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異世界&ギークス  作者: 弥乃
1章 初めの一週間

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29. 2日目⑪ 最終兵器クララ

「アシュクロフト卿の依頼内容への回答は、おおよそ定まりました。あと少しだけ作業が必要なので、一度先ほどの椅子まで戻りましょうか」


 そう言われて最初に休んだ椅子のある木陰に戻る途中、ユーリスは小さな家に寄り、コップに水を入れて持ってきてくれた。必死に話していたせいか喉が渇いていたらしい。気遣いをありがたく頂いた。


 私が再びロッキングチェアに座って休憩している間、ユーリスは(かたわ)らの椅子で何かのメモを取っていた。先ほど採取した、私の血の入った小瓶の中身を数滴シャーレに乗せて観察し、変化を見ているようだ。シャーレも魔導具なのか、扁平(へんぺい)なガラスが刻印の入った枠で囲われていて、ガラス部分が発光していた。


(ただ座って書き物をしているだけで、絵になる人だなあ)


 クララ作と思しき衣装がいい仕事をしている。詰襟で全体的に黒いが、薄い素材が間に挟まれてアクセントになっているのと、光沢を押さえた鈍い金の刺繍が随所に入っているおかげで重すぎるということがない。刺繍糸と色味をそろえた艶消しの金属の装飾が動きに合わせて揺れ、シックな装いに華を添えている。


 ローブは、私が着ていたヴィクトルのローブのようなフード付きのものではなく、肩回りにピッタリ沿うようになっている。布のもたつきの無いすっきりとしたデザインが、姿勢の良さを際立たせていた。内側の服は裾が長く、くるぶしまで覆っていて、神父のカソックを思わせる。ローブの袖周りは長く、腕の角度によって大きなドレープを作っていて、内側に薄い布で作られたフリルがちらりと覗いていた。


 その内側、右腕の袖部分が大きく裂けたままになっていることに気が付いて、私は声を上げた。


「ねえ、ユーリスは大丈夫なの? その傷……(Yuris, Are you alright? About your wounds…….)」


 手当しなくちゃ、を英語でなんて言うか分からず途中で止まってしまった。指で示すと、ユーリスは初めて気が付いたような顔をした。


「ああ、大丈夫ですよ。ん、また血が(にじ)んできたな。さっきどこかにぶつけてしまったんでしょうか」


 おかしいな、みたいな顔をしているが、逆にどうして放置でいいと思ったのか。傷がついたのは少し前だが、裾で隠したまま何の手当もしていないのは明白だ。


 ほとんどの血は黒ずんで固まっているが、まだてらてらと光り、白い肌に生々しい暴力の痕跡を刻んでいる。高そうな布地が破れるくらいの力でひっかかれたのだ。皮膚が破れていないところも赤く盛り上がっているし、これで痛くないはずがない。


「さっきの……えっと、ガーゼはもうないの?(Do you have more gauze?)」

「え? 家の中にはありますが……見た目より痛くありませんから、大丈夫ですよ。一度水で流しましたしね。お気遣いありがとうございます」


 ユーリスは新たに(にじ)んできた赤い血を反対の指の背で適当に拭い、再び傷口をローブの長い袖の下に隠した。


「それよりもあなたの方が心配です。眩暈(めまい)などはありませんか? 先ほどの話からすると、魔術とは縁遠い生活をしてきたのでしょう。負荷も掛かりやすいはずです」


 さてはこの人、自分のことにはだいぶ無頓着な人だな? 私に対する細やかな気遣いに比べて、自分に対する雑さが酷い。


「もー、ユーリスが自分で何とかしないならクララに言うよ!(If you don't do anything by yourself, I'll tell Clara about the wounds!)」

「そんな大げさな……大丈夫、これくらいなら放っておけば治ります。そんなに気にしないでください」


 そんなことより目の前の作業の方が大切らしく、ユーリスは書き物を再開した。やがて書き終わるとペンを置き、血を採取した容器にメモを書いたラベルを貼って、使った道具を片付け始める。

 私の指先を切った時にガーゼを固定したテープや消毒液の瓶もその中にあったが、それらを自分の傷の手当に使おうという発想は出てこないらしい。


 駄目だこの人。私はアプローチの仕方を変えることにした。


「あなたはこの後、伯爵であるアシュクロフト卿に会うと聞きました。その裂けるをした服で彼に会うのは、失礼じゃないんですか?(I heard you'll meet the Earl, Lord Ashcroft later. Isn't it rude if you meet him wearing the teared clothes?)」


 ユーリスはぴたりと固まった。


 こちらをちらっと見たあと、つ……と目を泳がせる。


「……ローブの裾で隠せますから」

「握手や文字を書くことのために右手を使うんじゃないですか? それを隠すのは難しいと思います(You use your right hand for shaking hands and writing, right? I think It's difficult to hide it.)」

「では手袋をします」

「手袋を持っているんですか?(Do you have gloves?)」

「園芸用ですが……」

「絶対ダメでしょ(Out of the question.)」

「黒い手袋ですし」

「クララが許してくれないって分かってるよね(You know Clara wouldn't permit that.)」

「…………」


 目を泳がせたまま、ユーリスがついに沈黙した。私は往生際の悪い子供を説き伏せる気分で、ゆっくりと決着の言葉を告げた。


「クララのところに行くのと、ここにクララを呼ぶの、どっちがいい?(Do you want to go to Clara's place or call Clara here?)」


 ユーリスは神妙にうなだれた。


「こちらから向かいます……」

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