19. 2日目① 翌朝の議論
「ヴィクトル? 起きてください、もう八時半っすよ」
ドアをノックする音と共に目が覚めた。ドアの外で声をかけているのはギルだ。安定感のある快活な声。言語は英語。
カーテンの隙間から朝日が漏れて、何も置かれていない簡素なデスクの天板に筋を作っている。灯りの消えたオイルランプのガラスにその光が反射して、かすかに目を刺した。
「……っ」
何の気なしに頭を起こすとベッド上の棚に激突した。ごんっと結構な音がする。おかげでぼーっとしていた頭がクリアになった。このベッドはちょっと小さすぎるな。
「あ、起きてるんすね。シスターの機嫌がそろそろまずいっすよ。お客さんで、アシュクロフトさんの家族だってことで勘弁してもらってますけど。小言はちょっと避けらんねえかも。聞いてます? ヴィクトル?」
私は無言で打った頭を押さえ、耳元の大ぶりのイヤーカフに触れた。着けっぱなしで寝てしまったので、耳のあたりに跡がついている気がする。そして自分の手足の形を改めて確認し、のっそりと立ち上がった。
この個室は日本で借りている賃貸マンションの1Kの部屋よりさらに狭く、ヴィクトルの長い脚では数歩で端まで行けてしまう。
「おはよう、ギル。私、まだヴィクトルじゃないみたい(Good morning, Gil. I'm not Victor yet.)」
ヴィクトルの髪はみつあみにするとだいぶ嵩が減るんだなあ。
「それでね、ここにリボンをつけるのよ」
「やめろよベティ、ヴィクトルは男の子なんだぜ」
「何よダニー、アヤネは女の子だって言ったのはダニーでしょ。それに男の子だって、かわいいほうがいいじゃない」
孤児院の談話室で会ったばかりの女児に髪をいじられながら、私はギルと二人でヴィクトルの手帳を眺めていた。ギルは昨日、ヴィクトルの荷物の入った鞄を返しそびれたまま孤児院に戻っていたようだ。
議題は「どうして私が一日経ってもヴィクトルに憑依したままなのか?」である。
最初聞いた話では、「魔術師ヴィクトルはお茶会が嫌で霊である私を身代わりにした。これまで翌日には元に戻っていたので、今回もそうだろう」ということだった。私がこの国で目覚めた翌日の朝である今、そのあてが外れたことになる。
「ここが一昨日、お茶会があった日で、俺とダニーが最後にヴィクトルに会ったのがその二日前なんすよ。だから、お茶会当日か、お茶会前に何かあったのかも」
『このお茶会については何か言ってなかったの?』
「特に何も聞いてないっすね。ダニーはどうだ?」
「俺はお茶会の日の一日前にちらっとヴィクトルに会ったぜ。なんかそわそわしてて、忙しそうだった」
「そわそわ?」
「ウキウキ? ルンルン? なんかそんな感じ」
「なんだそれ」
「しらねー」
小さな女の子とダニーはヴィクトルの髪に花を飾ることで合意したらしい。すっくと立ちあがると、二人仲良く中庭の方に駆けていった。
『ダニーも二日間ヴィクトルが霊に憑依されたままなのは初めてだ、って言ってるのが怖いわよね』
「でもダニーも、そこまで長くヴィクトルと一緒にいたわけじゃないっすからね。降霊術でこういうことが普通なのかどうか……」
ヴィクトルの鞄の中には手帳の他にもノートや本、書付が大量にあったが、ギルはちょっと読んだだけでギブアップした。「専門的すぎる」とのことだ。私はもちろん文字の読解からお手上げ状態である。
私の持っている鞄も確認したが、財布以外はギルの持っていた鞄の中身と大差なかった。
『あ、じゃあ他の魔術師に聞いてみればいいんじゃない?』
「アリっすね。でもヴィクトル以外の魔術師か……。俺には伝手がねえな」
『魔術師ってあんまりいないの?』
そういえば町を歩いたときも、ヴィクトルのような長髪やローブ姿の人はそんなに見かけなかった気がする。私がかわいいドレスやおしゃれなスーツばかり目で追っていたせいかもしれないが。
「その辺を歩けば魔術師っぽい恰好をしてる奴はいますよ。でも本物か分かんねえし、変な奴も多いんで、周りの大人には『話しかけるな』って教わります」
『そっかあ。そしたら魔術師ギルドに紹介してもらうとか? でもなあ』
「最終手段にしたいっすね」
昨日の今日だ。私たちがのこのこ顔を出して素直に紹介してもらえるとも思えない。
ティモシーに仲介してもらうことも考えたが、ギルはティモシーとは顔見知り程度でどこに住んでいるか分からないそうだ。
「なあ、ひょっとしてこっちのお茶会じゃね?」
ダニーと女の子が両手いっぱいに丸い小さな花を摘んで戻ってきていた。編んだ髪に花を挿す係は一人で足りるようで、手持ち無沙汰になったダニーが私たちの前に広げられた手帳を覗き込んできた。
『え?』
「ほら、こっちにも『お茶会』って書いてあるだろ。この字、『お茶会』で合ってるよな?」
ダニーが指さしたのは、私がこの国で目覚めた日から一週間後の日付だった。確かによく見れば「お茶会」と読める。
「こっちのお茶会が嫌で、ヴィクトルは戻ってこないんじゃねえの?」
『ええ……』
そんなまさか。嫌なイベントがあるからと言って、一週間も前から逃避行動に出るものだろうか?
「うーん……俺は、今までお茶会から戻ってきたときにヴィクトルが霊に憑依されてたのは、お茶会で降霊術を披露してたからだと思ってたんだが、違うのか?」
『そうなの?』
私はてっきりお茶会中にストレスが限界になって、突発的に霊と入れ替わっているのかと思っていた。
「俺も細かいことは分からねえけど、降霊術って結構準備が必要みたいで、あんま手軽に出来るものじゃなさそうなんすよね。急な降霊会が入った時なんかは足りない材料を買いに行かされて、結構ドタバタしてました。お茶会に行く前もヴィクトルは降霊術の準備をしてたんで、お茶会でも降霊術を披露する予定があったんだと思います。ってことは、お茶会のホストがヴィクトルに『降霊術を披露してほしい』って言って招待してるんじゃないかと思ってたんすけど」
『なるほど、もしそうならお茶会前から霊が憑依してる今の状態は変ね』
降霊術の披露がホストに求められているものなら、降霊術が終わっている今の状態でお茶会に出席しても、ホストの要望を満たせないだろう。つまり「一週間後のお茶会を見越して霊を憑依させたままにしている」説に疑問符が付く。
「まあ、ヴィクトルがどうしても辛くなった時に備えて、霊と入れ替わる準備をしていて突発的に……って線もあるか」
各々頭を捻り始めた私たちに、構ってもらえないダニーは退屈そうに足をぶらぶらさせた。
「それはよくわかんねーけどー……。ヴィクトルって、滅茶苦茶嫌そうにするお茶会と、そうでもないお茶会があるんだよ」
『どういうこと?』
ダニーは行儀悪く上半身をテーブルに乗り上げ、手帳の端をつつきながら説明した。
「結構前、一回だけさ、ヴィクトルが眠れないっつって、夜にうろうろしてた時期があったんだよ。大体一週間くらいかな。その時は飯食っててもぼーっとしてたり、食べたくないっつって俺にくれたり、本読んでたと思ったら急に本に頭ぶつけはじめたり。なんか変っていうか、元気がない感じでさ。で、俺、『どうしたんだ』って聞いたんだよ。そしたら『お茶会がある』って」
ダニーの話を聞きながら、私は手帳の過去の日付をめくった。ヴィクトルは何かの記録を手帳に取っているようだ。過去のページは特に書き込みが多く、読みづらい。
私は大文字の「T」で始まる単語だけを探してお茶会のあった日に見当を付けた。おおよそ月に一回、多い月は三回程度お茶会に出席しているらしい。
『他のお茶会の前はそんなことなかったってこと?』
「うん。前の日とか当日は嫌そうにするけど、それだけだったぜ。でももしもう一回、滅茶苦茶嫌なお茶会があるなら、今のうちに霊と入れ替わっとこうってなるんじゃねえ?」
ギルと私は考え込んだ。確かにその話を聞くと、情緒不安定が極まって、今のうちから逃避に走ったという説はあり得る気がする。
三人で額を突き合わせていると、ポニーテールの女の子が窓から顔を覗かせた。
「ギルー、三番街のパン屋から伝言。十一時から来て欲しいって」
「アンブラーさんのとこか?」
「そ。これ、メモね」
朝食の時間を逃したのでこの孤児院に居るすべての子供を把握しているわけではなかったが、この子は私が遅い朝の支度をしている間にちょくちょく見た。ギルと同じか少し年上くらいで、ちゃきちゃき動く働き者のようだ。
彼女はギルにメモを渡すと、さっさとどこかに行ってしまった。
「アヤネ、俺は仕事ができたんで出てきます。もし魔術師ギルドに行くなら、明日以降に付き合いますんで」
『おっけー。あたしもヴィクトルの家に戻って着替えようかな』
「ヴィクトルの家なら通り道なんで、ついでに案内しますよ。鞄も置きに行かなきゃいけねえし」
「俺も行く!」
ダニーはついていく気満々で立ち上がったが、再び顔を出したポニーテールの女の子に「芋の皮むき手伝って!」と言われて連れていかれた。先ほどからヴィクトルの髪をメルヘンにしていた小さな女の子も一緒だ。
「バイバイ」と手を振ってくれたその子に手を振り返し、私とギルは孤児院を後にした。
もはやセルフ花冠状態の髪をどうしようか、結構悩んだ。




