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異世界&ギークス  作者: 弥乃


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19/21

18. 1日目⑱ からりとした別れ

「アヤネー、こっちこっち」


 シャワーを借り、薄いバスタオルで髪を絞りながらリビングに入ると、ギルとダニーがソファで待っていた。

 他の子どもたちは寝室に引っ込む時間らしい。本当に特別に話す時間を作って貰ったのだ。


『待って、髪が全然乾かないのよ』

「すげー長いっすもんね。魔術師はみんな髪が長いもんらしいけど」

「大変だよなー。こっち座れよ、俺も拭くの手伝う!」


 私は借りたシャツとズボンを身に着けていた。ヴィクトルの身体はやはり平均より大きいらしく、シャツもズボンも少し小さい。靴はどうしていいか分からなかったので、履いてきたブーツの紐を崩してそのまま履いていた。靴下もそのままだ。


 痛いと思ったら案の定、足の人差し指の爪から出血していた。血が付着した靴下を取り替えないのは衛生的に良くないのは分かっているが、替えが無いのだから仕方がない。直接靴に足を突っ込むよりはマシだろう。

 ヨーロッパだと室内でも土足だというのはよく聞く話だが、お風呂上りにも同じ靴を履くものなのだろうか?

 ギルとダニーは再会した時にはすでに寝間着を着ていた。足元を見ると普通の靴を履いているように見えるが、外履きと同じ靴なのかは定かではない。


 ダニーがもう一枚タオルを持ってきて、ヴィクトルの長い髪を絞るように拭いてくれた。自分でも手持ちのタオルで髪の水分を取りながら、内心では切り出す話題に迷っていた。


 最後に別れた時、アシュクロフト氏の発言にダニーが怒鳴り、ギルが怒りを露わにしていたあの時にすぐに追いついたのなら、一も二もなくその理由を聞いていただろう。しかし今は時間が経ちすぎてしまっている。すでに二人の激情の波は過ぎ去り、気持ちの整理をつけて日常に戻っていた。


 彼らが怒った理由は気になるけれど、わざわざ嫌な出来事を思い出させることはない。このまま今日一日のことにお礼を言って、楽しい気持ちで別れた方がいい。


 私はそう判断し、当たり障りのない話題を振った。


『今日食べた中で、あのソルビが一番おいしかったなー。セイヴェル料理って他にどんなのがあるの?』

「えー、他の国だと無い料理ってこと? 分かんね。オムレツとかは?」

『オムレツはあたしの国でも食べるかなー』

「うーん……あ! ドリフィ・ローフは?」

『ドリフィ・ローフ? 何それ、どんなの?』

「えっとねー、肉のケーキみたいなやつ」

『ええ? 肉なのにケーキ? 甘いの?』

「甘くはないっすね。刻み肉と野菜を使ってオーブンで焼いたケーキで……アヤネの国ではケーキは全部甘いものなんすか?」


 そうやってセイヴェルの料理や、日本との文化の違いで盛り上がっているうちに、ダニーはうつらうつらし始めた。本来ならもうベッドに入っている時間なのだろう。ヴィクトルの髪が乾くころには、ソファに丸まり、完全に寝入る体勢に入ってしまっていた。


『今日一日、ありがとね。おやすみ』


 頭をそっと撫でて耳元で小さく声をかけると、返事なのかただの寝言なのか、ふにゃふにゃの声が一言だけ返ってきた。


「寝ちまいました?」

『そうみたい。あたしたちも解散するかー』


 身体を伸ばすと欠伸が漏れた。ちょくちょくうたたねをしていたとはいえ、私も今日は動きすぎだ。


「アヤネ。ここ、どうしたんすか?」


 ギルが自分の頬を指さして示す。あの追い剥ぎに殴られた傷のことだ。鏡で見るとそこまで赤みは目立たなかったが、打ち身になっていて、強く触ると少し痛い。


『ああ、これ。迷子になったときに追い剥ぎに遭ってさー。殴られちゃった。あ、ちゃんと逃げたから何も取られてはないんだけど』

「マジすか。俺らが一緒に行ってればよかったっすね」

『いやー、あたしが勝手に二人を追いかけただけだしね』


 あの時ギルとダニーは、私がアシュクロフト氏の誘いを受けたと思っていたはずだ。置いていくのは当然だろう。


「多分ですけど、アヤネには最後にアシュクロフトさんの言ってたことが分からなかったんじゃないすか?」


 ギルが急に切り込んできた。


『……うん』

「知りたいですか?」


 ギルは真顔でまっすぐこちらを見ている。


『気にはなる』


 意図が読めず、曖昧な返事を返す。ギルは頷くと、眠ってしまったダニーを抱きかかえた。


「先にダニーをベッドに置いてきます。ちょっと待っててください」


 そういって、彼はソファを離れた。



 

 一人戻ってきたギルは、水の入ったコップを二つ持ってきてくれていた。話し過ぎて喉が渇いてきていたので有り難い。


『セイヴェルの水道の水って飲めるの?』


 ぼんやりとした知識だが、日本以外で水道の水をそのまま飲める国は少ないと聞いたことがある。二十一世紀でそうなのだから、二十世紀初めの今はもっと少ないだろう。


 ギルが持ってきてくれたのが水道水かは分からないが、わざわざ店で買わなければ手に入らないものなら、予定外の客の私にほいほい出さない気がした。フィクション作品の影響が混じっているかもしれないが、孤児院というのは資金繰りが厳しいイメージがある。


「ここは首都なんで、飲んでも大丈夫っすよ。田舎に行くとちょっと怪しいですけど……」

『へえー』


 私はありがたく貰った水を飲んだ。


「二百年くらい前? いやもうちょっと後だったかな。正確な年数は覚えてないけど、魔術師がこの国の王族に水を浄化する魔術を伝えて……もともと水が不足しがちな土地なんすけど、そのおかげで飲める水が増えて豊かになった、とかって歴史の授業で言ってた気がします」

『孤児院では勉強の時間もあるんだ?』

「はい。……でも、今のは孤児院では習わねえかもな」


 ギルの声が思いのほか低くなったので、私は顔を上げた。目が合うと、ギルは普段通りの顔で笑って、ソファの背もたれに体重を預けた。


「アシュクロフトさんはあの時、ダニーに『ヴィクトルの鞄から財布を盗むな』って言ったんすよ」

『は……』


 予想外の内容に私は閉口した。


『なんで? ダニーはそんなことしないでしょ』

「ははっ」


 ギルが声を上げて笑ったので、私は不安になってしまった。


『え? してないよね?』

「アヤネがそう言うってことは、ダニーがヴィクトルを慕ってんのは本物に見えたってことっすよね」

『そりゃまあ……。素直で人懐っこい子じゃない』


 過ごした時間は半日にも満たないが、私の接してきたダニーは年相応の無邪気な子供だった。好きなものは好きと言い、嫌いなものは嫌いと言う。あの素直さの裏で「実はヴィクトルの財布目当てで付きまとっていました」? ないない。もしそうだとしたら天才子役として売り出したほうが儲かる。


「ダニーはもちろん、何もしてないっすよ。する気もなかったんじゃねえかな。少なくとも今日は」


 それはつまり、前科があるということだろうか。


「アヤネはさっきあんたの国の……日本との違いを色々話してくれましたけど、そっちでは孤児とか捨て子に盗みのイメージはないんすか?」

『ええ? ないよ。あー、でも、うーん、近くにいたことがないから分かんないっていう方が正確かも』


 馴染みがなさ過ぎて返答に困るが、特に悪いイメージは持っていない。


「孤児があんまりいねーんすか? すげー。いい国なんすね」

『んー、どうだろ』


 自分のいた世界は技術が進んでいて便利だし、住んでいた国は平和な方だったが、何の問題もない百点満点の国と言い切れるほど盲目的でもなかった。毎日悲惨なニュースは流れているし、日常の中の小さな悪意が目につくことだってある。孤児だってたまたま私の周りに居なかっただけで、社会全体で見ればきっとたくさんいるのだろう。


「ダニーは捨て子で、親はダニーに盗みが悪いことだって教えてやらなかった。そういうやつが孤児院にはたくさん居て、院に来て初めて何が悪いことなのかを教わる。でも変わるには時間がかかるし、変わらねえやつもいる。だから、ああいう疑いを向けられるのは、割とよくあることなんです。俺にとっても、ダニーにとっても」


 私はあの高級そうな大通りで、やたらと人目を集めていたことを思い出した。まさかあれは、スリか何かだと警戒されていたのか? 何もしてないのに?


『よくあるからって疑われるのはムカつかない!? だって何もしてないんだよ!?』


 ギルはまた声を上げて笑った。なんだか嬉しそうだ。


「アヤネって、ちょっとヴィクトルに似てますよね」

『そうなの? あたし、ヴィクトルの顔しか知らないんだけど。見た目だけで言ってない?』

「言ってないっすよ、中身の方ですって。雰囲気は全然違うけど。すげー善良な感じ」

『善良なのはギルもでしょ? 普通、知らない幽霊にここまで親切にしないって。あ、いや、あたしはまだ死んでないと思うけどね!』


 しまった、自分を幽霊だと認めるような発言をしてしまった。何か完璧に死んだと分かる記憶でも出てこない限り、自分が生きている可能性にベットしていたいのに。


 私が軽く後悔している間、ギルはソファ横のサイドテーブルに置かれているオイル式のランプに火を灯していた。


 そして、急に目線を上げてニヤッと不敵に笑った。


「俺の親切は、全部打算なんで」


 私は今日一番のきょとんとした顔をした。


「はははっ! 俺と違ってダニーには打算とかないんで、そこだけは信じてやってください。おやすみ」


 いつもの笑顔に戻ってそう言うと、ギルは私の空いたコップを回収し、ソファから離れた。ついでに部屋の明かりを消していったが、私の手元にはオイルランプが光っていた。離れる直前にギルが私に手渡したものなので、リビングの備え付けの備品というわけではない。私が部屋まで戻るときに足元を照らせるようにという配慮だろう。


 これを打算でやっているとしたら、見返りは相当高価でないと釣り合わないのではないだろうか?


 『おやすみー、今日はありがとねー……』


 ぽかんとしながら言った後で、ずいぶんあっさりしたお別れになったなと思った。


 まあ、からっとしていて良いか。


 一人になると一気に疲れがやってきた。私はさっさとあてがわれた部屋に戻り、靴と靴下を適当に脱いで簡素なベッドにダイブした。

 消したばかりのオイルランプの煙のにおいがする。この思考を最後に、私はあっという間に眠りに落ちた。

 

次回はここまでの登場人物まとめになるので、次の話も含め2回投稿します。

投稿時間は8時頃+通常通り12時頃の予定。

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