1. 1日目① 知らない人が家にいる
「ヴィクトル? 起きてください、もう十時っすよ」
ドアを強くノックする音と共に目が覚めた。ドアの外で大声を上げているのは男性で、安定感のある快活な声をしている。
「今日は十一時に報告だって言ってたじゃないすか。今日ばっかりはちゃんとしないとやばいんでしょ。起きてます? ヴィクトル?」
私はこの時、自分に起こった事態を一切把握していなかった。寝ぼけた頭を、ひとり暮らしの自分のマンションに変な奴が訪ねてきた怖さが揺り起こして、掛け布団をひっつかんで音のする方へ怯えた眼差しを向けていた。
大体、まず言葉が変だ。大学受験のために培った英語力は、彼の言葉が英語だということを教えてくれた。が、それ以上は聞き取れず、ものすごく良い発音で「ヴィクトル」という外国人の名前を呼んでいることだけをどうにか理解した。
部屋の様子もおかしい。私の借りている賃貸マンションの1Kの部屋はこんなに広くない。
部屋から玄関のドアに行くまでに小さいキッチンと廊下があるはずで、ベッドのある部屋のドアを直接叩く人がいる場合、つまり不法侵入者がいるということになる。そもそもそのドアに鍵はついていない。入り放題だ。まずい。まあ、部屋の間取り自体が変わっているので、元の部屋の鍵の有無は関係ないかもしれないが。
室内の散らかり方も異常だった。見たところこの部屋の床には足の踏み場がほとんどない。
ドアからベッド、ドアから机への道にかろうじて床の色が覗いているだけで、あとは紙の束やらぼろぼろの本、布、瓶、何かの標本、枯れた草らしきもの、金属のボタン、試験管、動物のツノ。書ききれないほど雑多なもので埋め尽くされている。デスク横に積み上げられた雑多なガラクタの山は、部屋の住人が移動するときに邪魔なものを適当に積んだせいでできたのだろう。
かわいい部屋でテンションを上げていきたいタイプの私は、どんなに疲れていてもここまで荒れた部屋を放置することはない。
枕元に置いたはずのスマホに手を伸ばすも、もちろん空振り。そもそもコンセントすら見える範囲には見当たらない。
自分の部屋ではない場所で目覚め、不法侵入者とおぼしき外国人にドアを叩かれている。大概のことは受けて立つマインドの私でも、びびって硬直してしまったのは無理からぬことだった。
「何めんどくせーことしてんの? おーい、俺様が入るぜヴィクトル!」
「あっ、おい!」
先ほどの声とは別の高い声が響いたかと思うと、荒々しく扉が開く。そして小柄な少年がこちらに飛びかかってきた。
「ちょっ、えええ!? ……ぐはふぅっ」
「おっはよーヴィクトル! 朝だぜー!」
細い少年の骨ばった身体は軽かったが、骨ばっているからこそ飛び掛かられた威力は凄まじかった。やわらかい腹に骨の尖った部分が食い込んで、ちょっと、いやかなり痛い。
「あり?」
「おい、やめろダニー!」
「……~~っ」
「すんません、ヴィクトル! 大丈夫っすか!?」
最初にドアをノックしていた方の男性……と言うには若そうな高校生くらいの少年が、私の上から小柄な少年――ダニーと言うらしい――を引っぺがす。声もなく悶絶する私に気づくと背中をさすってくれた。
「だい……じょぶ。ありがと……(That's ......alright. Thanks...)」
とっさに口から英語が出た自分を褒め称えたい。日本の英語教育は案外優秀だった。
「ほんとすんません、ダニーにはよく言っときますんで。ダニー、行儀よくしろってアシュクロフトさんに言われたばっかだろ」
「はっ! ギルはあんなえらっそーな金持ちの言うことを聞く気なのかよ。俺とヴィクトルはずーっとこんな感じでやってきたんだぜ」
「なーに積年のダチみたいなこと言ってんだ。お前が勝手に居ついてただけだろ。いくらヴィクトルが何も言わないからって、孤児のガキが好き勝手してたらそのうち愛想を尽かされるぞ」
「そんなことねーもん。なー、ヴィクトル?」
ダニーと呼ばれた少年は満面の笑みでこちらを覗き込んでくる。甘えを含んだ親愛が少年の陽に焼けた顔をキラキラと輝かせていた。
二十になったばかりとはいえ私も大人。十歳そこそこの子供の信頼は大いに庇護欲をくすぐった。できることならその無垢な期待に応えてやりたい。
しかしながら、ちょっと、本当に申し訳ないのだけど、何を言っているのかわからない。もう少し誤解のないように補足するなら、ネイティブスピーカー二人の遠慮のない英語の言い合いは、一般的な日本人大学生のリスニング能力を大幅に超えていた。
何かの答えを求められていることだけどうにか理解した私は、一縷の望みにかけて恐る恐る日本語で質問した。
『ごめん。日本語、喋れたりしない……?』
少年たちは顔を見合わせた。
二人の少年、ギルとダニーは、やはり日本語を理解できなかったようだ。見た目からしてそうだろうとは思っていた。二人ともどう見ても日本人の顔立ちではない。
しかし、私の言葉を聞くなりなんらかの共通理解を得たらしい。互いに二言三言交わすと、それぞれに行動を開始した。
小学校高学年くらいの小柄な少年、ダニーはどこか別の部屋へ。高校生くらいのしっかりした少年、ギルはその場に残り、足元の邪魔なものを手際よくどかしつつ、窓のカーテンを開けていった。二つある窓を両方開くと、少し冷たい風が部屋を吹き抜けて朝を知らせていく。
一人置いて行かれた私はベッドの上に座り込んで、宙を舞うほこりが朝日を帯びて流れていく様を眺めていた。薄いカーテンから漏れ出す光は柔らかく、青く澄んだ朝の空気が流れている。窓の外からは小鳥の鳴き声。少し遠くで呼び込みをする物売りの声が響く。
と、窓明かりの終点、乱雑なデスクの上に、使い込まれた小さな皮のバッグが見える。
(……なんだろう)
そのバッグのフラップ部分、使っているうちに皮が弱くなり端が丸まっている、その上あたりに刻印された文様に、何故だか既視感を覚えた。
瞬きして、目をこする。と、いつの間にか私のいるベッドの脇にギルが立っていた。
『わっ』
ギルは片足だけベッドに乗り上げ、私の後ろ側に腕を伸ばす。そしてベッドサイドから何かを取り上げると、私の目の前に差し出した。擦り痕のある、少しひしゃげた紙の小箱だ。
「これをつけてほしいんすけど。えーっと、わかります?」
小箱の中身は大ぶりなイヤーカフのようなものだった。鈍く光る金属の基部に、同じ金属の細いチェーンが絡まり、色も形もばらばらの天然石がごちゃごちゃとついている。
コメントに困るアクセサリーだな、というのが正直な感想だった。
あまり綺麗だとか、かっこいい感じではない。ごてごてしていて、重たそう。小学生が夏休みの自由研究で作った作品のような、いきあたりばったりの不器用さを感じる。
チープな見た目に反して、収納されている箱の中にはきちんと緩衝材が敷かれていた。乱雑なこの部屋の中では比較的大事に扱われているものなのだろう。
これをつけろと言っているんだろうな、くらいのことは理解できたものの、見慣れない形のアクセサリーのつけ方がわからない。
「これどうつけるの?(How can I put it?)」
発音はともかく、思ったよりまともな英文が口から飛び出した。
後々この英文は完全に違う意味になると知るのだが、この時のギルは私の言いたいことをきちんとくみ取ってくれた。一瞬きょとんとしたものの、すぐに「ああ」という顔になってイヤーカフを箱から拾い上げる。
「じっとしてて下さいね」
ギルの指が私の耳に触れて、離れる。片耳に慣れない重みを感じた。
「持ってきたぜー」
ダニーが戻ってきて、手にした小箱を開く。中には二つ、先ほどのものよりずっと小さく、装飾の少ないイヤーカフが入っていた。ギルとダニーは慣れたしぐさで自分たちの耳にイヤーカフをつける。そして、私の手を握った。
「これでどうっすか? 言葉、わかります?」




