2. 1日目② 言葉は分かれど状況分からず
「あ……」
驚いたことに、今度ははっきりと何を言っているのか理解できた。
音は先ほどと変わらず英語なのだが、すべて聞き取れているとは言えない耳をスルーして、頭の中に内容が直接インプットされている感じだ。
『えっ、すごい、めっちゃわかる! これってあたしの言ってることもわかるの?』
「わかるぜ! こうやって触ってる間だけな。へへっ、やっぱ魔術師ヴィクトルはすげーよ」
「よかったです。でもあんた、さっきちょっと英語しゃべってませんでしたっけ?」
『学校で英語の授業を受けてたんだよ。でも、試験のための英語だったから喋る練習はあんまりなくって』
「学校かあ、いいなー」
「そんで、あんたはどこのだれの霊なんです?」
『霊?』
二人はもう一度顔を見合わせた。
「呼び出しを覚えてないんじゃね?」
「ああ、そうか」
ギルが私の手を取り直し正面から向き合う形になった。何が「そうか」なのか分からない私はなすがままだ。
「最初から説明すると、あんたは今、魔術師ヴィクトルの降霊術で呼び出されて、ヴィクトルの身体に憑依してます。それまではどっかで漂ってたと思うんすけど、どの辺に居たか分かります?」
『どの辺って言われても』
憑依ってどういうことだ。
言われてみればさっきから自分の声が低い。首筋から肩周りが変に凝っていて、背中に当たる髪も記憶よりずっと長い。二人とつないだ手は大きくて平べったく、筋張っている。深爪気味の爪は、端の方が乾燥して白くなっていた。
「大体の霊は死んだ場所でじっとしてるってヴィクトルが言ってたぜ」
「死んだときの記憶とかでもいいっすよ。いや、でも落ち着いてるみたいだし、確認しなくてもいいのか?」
「分かんね。暴れる場合は呼び出し前に何してたかを聞くと落ち着くって言ってたけど」
「この人は大人しい霊みたいだな。良かったぜ。俺がこれまで会ったのがヒステリックな霊ばっかりだったのは、たまたまなんだな」
困惑しすぎて大人しいだけなのだが、どうやらよかったらしい。いくつか気になる単語が出てきたので質問したかったが、考えている間にも二人の会話はどんどん進んでいった。
「全然しゃべらねーのは結構いたよ。でも、そのあとナイフで自分の腕を刺し始めたりしてさあ」
「やば過ぎるじゃねーか! その時はどうしたんだ?」
「近所のウィリーっておっちゃんに手伝ってもらって椅子に縛り付けてー、身体から霊がいなくなるまでそのままにしといた。話が全然通じなかったからさー」
「念のため縛っとくか……?」
「縄なら階段下にあると思う」
『いやいやいや、ちょっと待って!』
大人しいだけじゃダメだった。流石に無視できず、立ち上がりかけたギルとダニーの手をぎゅっと握って止める。二人はつんのめったが許してほしい。誓ってこれは暴れたわけではありません。縛り付けるのは勘弁してください。
私は場を制する教師のごとく厳かに両手を上げ――と言っても二人と手を握っているので仲良しポーズみたいになったが――話が通じる証拠に、落ち着いた声音を意識してゆっくりと口を開いた。
まず、最初に確認しておきたいことは、だ。
『私って幽霊なの?』
いつの間にか死んでたの、私?
「えっ、違うんすか?」
『たぶん?』
「死んだことに気づいてないやつじゃね?」
「ああ、前にもそういう霊が来たって話を聞いたな」
『えー?』
そうなのかなあ?
軽く記憶をたどってみたが、死んだ記憶も、死にそうな体験をした記憶も特に見当たらなかった。
というか、昨日まで何をしていたのかが謎だ。大学生だったことは覚えている。
大学のキャンパス、使いづらい講堂の机、友達とよくおしゃべりしていた食堂の席からの景色、バイト仲間の顔、住んでいたマンション、部屋の内装、小さいキッチン。「絶対に大きい方がいいから」と言って母が買ってくれた、ひとり暮らしには贅沢な冷蔵庫の色まではっきりと思い出せる。
けれど、冷蔵庫の中身が思い出せない。プロテイン用の牛乳はまだ残ってたっけ? 昨日の晩御飯は何だった? 明日の講義は何限から? それとも先にバイト?
ぐきゅーと引き絞るような音が私のお腹から鳴って、考え事は中断された。
「思い出せないみたいですし、ひとまず朝飯食いましょっか。自分の名前は分かります?」
『絢音よ』
気の利くギルの提案に全面同意して、私は本日初めてベッドの外に這い出した。ひとまず私が縛り上げる必要のない霊(?)であることは理解してもらえたようで良かった。
ちなみにこの後、顔を洗いに洗面所を使った際に自分の姿がおじさん――魔術師ヴィクトルの姿になっていることを自覚してひと悶着あったのだが、割愛する。
要約すると、びっくりはしたがそれだけだった。事前に「憑依している」と教えてもらっていたし、この時はまず何よりお腹を満たすことが優先で、わざわざ細かいことを追究する気になれなかったのだ。
さきほどまで私たちがいたヴィクトルの寝室は二階で、階段の下がキッチンやダイニングになっていた。洗面所に入った時は自分の姿に動揺してしっかり見ていなかったが、こちらも寝室同様そこそこ散らかっている。物量は寝室ほどではないが、率直に言って、汚い。
複数人が座れる大きなダイニングテーブルの上には、汚れた皿が無造作に置かれていて、白っぽい食べかすが点々と転がっている。開いた本の上に、何かが入っていた形跡のあるカップがしおり代わりと言わんばかりに鎮座している。キッチンシンクの蛇口周りに溜まっている黒ずんだべたべたからそっと目をそらし、私はいいところを見ることにした。
『かわいい家ね』
汚れてはいるが、そこに目を瞑ればおしゃれなカフェのような内装だった。
家具は濃いマホガニー色で統一されていて、全体に西洋趣味。同じくマホガニー色の暖炉が壁の真ん中にあり、窓際にはクッション部分に瀟洒な刺繍の施されたアームチェアが置かれている。サイドテーブルは猫足と言うのだろうか、曲線の洒落た形の足で、上に乗せられたランプのスズランみたいなシェードの形によく合っていた。重厚なカーテンから覗くレースのカーテンが窓の光を反射している。
あそこで知的なお姉さんが読書なんかしていたら絵になるだろうな。近づいてよく見ると、カーテンの洗濯は確実に必要だったけれど。
「すんません、さっき何て言いました? あ、これアヤネの朝飯です。紅茶は今淹れてるんで」
ギルが私の手首に触れながら聞き返してきた。
この翻訳技術(ヴィクトルが魔術師だということは、魔術なのだと思う)はすごいが、相手に触っていないと効果を発揮しないのが難点だ。それも服越しでは駄目で、直接触れなくては作動しない。
『ううん、かわいい家だなって言っただけ。ありがと』
朝食は黒い玄米パンを一切れと、小さいりんご丸ごと一個だった。ギルはダイニングテーブルの上のごみを適当に払うと、同じ皿をもう二つ置いた。ケトルを火にかけていたダニーがやってきて、さっそくりんごにかぶりつく。
『……いただきます』
私は見様見真似で、同じようにりんごに齧りついた。味は薄めで水分が少なく、だいぶ柔らかい。明らかに私の知っているりんごとは種類が違う。
「ギル。ここ、日本じゃないよね?(This isn’t Japan?)」
ダイニングテーブルの向かいでパンを齧っているギルに触れるのが難しかったので、私は自前の英語で話しかけた。
「ん? すんません、もっかいお願いします」
「日本、ちがう、よね?(Not Japan, right?)」




