの構造こそが、富の象徴なのかもしれない。
屋敷に入ると玄関ホールの正面にある大階段の吹き抜けが真っ先に目に入り、一層空間の広さを強調していた。
ランプがなくとも明るいのは、天井上がガラス張りになっているからだろう。ゆとりのある空間の端を絵画や美術品、チェストやランプ等の瀟酒な調度品が彩っている。一つ一つが見事な作品にも関わらず、主張しすぎない配置の仕方に品を感じた。
「君の部屋は好きに使って構わないよ。言葉の問題については使用人たち全員に話を通すよう言ってあるが、もしも不自由を感じるようなら私に言いなさい」
家を取り仕切っているらしい執事と、私の世話をしてくれるというメイドを紹介したのち、アシュクロフト氏はそう言って部屋の鍵を手渡してくれた。さらに影のように控えていたケネスが、見覚えのある鞄を差し出す。
「ヴィクトルの鞄?(Victor's bag?)」
ダニーがヴィクトルの家から持ち出し、アシュクロフト氏の前で投げ捨てたあの小さな鞄だ。セイヴェルで目覚めた朝に既視感を覚えた刻印が、フラップ部分にあしらわれている。




