26. 2日目⑧ 魔導具の構造分析
ゆっくりと冷ましながらミルクを飲むうちに、気持ちが落ち着いてきた。クララとアシュクロフト氏を待たせていることだし、あまりのんびりしない方が良いだろう。
「ありがとう、もう大丈夫(Thank you, I'm good now.)」
「よかった」
にこ、と微笑まれ、綺麗すぎて戸惑った。もし日本語が通じるなら、「てかめっちゃきれーだねー、やばー!」で始まる大賛辞を贈っていたところだ。
実際に頭に浮かんだ英語は「Beautiful!」「Amazing!」「Pretty!」の三つだけだったので、私はぐっと言葉を飲みこんだ。ハイテンションで三単語だけ連呼するのは流石に馬鹿すぎる。ユーリスだって言われても困るだろう。
「さて、アシュクロフト卿からの言伝で、ある程度の事情は伺っています。降霊術で呼び出された霊が、一日以上経ってもヴィクトルの身体から離れない、と」
私がホットミルクを飲んでいる間にどこからか持ってきた椅子に腰かけ、ユーリスは私と視線の高さを合わせながら言った。「アシュクロフト卿(Lord Ashcroft)」と呼ぶということは、ユーリスもアシュクロフト氏が貴族だということを知っているのだろう。
落ち着いて見ると、ユーリスはヴィクトルよりもかなり若く見えた。二十代前半か半ばくらいに見える。先生としてもだいぶ若いのではないだろうか。
顔立ちが何となくセイヴェル人とは違うようにも見えるので、推測が外れている可能性もあるが。
「まずはあなたの話を聞きたいのですが……私の言葉は理解できていますか?」
「半分くらいなら。もし難しい話をするなら、私は理解できないかもしれません(About half of them. If you talk difficult topics, I wouldn't understand it.)」
ユーリスは「そうですよね」と思案顔になった。言語の壁ばかりはいかんともしがたい。
「あっ、そうだ! この道具、使えませんか?(Can you use this tool?)」
悩んで顔に手を当てた際に、耳からぶら下がった天然石の装飾が指に触れ、その存在を思い出した。ギルやダニーと言語を超えた会話を可能にする、不思議技術のイヤーカフだ。ダニーの話では、彼らが持っている小さいイヤーカフをつけるだけでは使えず、事前にヴィクトルに魔術を掛けてもらう必要があるらしい。
ユーリスは魔術師だし、ヴィクトルの先生に当たるそうなので、ひょっとしたらこのイヤーカフの魔術も使えるかもしれない。
「それは……? 魔術の気配がしますね。見せて頂いても?」
私は頷いて耳からイヤーカフを外した。頭が軽くなったような気がする。ずっとつけていたので麻痺していたが、このイヤーカフはかなり大ぶりで重みがあるのだ。
「私はこれによって友達とコミュニケーションできます。たとえ友達が英語で、私は日本語で話していても。でもそれには別のイヤーカフと魔術が必要みたいです(I can communicate with my friends by this. Even if they spoke English and I spoke Japanese. That seems to need another ear cuff and magic though.)」
「言語によらないコミュニケーションですか……」
ユーリスがイヤーカフをつまみ上げ、しげしげと細工を観察し始めた。私はその間、首を回したり伸ばしたり、肩甲骨周りを動かしたりと凝った筋肉のストレッチをしていた。
「大変興味深い構造です。詳しく見たいので、道具を取ってきますね」
彼は私から飲み終わったミルクのカップを回収すると小さな家に戻り、すぐに正方形の台を抱えて戻ってきた。台の上には様々な道具が乗せられているようだ。
ユーリスはまず、台の上に魔法陣の書かれた革を広げ、その真ん中にイヤーカフを置いた。次に天球儀に似た半円状の道具を被せ、半円の真ん中から細い鎖で吊り下がっている尖った振り子のようなものを調整する。振り子の先がイヤーカフのちょうど真上にくるのを慎重に確認したあと、道具の外側、半円の頭部分のへこみに、小瓶に入ったオレンジ色の液体を流し入れた。
『わぁ……』
液体が半円の道具に刻まれた刻印全体に染みわたるにつれ、黄緑色に発光し始める。最後に振り子の先部分に光が灯ると、道具の周囲に幾何学的な文様が投影された。
ユーリスはその内容を読み取りつつ、時々イヤーカフの位置を変えたり、何かの呪文のようなものを唱えて反応を見たりしながら、細かくメモを取っていた。イヤーカフに何か手を加えるたびに文様が変わるのが面白い。
(あ……)
ふと、彼の周りにちらちらと小さな光が漂っているのが見えた。イヤーカフを中心に投影されている光とは関係なく、ふわふわと動き、時折ユーリスをつつくような仕草をしている。
さっき破裂した光に似ている気がして身構えたが、こちらに来る気配はない。何より動きがゆったりしていて、あの時の光のように何か目的があるような感じはしなかった。
やがて幾何学模様の投影が消えると、小さな光も離れていき行方が追えなくなった。ユーリスが顔を上げる。
「これは素晴らしいですね。起動条件は厳しいですが、使用者の負担にならないようよく考えられている。ヴィクトルが帰ってきたら、構想や設計について直接聞いてみたいものです」
よく分からないが面白いものだったらしい。心なしかユーリスの目が輝いている。
「えっと、構想や設計? ヴィクトルの家でノートや設計書を見つけました。それがこのイヤーカフについてのものか分からないけど。あなたはそれが必要ですか?(The concept and design? I found some notes and design documents in Victor's house. I don't know if these are about this ear cuff. Do you need them?)」
ユーリスは微笑んでかぶりを振り、イヤーカフを装置から取り出すと、私の掌に乗せた。
「今はやめておきましょう。魔術師にとって磨いた知識は己の人生に等しい。秘密が力を持つことも多い。よほどの事情が無い限り、本人の許可なく持ち出したくありません」
魔術の話をし始めてから、ユーリスの英語を理解するのが一気に難しくなった。多分、今は要らないということを言っているのだろう。
ユーリスも私が理解できていないことに気づいたのか、軽く曲げた指を唇に当てると、少し考えて別の道具を取り出した。
ガラス製の注射器と、小瓶が二つ。小瓶の片方は透明な液体で満たされていて、もう片方は細かい粉末が底の方にだけ溜まっている。
「言葉の問題を解決するため、あなたの血液を貰う必要があります。少しだけ我慢できますか?」
ユーリスが注射器を差し出して腕に刺す動作をしながらたずねてきた。
(うっ、注射、苦手……)
ここが百年以上前の時代のせいか、二十一世紀の日本の注射器よりもかなり針が太く感じる。つい渋い顔を浮かべると、ユーリスは小さなナイフを取り出した。
「注射器が嫌なら、指先を少しだけ切る方法もあります。その場合、」
ユーリスはナイフを自分の指先に当てるジェスチャーをした。「その場合」から先はうまく聞き取れなかったが、その後指先にガーゼをテープで貼る動作をしたので、きちんと傷の手当てをしてくれるということなのだろう。
太めの注射よりもちょっと指先を切る方が気持ち的に楽だ。私はナイフの方を指さした。
「分かりました」
ユーリスはまず、ヴィクトルのイヤーカフをつけるように指示した。それから丁寧に私の左手を取ると、薬指の先にナイフをあて、軽く傷をつけた。
皮膚が切れ、赤い血が盛り上がってくる。その血がしずくを作るタイミングを見計らい、ユーリスは液体が入っている方の小瓶を開け、私の血を中に垂らした。透明な液体に模様を描きながら、赤い血液が溶けていく。
「もう少し我慢してくださいね」
ユーリスは液体の小瓶にふたをして革のホルダーにしまうと、もう一つの小瓶を開け、中身の粉末を呷った。
『えっ』
私は硬直した。
ユーリスが、私の指に直接唇をつけ、血を舐めた。
柔らかい唇と生暖かい舌の感触を指先に感じる。小さなリップ音がした。軽く吸われているのだ。
(~~~~~~!)
唇の隙間から赤い舌が覗くのを見てしまい、私は顔ごと視線をそらした。公正な医者のように振る舞うこの人相手に、おかしな感情を抱きたくなかったので。
おそらくあの聞き取れなかった「その場合」から後に、こういうことをする必要があると説明していたのだろう。聞き返さなかった私が悪い。分からないことはきちんと聞くべきだ。現代日本に帰ったら絶対に英語を猛勉強してやる。I, my, me, mine, you, your, you, yours, he, his, him, his, she, her, her, hers.......
私が全力で現実から目をそらしている間にユーリスは唇を離し、吸い付いていた私の薬指の腹を、消毒液をしみこませたガーゼで拭う。そしてもう一枚、清潔なガーゼを取り出して指を包み、テープできつめに固定した。
「はい、終わりました。小さな傷なのですぐにふさがるとは思いますが、しばらくは清潔にしてください。……痛かったですか?」
「大丈夫です……(I'm alright......)」
ぐったりした様子の私を純粋に気遣う、綺麗なかんばせが眩しい。




