30. 2日目⑫ 意地悪の応酬
ユーリスと連れ立ってクララのいる客室に行くと、場は騒然とした。部屋に入るなり私がユーリスの腕を取り、例の傷を見せたからだ。
「きゃああああ、ユーリス様! 一体何があったんですの!? あなたたち、立っていないでぬるめのお湯とタオルを用意なさい! お薬と医者もよ! 早く!」
部屋に控えていた少数の使用人たちが、慌てて各々の仕事に走っていく。姿勢よく控え、主人の状況を見て必要最低限の動きをする洗練された彼らから上品さがはがれ、空間の人間臭さが一気に増した。
「落ち着いて、クラリッサ。それほど大した傷ではないのです。少しエレメントにやられただけですから。わざわざ医者を呼ぶ必要もありません。伯爵にお会いするのに問題ない程度に見た目を整えられれば……」
「クラリッサ」というのは、クララの正式なファーストネームだ。「クララ」は愛称。
「何をおっしゃいますの、たとえ小さな傷でも化膿したら大変ですのよ! 痕が残ってもいけませんし、きちんと手当しなくては……ああ、エレメントですって? わたくしの屋敷の管理が甘かったのかしら」
「いいえ、あれは自然発生したものではなく、術者が寄こしたものでした。この屋敷では私が対処するのが適当でしょう。あなたが気に病むことは何もありませんよ」
使用人が持ってきたぬるま湯のたらいにタオルを浸し、濡らしたそれでユーリスの腕の血を落としていく。血の量は大したことがないが、赤く染まる範囲の広さが傷の大きさを物語っていた。
「術者の……まさか、」
クララは何か心当たりがあるような反応を見せたが、語彙のレベルが上がったのか私には全く聞き取れなくなった。
「可能性はあります。出所を辿り切る前に自爆されてしまったので、何とも言えませんが」
不安げな顔をするクララに、ユーリスは勇気づけるように微笑んだ。
「もしあの方が本気で何かするつもりなら、もっと確実な方法がいくらでもあるはずです。心配しなくても大丈夫ですよ。後程、屋敷の守りを再点検しておきます」
救急箱を持った使用人が到着した。医者らしき人は見当たらないので、ひょっとしたら屋敷専属の医者はいないのかもしれない。この国では医者が貴重という可能性もある。
「アヤネ、あなたは大丈夫だった? どこか怪我をしていない?」
「私は大丈夫。ユーリスが庇ってくれたから(No problem. He saved me.)」
「それなら良いのだけれど」
クララはまだ不安そうにして、部屋の隅からユーリスの手当てを眺めていた。
ユーリスは使用人たちに囲まれ、他に怪我がないかローブを外して確認されている。腕だけで見ると傷の範囲は大きいが、他の場所に外傷は見当たらないようだ。
しかし衣装が黒い分、切り裂かれた袖口から覗く白い肌と赤黒い傷が際立つ。破れた布の欠片がデザイナーの意図に反して垂れ下がり、見るも無残な有様だ。
途端にクララの目が光る。
「大至急、お召し替えが必要ですわね! すぐに服の選定を致しましょう」
「クラリッサ? アシュクロフト卿を待たせているのでしょう。そんなに手間を掛ける必要はありません。手袋か何かで隠すだけで……、っ」
使用人が何かの薬品を浸したガーゼを傷に押し当てた。染みるのか、声に出さないまでもユーリスの息が詰まる。その隙にクララは服を用意しに行ってしまった。
なんだ、ちゃんと痛みを感じるんじゃないか。
傷にあてたガーゼを押さえるため、白い包帯がぐるぐる巻かれていくのを、私は白々と眺めていた。
「……アヤネ。なんだか不満そうにしていますね」
少し離れた壁際に居る私に、ユーリスが話しかけてきた。
「別にぃ? もっと痛くしてもらった方がいいんじゃないの(Nothing. You should feel more pain.)」
そうすれば、自分の傷を手当せずに放置しようなんて思わなくなるだろう。
腕を組んだままそっぽを向くと、ユーリスはしばし沈黙した。処置の終わった腕の包帯を撫でる。
「痛くしてみますか?」
『え?』
ふっと影が差した。気づけばユーリスがすぐ隣に来て、顔を覗き込んでいる。
彼は手当てをしたばかりの腕を差し出し、私の手を取ってその上に触れさせた。
「それほどご不満なら、あなたが、私に痛みを教えてみてはいかがですか?」
ゆっくりと、言い含めるような英語が鼓膜を揺らす。
「ほら」
包帯のざらりとした感触が指を掠める。
とん、と無意識に引いた背が後ろの壁に当たった。
『……いやいやいや』
私が両手を上げて降参のポーズをとると、ユーリスはぱっと離れた。
「冗談ですよ」
腕を引っ込める。
そして、いたずらっ子のように、してやったりの笑みを浮かべて首を傾げた。
「意地悪の、仕返しです」
「…………」
存外、美人の使い方が上手い。
「やあ、ずいぶん念入りに調べてもらっていたのだねえ」
開口一番に遠回しな嫌味をぶつけられても、まあ仕方ないかなと思う程度には着替えに時間がかかってしまった。サンルームで待機していたアシュクロフト氏の発言である。
クララが持ち出した新しい服は三着。どれも力作だったが、パーティーでもない場所に着ていくにはやや装飾過多だった。
ユーリスはそのうちの一番シンプルなものを選び、一部の装飾はつけなくていいと主張した。対するクララはそれではバランスが崩れると食い下がり、全身鏡を見せながら視線誘導と要素の密度の関係性を説いた。
では今着ているものが気に入っているので、とユーリスが手袋で破れた箇所を誤魔化す案を再度推したが、一度地面に座り込んでしまったせいで背中に砂が付いている。完全に砂を落としきるのは時間がかかる、着替えてしまった方が早いと反論されてしまった。
最終的に公平な第三者として私も巻き込まれ、三つ巴の議論の末、簡単なヘアアレンジで装飾を外したことによる物足りなさをカバーする案で決着した。そのヘアアレンジにもひと手間掛かったので、着替えにかかった合計時間はそれなりに長かっただろう。
ただ、当初の目的「ヴィクトルの身体に憑いた霊こと私が、一日経っても身体を離れない原因を探る」の部分に、待機時間のほとんどを使っているのは事実なので勘弁してもらいたい。
アシュクロフト氏はサンルームにしつらえられたティーテーブルで、お茶を頂きながら暇つぶしに画集を開いていたようだ。机に何冊も積み上げられていることから、アシュクロフト氏の自前のものではないだろう。絶対に暇な立場ではないだろうに申し訳ない。
「お待たせしてごめんなさい! ユーリスは私を守ってくれてたの、精神的にも肉体的にも(I'm sorry for making you wait! Yuris saved me …… mentally and physically.)」
「アヤネ」
ユーリスは止めようとしたが、私はさっとユーリスの右腕を取り、アシュクロフト氏に包帯を見せた。
アシュクロフト氏はちょっと目を見張った。
「お久しぶりですね、ユーリス卿。この度は、私の弟のために時間を作って頂きありがとうございます。しかしそのお怪我は、一体何があったのですか?」
「……魔術が超常的な力を扱う以上、多少の危険は覚悟しなければなりません。今回は運悪く、彼女のいる場でそれが起こってしまったのです」
アシュクロフト氏の笑顔に、何かの感情が閃いた。面白い獲物を見つけた猫のような。
「それはそれは。今回の依頼は、それほどの危険を伴うものだったのでしょうか」
「弟君の状態を確認してほしいというご依頼でしたね。先に座らせていただいても?」
「アシュクロフトさん、ユーリスを責めてるの? なんで? ユーリスは私を守ってくれただけだよ(Mr. Ashcroft? Are you blaming him? Why? He just saved me.)」
会話の詳細は分からないまでも、空気が良くない気がして私は純粋な疑問を口にした。
二人の視線が同時にこちらを向く。何かまずかっただろうか?
「ふ……」
二人が同時に笑ったので、大丈夫だったと思いたい。めちゃくちゃ変なことを言っていたなら、出来れば後で教えて欲しい。
「アヤネ、アシュクロフト卿は私を責めてはいませんよ」
「助力を乞う身で、詮索は不躾だったかな。申し訳ない。彼女を守ったということは、私の弟の身体を守ってくれたということです。改めて感謝申し上げる」
「こちらこそ、ご配慮痛み入ります」
何を話しているか全然分からないが、「アシュクロフト氏がユーリスを責めていない」という情報を得たのでよし。空気が穏やかになったのでパーフェクトだ。
「それでは、現在の魔術師ヴィクトル、そしてアヤネの状況について、私の見立てをご説明しましょう」




