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異世界&ギークス  作者: 弥乃


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12/22

11. 1日目⑪ 「火事だーーーーーー!!!」

 普段の自分の感覚よりもかなり早く息切れを感じた私は、早々に走るのを諦めた。ヴィクトルは運動不足らしい。


 来るときには三人でおしゃべりをしながら歩いた路地は、一人で歩いてみると静かで、思ったよりも長かった。

 左右を囲う建物に阻まれて風のさわやかさは感じなかったが、天気がいいこともありほどほどに明るく、警戒心も薄れていく。曲がりくねった道の先にダニーとギルの後姿はまだ見えなかった。


 人気のない場所を黙々と歩いていると、思考に沈み込みやすくなる。


 ギルとダニーは何と言われてあそこまで傷ついたのだろう?

 アシュクロフト氏は二人に怒りを向けられても動じなかった。それどころか、より一層表情が冷たくなっていた気がする。あの聞き取れなかった英語には、彼らを傷つける意図が明確にあったのだ。いったい何故?


 単純にアシュクロフト氏が他人を(おとし)めてまわるような人物だという可能性もなくはない。でも、あの上品な立ち居振る舞いが身につくような環境で、そんな下品さを放置するものだろうか? トンプソン氏からヴィクトルを庇ってくれた時の理性的な話運びとも、イメージが噛み合わない気がする。


 そもそも、アシュクロフト氏は本当に彼らを(けな)していたのか?

 ダニーは最後に「鞄を返す」と叫んでいた。あの鞄にとても大事なものが入っていて、ダニーがそれを盗もうとしていると勘違いした? アシュクロフト氏はそれをヴィクトルの代わりに取り戻そうとしていたとか?


 でももしそういう誤解があったなら、ギルとダニーが誤解だと説明しないのはおかしい気がする。

 二人は説明しようとするどころか反論の素振りすら見せず、言葉を押し殺したまま去っていった。ダニーは説明が苦手そうだったが、ギルはそうでもないはずだ。


 アシュクロフト氏が具体的にどんなことを言ったか分からない以上、考えても精度の低い推測にしかならない。

 頭の隅では分かっているのに、足を動かす以外に使われていない脳みその余白が、とりとめのない思考を勝手に広げていく。


 ギルが懸命に怒りを抑え、最後までアシュクロフト氏に直接文句を言わなかった理由は推測できる。

 ギルはアシュクロフト氏を「俺らの孤児院のパトロンの一人」と説明していた。経済的な理由で、ギルの立場では我慢する以外の選択肢がなかったのだろう。


 ダニーは最初からアシュクロフト氏を酷く警戒している様子だった。

 はっきり「嫌い」と言うほど嫌っているトンプソン氏が目の前で烈火の如く怒り狂っていても、(ひる)むそぶりすら見せなかったダニーだ。対してアシュクロフト氏がやってくると、私やギルの後ろに張り付いて出てこなくなった。アシュクロフト氏には「嫌い」以上の何かがあるのだ。


 アシュクロフト氏がギルではなくダニーに帰るよう指示していたことも踏まえると、――――そこまで考えた時、はたと気が付いた。


『やばい。迷子だわ、あたし』


 帰り道の路地がやけに長く感じた理由は、話し相手がいないせいだけではなかった。


 目の前の家には、育ちすぎた観葉植物の鉢が大量に放置されている。いくらギルの案内に任せきりだったとはいえ、こんなに特徴的な家の横を通っていれば記憶に残るはずだ。


 私は軽い焦りを感じ、周りの状況を確認しようとぐるりとあたりを見回した。


『え』

「あ」


 見知らぬ男性と目が合った。かなり距離が近い。彼は身をかがめ、私の方に両手を伸ばしていた。


 もしも「抜き足差し足のジェスチャーをして」と言われたら十人中十人がこんな体勢を取るだろう。

 彼の両手の先には私の、正確にはヴィクトルの本と書類と財布の詰まった鞄があった。彼の片手には大ぶりのナイフがあり、今まさに私の肩にかかっている鞄のショルダーベルトを切り落とさんとしている。


 目が合った驚きで硬直した私たちよりも早く、少し離れた位置から見守っていた別の男性が動いた。その手にはやはりナイフが光っている。


 私は頭が真っ白になり、叫んだ。


『火事だーーーーーーーーーーー!!!!!!!』


 ついでに両腕を大きく振り上げた。


 この時の私は本当に何も考えられない状況にあったので、後々になってこの件を回想している冷静な私が一連の行動を解説しよう。


 私のこの一見意味不明な行動は、小学生の頃の訓練の賜物である。


 その当時、地域内で子供が被害者になる事件が連続して発生していた。その頃住んでいたのは割と大きな町で、事件発生場所は同じ地域と言っても距離があったが、なかなか捕まらない犯人に地域の保護者達の不安は増すばかりだった。


 そこで子供会が催したのが、防犯訓練を兼ねた地域イベントである。中でもよく覚えているのが、不審者に突然抱き着かれたときの逃げ方を競うゲームだ。


 子供と大人が輪になってぐるぐる歩き、大人のうちの一人が不意打ちで子供に抱き着く。抱き着かれた子供は両腕を挙げて叫ぶ。その速度と声の大きさを競うゲームはなかなかスリリングで、単純にレクリエーションとして楽しかった。


 そして防犯効果もあったことを、十年近く経った異国の地で証明することになる。


 抱き着かれたときは両手を勢いよく上に挙げると、腕の拘束を外せる。同時に大声で人に知らせる。叫ぶ言葉は「火事だ」が良い。自分にもリスクがあると判断すれば、周りから人が出てくる確率が上がる。


 今現在の私は抱き着かれたわけではないので両腕を挙げても特に意味はなかったが、ヴィクトルの長い両腕は目の前で硬直していた男の顔を掠め、怯ませる効果があった。


 後から知ったことだが、この国に魔術師はそれほど多くない。一般人にとって魔術師は「何か得体のしれない力を持った人間」であり、具体的に何をするのか分からない不気味さがある。古い童話に出てくる魔術師は、自分を騙した人間に呪いをかけてくるものだ。


 いかにも魔術師然とした出で立ちのヴィクトルが、唐突に両腕を振り上げ、鬼気迫る表情で聞き取れない異国の言語を声高に叫ぶ。


 私を襲おうとした二人の男たちにとって、これは得体のしれない魔術の前触れに見えたに違いない。揃って身を(すく)ませた。


 もちろん、様子のおかしい男にドン引きしただけという可能性も大いにあるが。


 ともかくも、そうして出来た一瞬の隙をついて、私は逃げだした。


 走る方向は男たちのいない方、つまり来た道と逆だ。余計に迷うがこの際仕方がない。後ろから我に返った彼らが何かを叫びながら追いかけてきている。

 とにかく彼らを撒かなければ。ヴィクトルの体力は残り少ない。


 私は走りながら、目についた角を片っ端から曲がって行った。うまくすれば目くらましになるはずだ。幸いヴィクトルの身体は長身な分手足も長く、走る速度は彼らに引けを取らない。肩にかけた鞄は走るのに邪魔なので、途中から胸に抱えた。


 いくつめの角を曲がった頃だろうか。追いかけてくる声が少し小さくなったあたりで、私は何かに(つまず)いて盛大に転んだ。


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