23. 2日目⑤ 貴族の嗜みですので
馬車が貴族街にたどり着くと、道の左右の建物の圧迫感が一気に減った。
これまで見てきた庶民の居住区域は、道に面して背の高い石造りの建物がびっしり詰まるように並んでいた。対して貴族街は、門の裏に前庭のある家が連なっている。私のイメージする「貴族の家」よりもこぢんまりとした庭だが、道に直接接するように高い壁がそびえたっていないというだけで開放感があった。
アシュクロフト氏の言う「信頼のおける魔術師」は、ダルトン夫人という人の屋敷の奥に住んでいるのだそうだ。名前はユーリス。
「私も直接話したのは一度だけなのだがね。彼は、ヴィクトルのルエルなんだ」
「ルエル?」
知らない単語だ。聞き返すと、「ルエル(Louel)」というのは魔術師の言葉で、「先生」とか「導師」という意味らしい。英語では日本語と違い「先生」を呼び名として使わないが、魔術師たちは例外で、自分の先生や師匠に対しこの尊称を使うのだそうだ。
そういえば、魔術師にとっていい先生に出会えることは、とても重要なことだと聞いた気がする。
(「自分はいい先生に出会えて幸運だ」って、あの人が……あれ? あの人の名前、何だったっけ?)
あの魔術師。あのへんな空間で、手を引いて歩いてくれた。
「ヴィクターからは何度も、素晴らしい先生だと聞いている。きっと力になってくれるだろう」
はっと現実に引き戻される。ええと、ユーリスという、ヴィクトルの先生の話だったか。
私たちは彼への取り次ぎを頼むため、まずはダルトン夫人を訪ねるのだそうだ。
「お待たせして大変申し訳ございません、アシュクロフト卿。何分急なご訪問ですので、支度に手間取ってしまって。本日はユーリス様に御用なのだとか? まずはわたくしがご用件をお伺い致しますわ」
ダルトン子爵夫人は四十代半ばくらいの、独特な華やかさを持った女性だった。
まず、イントネーションが変わっている気がする。先ほどの言葉を日本語で表現するなら「たぁいへん申し訳ございません」「致しますわぁ」みたいな感じだろうか。まるで歌のように音が上がったり下がったり、不思議なところが伸びたりするのだ。
次に、見た目がものすごく派手だ。ふくよかな白い頬の広範囲に、赤系のチークがはたかれている。もともと色白のようだが、おしろいでさらに白く染まった肌に、発色の良い赤のリップが浮かび上がっていた。アイシャドウはグレー系で、アイラインにはスモーキーなグリーン。目尻のアクセントにラメっぽい明るい緑も見える。濃い色の巻き毛と同じ色のまつげが伸び上がり、くりっとした瞳を強調していた。
身長はおそらくこの国の平均くらいで、ふくよかな体型をしている。ドレスの広がったスカートと丸みを帯びた肩回りがXラインを作っていて、女性的な印象を強めていた。
ドレスの生地はクラシカルな赤をベースに金糸の刺繍が施されていて、ダークカラーのフリルがアクセントに飾られている。デコルテ周りが大きく空いていて、大ぶりな金と緑の宝石の付いたネックレスが輝き、白くてつやつやした肌と豊かな胸元を強調していた。
セイヴェルに来てから、ここまではっきり肌見せしている人を初めて見た。外で見かけた裕福そうな女性は皆コートと帽子を着用していたので比較にならないかもしれないが。
(でも、不思議と下品な感じはしないな)
メイクも派手で、雰囲気も主張が強く、けばけばしいとも表現できる。しかし色味のバランスが良いのだろうか? 一つの芸術作品のように、全体に一貫したコンセプトのようなものが輝いていて、「センスが悪い」と切り捨てられない強烈な個性を放っていた。
「急な訪問へのご対応に感謝します。要件については使いの者に言付けを持たせたはずですが、入れ違ってしまったかな?」
「いいえ、間違いなく受け取っておりますとも。何でも、弟君のヴィクター様のご体調についてご相談があるとか?」
ダルトン夫人がちらっとこちらを見た。なんだか意味ありげだ。
「わたくしにもご病状をお聞かせいただけます? 簡単で構いませんのよ。わたくし、医師の友人がたくさんおりますの。内容によっては、ユーリス様より各々の分野に秀でた医師を紹介した方が、手助けになるやもしれませんわ」
「病気というわけではないのですがね。少し見て頂ければ、医師ではなく魔術師の領分だとはっきり分かるはずですよ。アヤネ嬢、こちらへ。夫人にご挨拶を」
私はアシュクロフト氏に招かれて、彼の横に進み出た。
ダルトン夫人の視線にさらされると、急に居心地が悪くなる。悪意があるというよりは、
(値踏みされている……?)
顔に対し小さい瞳が、何か強い意志を持ってじろじろとこちらを観察していた。
「えーっと……お会いできて光栄です。私はヴィクトルじゃありません。戸松絢音です。日本人です(Pleased to meet you. I'm not Victor. I'm Ayane Tomatsu. I'm Japanese.)」
圧のある視線にさらされながら、何とか自己紹介をする。私のぎこちない英語は、信憑性を高める役割を立派に果たしたようだ。ダルトン夫人の鋭い視線が緩み、きょとんとした顔になった。
「まあ」
「この通り、ヴィクターの身体には日本人の女性の霊が憑依しているのです。本来は一日以内に戻るのですが、今回は予想外に二日も続いているとか。そこで信頼に足る魔術師の助言を頂きたく、ユーリス卿を頼った次第です」
私が霊かどうかは疑問が残るが、わざわざ突っ込むところではないだろう。ダルトン夫人は言葉に迷っている様子だったが、すぐに頷いた。
「それはご心配でしょう。すぐにユーリス様にお伺いを立てますわ。面会はヴィクター様のみで構いませんわね?」
夫人がそう言うと同時に壁際に控えていた使用人の一人が歩み寄り、何かの言伝を受けて部屋を出て行った。
「私も直接卿の意見を伺いたいのですが、何か不都合がおありですか?」
「魔術師は本来、森の奥深くに住み、単身で真理を追究する賢者だということは、史学でも有名な話でしょう? ユーリス様も叙勲されるまでは、そうした生活を送っておられましたの。王族方に望まれて都市に留まっておられますが、人の多い場所はあの方を消耗させてしまいますわ。どうぞご容赦を」
「では、面会はヴィクター一人で構いません。ユーリス卿の所見を説明して頂く時だけ、親族として同行しても? もちろん今回は特例ということを理解し、今後も卿を消耗させないよう配慮させて頂きますよ」
夫人が少し考える様子を見せた。アシュクロフト氏が真剣な様子で畳みかける。
「かつて私はユーリス卿とお話したことがあります。魔術の素養を自覚したばかりのヴィクターを、彼は大層気にかけ、家族である我々にも気を配っておられた。彼に直接伺えば、きっと了承してくださることでしょう」
この少し前あたりで私のリスニング能力は限界を迎えていたが、とうとう夫人が折れたらしいことは分かった。「ユーリス様に伺ってみますわ」と答え、使用人がもう一人、伝言を持って部屋から消えた。
「お支度に時間がかかるかもしれません。その間、よろしければわたくしのドレスのコレクションをご覧になりませんこと? 新作を仕立て終わったばかりですの」
「それは興味深い。是非とも。しかし、昼過ぎに支度とは、ユーリス卿はゆったりとした時間を愛される方なのですね」
「おほほ、そう聞くとお寝坊な小鳥のようで愛らしいですわね。でも、誤解ですのよ。あの方は朝から晩まで魔術の研究に専念しておられますの。来客のために着替えるのは、あの方の卿に対する敬意ですわ。まさか、作業用のローブで卿にお会いするわけにいきませんものね」
「ユーリス卿が作業着を? それは逆に拝見してみたいものです。最後に夜会でお見掛けした際は、目を見張るほど壮麗な装束をお召しでしたが」
「まあ、どの夜会かしら。あの方に着ていただいているのは、わたくしのプロデュースした服ばかりですのよ。これからご覧いただくコレクションの中に並んでいるかもしれませんわね」
二人の上品な英語のやり取りは私にはまったく意味が取れなかった。二人とも笑顔で、口調は明るく穏やかだ。遠目に見ていたら、気の合った二人が共通の話題で盛り上がっているように見えただろう。
実際に間に挟まれている私の感想は違った。
(こ、怖い……!)
何を言っているのか分からないのに、空気が妙に重く感じる。真剣の鍔迫り合いでも見ている気分だ。かといって切り合いのように分かりやすいぶつかり合いではない。もっとねっとりした何かが、相手を飲み込む隙を探してにらみ合っている。二人とも上品な笑顔で攻撃的な口調に一切ならないのが怖すぎる。
私は無意識に半歩引き、控えている使用人にぶつかりそうになった。
ケネスを含めた使用人の彼らはみな一様に目を伏せ、まるで「私は周囲の家具の一部ですよ」とでも言う風情で姿勢を正して並んでいる。
その技、私も欲しいなあ!




