14. 1日目⑭ 知らない街にひとり
次に気が付いたとき、私は一人、セイヴェルの路地に立ち尽くしていた。
両手は大きくて薄く、骨ばっていて白い。掌に擦り傷があり、乾きかけの血が黒ずんで張り付いている。地面は遠く、足は細長い。頬が少し腫れていて痛い。身に着けている革鞄と使い込まれたローブは、ところどころ擦れて汚れていた。
魔術師ヴィクトルの身体に戻ってきたのだ。
(でも、場所が違う気がする)
あたりを見まわすと、最後に居た路地とは違う様子に見えた。
少年を抱えて隠れていたあの袋小路の薄暗さはなく、男たちが崩してめちゃくちゃにしたはずのガラクタの山も散乱していない。
近くには誰の気配もないようだった。金髪の少年も、物盗りの男たちも、もちろんあの魔術師の姿も見当たらない。
日当たりのいい石畳に、黒猫がぴょんと降りて来て、こちらを見てニャーと鳴く。屈んで手を伸ばしてみたが、つれない様子でひょいと壁を越え、どこかに行ってしまった。
(あの子、誰だったっけ……)
あの少年のことを考えようとすると、鈍い頭痛と焦燥感に心がざわつく。
血を沢山吐いていた。あの後どうなったのだろう? そもそも本当に会ったことがあるのか? どこで、どうやって?
『う……』
絶対に何かを知っていたはずなのに、何も思い出せない。何も思い出せないのに、知っていることだけは確信している。頭が痛い。
駄目だ、今は考えるのをやめよう。私は軽く頭を振った。
そういえば、先ほどまで居た空間も謎だった。あちらは思い出せないというより、認識できないことが多すぎた感覚だったが。
『とりあえず、迷子を何とかするのが先よね』
考えても分からないことを考えても仕方ない。急ぎの問題から片づけよう。
私はぐっと伸びをして立ち上がり、これからやることを考えた。
ヴィクトルの身体にいることと、少し乾燥した空気が変わらないことから、最後にいたセイヴェルの街に戻ってこられたのだとは思う。ここがどこだか知らないが、まずは知っている場所まで戻ることができれば御の字だ。
となると、行先の目印になりそうなのは……。
『あった!』
また追い剥ぎに狙われないよう鞄を身体の前に抱え、できるだけ高いところを探し回る。幾つめかに上った階段の先で、建物の壁の向こう側に王城の影がちらりと見えた。
ひとまずあの王城の方向に向かおう。城壁にさえ辿り着けば、それを辿って魔術師ギルドの本部まで戻れるはずだ。たとえ辿る方向を間違えたとしても、途中で門か何かがあるはず。門があるなら人もいるはずだ。そこで道を聞けばいい。
幸いにもまだ日が暮れる様子はない。
私は周りの様子に気を付けながら、可能な限り足を速めた。
城壁までたどり着くと道が開け、予想通り門と守衛らしき人を見つけることができた。
魔術師ギルドまでの道と、ついでに時間を聞く。時刻は十六時ちょっと前。魔術師ギルドでギルたちと別れたのが何時だか分からないが、思ったよりも時間が経っていないような気がした。
太陽の位置を確認すると、沈むまでもう少しかかりそうだ。できれば暗くなる前にギルとダニーに合流したい。白昼堂々追い剥ぎが襲ってくるような街を、夜に一人で歩いて無事でいられるとは思えなかった。
魔術師ギルドに向かう道すがら、石畳の凹凸が妙に尖っているように感じた。
違う、ヴィクトルの足が限界を訴え始めているのだ。昼からほとんど休みもせず動いているのだから仕方がない。鞄も地味に重い。無茶な走り方をしたせいか、ブーツに包まれたつま先あたりがズキズキする。肉刺でもできているのだろうか。
城壁沿いの道に通行人はほとんどいなかったが、時折黒光りする馬車とすれ違った。いいなあ、馬車。声を掛けたら乗せてもらえないだろうか。ちょっと外側にしがみ付かせてもらうだけでもいい。アクション映画の主人公がたまにそういう移動の仕方をしていた。
埒もない妄想をしているうちに、見覚えのある大扉の前にたどり着いた。魔術師ギルド本部だ。
私はほっとして、足早に短い階段を上った。
『嘘でしょ~……』
魔術師ギルドの扉は固く閉ざされていた。ノックをしても、柵越しに窓を覗いてみても、人の気配がしない。大扉横の案内板を読解したところ、おそらく営業時間が終了している。私は大扉前の階段にへなへなと座り込んだ。
(でもまあ、そもそもギルドの人たちじゃ、ギル達の孤児院の場所を知らなかった可能性もあるか)
初めの算段ではここでギル達を知っている人を見つけられればラッキー、知っている人が見つからなくてもヴィクトルの住所は登録されているはずなので、そこから「ヴィクトルの家の近くの孤児院」を聞くつもりだった。
この国に孤児院がどれほどあるのかは知らない。もしその情報だけで絞り込めなければお手上げ状態、一人大人しくヴィクトルの家に戻るしかないだろう。
(そういや私、ヴィクトルの家に一人で戻れるかも怪しいよね)
ヴィクトルの家の鍵は持っているが、道が怪しい。
中央広場までは戻れるだろうが、広場は大きく、いくつもの道が合流していた。あそこから1つしかない正しい帰り道を選べるだろうか? 選べたとして、迷わず正しい角を曲がり、住宅街のあの閑散とした道までたどり着けるだろうか? ヴィクトルの家は閑散とした大通りから少し奥まった位置にあったが、見逃さずに家までの小道を見つけられるだろうか?
街歩きは私の趣味の一つだが、ここにはスマホの地図アプリも紙の地図も無い。
(あ、やばい)
ぞわ、と、背筋を不安が撫ぜた。
これはいけない。この感覚に支配されたら動けなくなる。動けなくなるのも、冷静に考えられなくなるのも駄目だ。私しか私を助けられないのだから。
『うーん、割とピンチな気がしてきたぞー』
ぐっと伸びをしながら、無理矢理呑気な言葉を吐いてみる。落ち着け。落ち着け。作り笑顔で脳を騙せ。
――混乱したら、今自分が何を感じているのかをよく観察しなさい。
ふと、あの魔術師の言葉が頭をよぎった。
『…………ふーー』
長く息を吐く。1、2、3、4、5、……。
(ちょっと焦ってる? 不安もある。けど、まだ混乱ってほどじゃない)
大扉の前の階段に鞄を抱きかかえて座り、さらにローブのフードを被って外から荷物が見えないようにする。そして気持ちを整えるために目を瞑った。
少し冷たいゆったりとした風が、顔を撫でていく。
(せめて地図が欲しいなあ。広場に売ってないかな? 帰り道は広場から見ると王城の反対側で、王城方面から見て右側。そっちに孤児院が一つしかなかったら簡単なんだけど……。ヴィクトルの家は、住所が分からないと地図があっても分からないだろうしなあ)
そういえば私は、今日か明日の朝には勝手にヴィクトルの身体から出ていくという話ではなかったか。
もう夕方だから、そろそろタイムリミットがきてもおかしくはない。この不思議な旅は、このままギルとダニーに再会できずに終わってしまうのだろうか。あのおかしな空間で、家に帰るよりもギル達に会うことを選んで来たのに。そうなったら残念だな。
考えているうちに疲れが限界に達したらしい。猛烈な眠気に襲われて、気づけば眠ってしまった。
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