27. 2日目⑨ らしくない話
ユーリスは血の採取に使った小瓶やナイフなどを片付けると、道具類の中から別の小瓶と短い木の棒のようなものを選び出した。そして私を小さな家の裏手へ案内する。
辿り着いた場所は――この場所を何と表現すればいいのだろう? 床の一部のタイルを真四角に抜いて、むき出しの地面が露出している場所があった。学校のグラウンドのように土が踏み固められていて、表面が砂っぽく、草木は一本も生えていない。広さは、ヴィクトルの身体で寝転がっても余裕がありそうなので、二メートル四方はあるだろうか。外に砂が広がらないよう、タイルの床よりも少し低く作られている。
ユーリスはその中ほどに立つと、自身を中心に木の棒の先で円を描いた。
「アヤネ、私の隣へ。この円の中心に立っていてください」
円を消さないよう線をまたいで、言われた通り円の真ん中、ユーリスの隣へ移動する。彼は私を横に立たせたまま、円の中に何かの文字や図形を書き込んでいった。魔法陣だ。絵本や漫画でしか見たことのない神秘的な図形が、どんどん自分の周りに形作られていく。
「これからこの魔法陣を起動します。多少気力や体力を消耗するので、気分が悪くなったらすぐに言ってください」
私は頷いた。
ユーリスが低く何かを唱える。先ほどユーリスの周りを漂っていた小さな光が再び現れ、魔法陣に近寄ってきた。さっきより数が多い。動きはふわふわとしていて、大きな蛍みたいだ。
その光の一つが魔法陣に到達すると、ろうそくの火のように大きく燃え上がり、その場にとどまる。やがて灯火が八つになると、陣に沿って光の線が繋がり、角度の違う四角が二つ重なるような図形になった。
ユーリスは次に私に向き合い、片方の手を握り、もう片方の手をイヤーカフに沿える。そして何かを短く唱えた。
魔法陣全体が光り、ユーリスと私を包む。神秘的な光に藍色の瞳が煌めき、虹彩に金色が弾けた。視界の端に、先ほど半円状の道具の中で見たような幾何学模様の投影が見える。イヤーカフを中心に出現したそれにつられて頭を動かそうとして、ユーリスの手にそっと止められた。
「さあ、アヤネ。あなたの国の言葉で話してみてください」
『えっ、あっ、すごい! ギル達と話してるときみたい!』
イヤーカフ越しの、実際に聞こえる声とは違うルートで頭の中に話す内容がインプットされていく、あの感覚だ。
「成功ですね。ヴィクトルがその魔導具を作っていてくれて助かりました」
ユーリスがにっこりと笑う。手に触れていれば会話できるギル達とは違い、イヤーカフに手を添えたままでないと会話ができないようだ。体勢が辛そうだが仕方がない。
「さて、本題に入りましょう。あなたが何故一日経ってもその体から離れられないのか、原因を探るためにいくつか質問をします。半ば無理矢理イヤーカフの魔術を起動しているので、あまり時間をかけられません。もう一度言いますが、気分が悪くなったらすぐに言ってください」
『分かりました』
ユーリスは「答えたくないことは答えなくて構わない」と前置きしたうえで、私に質問していった。
名前、年齢、生まれた場所、親の名前、育った場所、好きなもの、嫌いなもの……etc etc.
「アヤネは様々な場所を転々としてきたのですね」
『お父さんの仕事の都合で引っ越しが多かったんだよね。小さい頃は友達ができてもすぐにお別れで辛かったなー。中学生になるくらいには慣れちゃったけど』
「それは、あなたがいくつくらいの頃のことでしょう?」
『あ、学校制度って国によって違うもんね。日本だと、中学生は大体十三歳から十五歳までだよ』
ユーリスの質問は主に私の思い出についてで、少しずつ年齢を遡るように進んでいった。
私は促されるまま色々な話をした。小さい頃から映画やドラマよりも本に惹かれたこと。おばあちゃんの家で飼っていた犬の話。初めてできた本好きの友達の話。中学校の演劇部の先生の話。母が事業を立ち上げると言い出した日のこと。高校になって友達と食べ歩きできるようになって嬉しかったこと。大学の授業で寝ちゃって怒られた話。初めてのバイトでの失敗談。好きな先輩のこと。
大学生活の話を一通り終えた後、今度はセイヴェルに来る直前のことについて質問された。
『うーん、そのへん全然思い出せないんだよね』
「完全にですか? 最後に話した人や、眠った場所などは?」
『さっぱり。自分の部屋は思い出せるから、そこで寝たんじゃないかとは思うんだけど。その前にバイトに行ってたのか、授業に出てたのか、遊びに行ってたのかも分かんないしなー』
これまでに何度か思い出そうとしてみたけれど駄目だった。大学の友達の顔もバイト先の先輩の顔も、大学講師の顔だって思い出せるのに、この国に来る前までの記憶につながらない。
「他に思い出せない記憶はありますか?」
『えー? 小さい頃の記憶は曖昧だけど、そりゃそうだろって感じだし……あっ、そういえば昨日変なことがあったかも』
「昨日? ヴィクトルの身体に憑いてからのことですか?」
『うん』
私は深く考えずに話し始めた。
『昨日路地で迷って、追い剥ぎに遭って逃げたんだけど、そこで金髪の男の子に会ったの。で、あたし、”この子を知ってる” ”助けなきゃ”って思ったんだよね。なんでか分かんないんだけど』
あの子のことを考え始めると、だんだん頭が痛くなってくる。話題選びに失敗したかもしれないな、と思った。あの子のことが気にならないといえば嘘になるけれど、切羽詰って思い出さなければいけない理由もないはずだ。このまま行くと、好みの話にならない気がする。
ユーリスの方を見れば、真剣な表情でこちらの話を静かに待っている。
(頭が痛い)
私らしくない。脈打つように痛む頭が正常な判断力を奪ってしまったのかもしれない。
気づけば私は、ぽろぽろと言葉を溢していた。他人にぶつけるには整理不足で、ともすれば重い話へと転がっていきそうな、感情的で、めんどくさそうな話。普段なら絶対に口にしないのに、何故だか今は上手く飲み下せない。
脳裏に最後に見たあの子の姿が映る。暗い路地。散乱したガラクタの山。汚れた石畳。
『その子は……多分、いい所の子なんだろうなって感じで、でも最後に見た時は血を吐いてて、服も血で汚れて……あたしが躓いたときに打ちどころが悪かったのかも……それから、瞳の色が紫で、珍しい色だって、言ってて…………』
そう、それから、とても綺麗な英語を話すのだ。私は、それに憧れて、――……。
「アヤネ? ……アヤネ! 無理をしていますね? 考えるのを止めてください、術を中断します」
『待って! もう一つ、記憶が消えてるところがあるの!』
おかしなことに、一度話し始めると言葉が止まらなくなった。今しかちゃんと伝えられない。何故だか酷く焦りを覚えて、私は必死でユーリスの手を掴んだ。
『路地でその男の子と一緒に隠れてたら、追い剥ぎに見つかって、殴られて。あいつらあの子にも何かしようとしてた。それであたし必死に手を伸ばして……気が付いたら、あの子も路地もなくなって、ぐちゃぐちゃな場所に居た』
「ぐちゃぐちゃな場所?」
ユーリスが怪訝な顔をした。
『そう。上ってるのに下がってるみたいな。床がないのに落ちなくて、道もないのに歩けてるみたいな』
そう、それで、気づけばあの魔術師に手を引かれて歩いていたのだ。
『あの人……名前が思い出せない。あの場所がどこなのかも聞いたのにな。全部ちゃんと答えてくれてた。それから、あたしのことを聞いてくれた。今のユーリスみたいに』
そうだ、あの人も今のように話を聞いてくれていた。間を持たせるためでもなく、好奇心でもなく、完全な無関心でもなく、何も侵害しない優しい距離を保ったまま。
『あの場所で自分の部屋に帰りたいって言ったら、きっと帰れてた。あたしはもう一度友達に会いたくて、セイヴェルに戻りたいって言った。それで戻って来たの』
「……その金髪の少年はどうなっていましたか?」
『居なかった。同じ路地だと思うけど、あたしが戻ったのはちょっと別の場所だったの。だからあの子がどうなったのか、分からなくて……』
急激な絶望感と悲しみが胸の中を支配して、私は泣き出した。
どうしてこんなに悲しいんだろう。あの子は誰?
(思い出せない)
頭が痛い。耳の奥でキーンと高い音がする。
それ以上言葉を繋げられなくなり、私はただ泣いた。遠くでユーリスが何かを言っている。意識がぼんやりする。
ついには立っていられなくなり崩れ落ちた私を、ユーリスが抱き留めた。そのまま一緒に地面に座り込む。
耳元で短く呪文を唱える声がした。包まれていた光が消え、魔法陣が停止したのが見える。
ユーリスは無言で、私の涙が止まるまで抱きしめてくれた。
背中を優しく叩く手が子供をあやす父親のそれで、なんだか、もっと泣きたくなった。




