第174話「神の祝福」
しばらく、静寂が空間を支配した。
ただ、風の音と、押し殺した嗚咽だけが世界にあった。
だが、その瞬間。圧倒的な光が、世界を再び塗り替えた。
大地が白く焼け、花々が純白の炎に照らされる。
視界が、光だけに奪われる。
仲間たちは、息を呑んだ。
そこに現れたのは、神々しい光に包まれた、一人の存在。
その姿は、先ほど光となり、天へと昇ったブリシンガーと、あまりにもよく似ていた。
銀白の髪、深く澄んだ蒼目、白炎の鎧、圧倒的な威容。
「……ブリシンガー……?」
システィーンが、声を震わせる。
一瞬、全員がそう思った。
だが、違う。
その存在から放たれた神気が、彼らの魂を震わせた。
それは、人のものではない。この世の理を超えた、絶対なる力。
「こ、この存在は……!」
ドゥガルが呟く。声は震え、膝が砕ける音を立てた。
ブリシンガーに似ているが、違う。だが、放つ力は限りなく彼に近いもの。
これは、誰しも直感で察知した。
彼こそが、創造神ハルディヴァー。
天から降臨した本物の神。ブリシンガーの創造主。
その瞳は、全てを見通しながらも、どこまでも静かだった。
そして、その声が世界を満たした。
「……我が戦士。いや、息子よ。よくやった」
その一言で、大地は震え、空は光に砕け散るかのようだった。
ハルディヴァーは、ゆっくりと彼らを見渡す。
その瞳に宿るのは、神の静謐でありながら、どこか温もりを帯びた光だった。
「彼は、我を超えた」
その一言に、仲間たちの胸が震える。
「神である私をも震わせた。我が創りし世界を守り抜くために……命を賭し、己を超え、絶対をも打ち破った」
「そして、天へと還った彼は、我と再び一つとなった」
ハルディヴァーの声が、柔らかくなる。
「その瞬間、彼のすべての記憶が、我の中に流れ込んだ。彼が笑った日も、剣を振るった日も、孤独に耐えた夜も……そしてそなた達と共に過ごした、かけがえのない時も」
システィーンの目から、新たな涙があふれた。
バルダーが、顔を覆う。
「……だから、伝えに来た」
ハルディヴァーは、空を染める光の中で、微笑んだ。
その笑みには、確かにブリシンガーの影があった。
「私からの、ありがとうも」
仲間たちは、息を止めた。
システィーンの肩が震える。バルダーの紅い瞳からも涙が溢れる。
ドゥガルは、声を殺しながらも泣き、天を仰いだ。
「彼は、最後の瞬間まで……そなたたちを愛していた」
世界が静まり返る。その沈黙の中、神は深く、穏やかに続けた。
「ゆえに、私もまた、彼に報いよう」
その言葉を聞いた瞬間、仲間たちは一瞬、息を呑んだ。
「……報いる……?」
バルダーが、低く呟く。その声には、戸惑いと期待が混じっていた。
「どういう……意味だ……?」
ドゥガルの眉が深く寄る。視線は神に釘付けのまま、拳に力がこもる。
システィーンは、胸を締めつけるような不安を覚えながら、震える声で呟いた。
「……まさか……」
草原を覆う空気が、張り詰めた。時間そのものが止まったかのような静寂。鼓動だけが、全員の耳に響く。
ハルディヴァーが、ゆっくりと右腕を掲げた。
「彼の悲願を、叶えよう」
天空が、白金の輝きに爆ぜる。
轟音が空を震わせ、大地に黄金の稲妻が奔る。
草原を覆う花々が一斉に光を浴び、白炎のように輝き出す。
光が止んだ。
世界は、まるで新しい楽章を奏でる前の静寂に包まれた。
そこにいる全員が、ゆっくりと腕を下ろす。
震える瞼を開け、そして絶句した。
そこにあったのは、柔らかな草の上に、穏やかな寝顔で横たわっていた青年が一人。
銀の髪は、陽光を受けて淡く煌めき、その頬には血の温もりが戻っている。
鎧も、神威も、すべてを脱ぎ捨て、そこにいるのはー
ブリシンガーだった。
「……っ……ぁ……」
システィーンは、言葉にならない声を漏らした。
その場に崩れ落ちるように膝をつき、震える両手で地を支える。
涙が、止まらなかった。
「うそ……うそ……うそ……っ……!!」
嗚咽がこみ上げる。叫びが、息をついて漏れる。
「ブリシンガー……!ブリシンガーぁ……!!」
彼女は這うように駆け寄り、何度も名を呼ぶ。
その声は、嬉しさと信じられなさと、張り裂けそうな想いが混じった絶叫だった。
バルダーもその姿を見て、息を飲んだ。彼の喉から、呻きとも笑いともつかぬ叫びが漏れる。
「……あは、あはは……!おい、マジかよ……!おい!!」
「戻ってきたじゃねえかよ!!あんた、ふざけんなよ……っ!!」
涙が止まらないまま、怒鳴るように叫ぶ。
「勝手に逝って、勝手に帰ってきやがって……!!くそっ……!バカ野郎……!」
ドゥガルも、言葉を失っていた。その厳つい顔が、ぐしゃりと歪む。
膝をつき、手で顔を覆ったまま、押し殺した嗚咽が漏れる。
「こんなことが……ありえるかよ……」
彼の肩が、泣きじゃくる子どものように揺れ続けた。
そして、ブリシンガーの頬に触れたシスティーンの指先が、その温もりを感じ取った。
「……い、生きてる……」
そのたった一言で、彼女は堰を切ったように泣き崩れた。
「うあああああああああああんっっ!!!!」
嗚咽が、もはや言葉の形を成さない。
彼の胸元に顔をうずめ、涙と嗚咽と笑みが入り混じった声で、ただひたすらに泣いた。
「帰ってきた……本当に……帰ってきた……!」
バルダーが、歩み寄って叫ぶように言った。
「神様よ……っ!ありがとう……っ!本当に……っ!」
ドゥガルもまた、涙を拭いもせず、ただ呟いた。
「こんな奇跡……もう二度とねぇ……」
そして、ハルディヴァーの声が響いた。
「再び、私から彼を切り離した。だが今度は、世界を護る不死の戦士としてではなく、ただの人間として。第二の生を歩ませる」
「それが、私より彼への礼である」
その言葉と共に、草原に静かな風が流れた。
次の瞬間、空間が歪む。
紫の光輪が、空間を切り裂くように顕現する。
そこから、ひとりの女性が姿を現した。
「間に合った……!」
フィリアだった。
額には汗、肩で息をしながらも、その瞳は鋭い光を宿している。視線を巡らせ、彼女は凍りついた。
草原に横たわるブリシンガー。その傍らに涙に崩れるシスティーン。そして、ハルディヴァー。
「……これは……」
フィリアの声は震え、言葉にならなかった。
だが、彼女は即座に理解した。状況の異常さを。神が、現世に顕現しているという事実を。
フィリアは、一歩前に出ると、震える声で言った。
「ハルディヴァー様……!なぜ……なぜ、あなたがこの世界に……!?神は通常、現世の出来事には干渉しないはず……それが、どうして……!」
彼女の声には、恐れと、理の崩壊に対する混乱が入り混じっていた。
神は静かに、微笑んだ。深淵の慈愛と、永劫の静謐を湛えた微笑だった。
「定めを破るのは、私とて容易ではない」
低く、柔らかな声が、空を満たす。
「だが……」
ハルディヴァーは、一瞬、眠るブリシンガーに視線を落とした。その目は、神でありながら、人としての温もりを宿していた。
「……彼の記憶は、無視をするには、あまりにも尊かった」
その一言に、フィリアの胸が震えた。
ハルディヴァーは続ける。
「何千年もの孤独、果てなき戦い、そして、そこに宿る絆と愛。神としての我の眼をも揺さぶった」
フィリアは、息を呑んだ。
神をも動かす人の記憶。その意味の重さに、言葉を失った。
ハルディヴァーは、再び視線を彼女に戻し、静かに告げた。
「ゆえに、私は一度だけ干渉した。この世界を守り続けた英雄の、最後の願いを叶えるために」
「それは、決して神としての義務ではない。ただ、一人の父としての、我が誓いだ」
その言葉を聞いたとき、フィリアは、深く息を吸った。
震える胸を押さえながら、ゆっくりと目を閉じる。そして―低く、静かに言葉を紡いだ。
「……ブリシンガーは……神である貴方ですら変えてしまったんですね」
風が、草を揺らす。遠い空で、雲が白く溶けていく。
ハルディヴァーは、ただ静かに頷いた。
その頷きに、言葉以上の意味が込められていた。神が、ひとりの人間に心を動かされたという事実。
そして、ハルディヴァーはゆっくりと空を仰ぐ。
その身体が、光を放ち始める。粒子のような輝きが風に舞い、草原を照らし、空を白く染めていく。
「さらばだ、ブリシンガーよ」
その声は、穏やかで、どこまでも優しかった。
「次は神の戦士としてではなく、ただの人として、お前の望んだ生を、生き抜け」
光が強くなる。その輝きに、誰も目を開けていられない。
風が頬を打ち、草原が波打つ。
システィーンは、涙をこぼしながら、微かに呟いた。
「……ありがとう……!」
声にならない声が、風に溶けていく。
そして、ハルディヴァーの姿は、静かに、空へと還っていった。
光が粒子となり、風に舞い、草原を柔らかく照らす。
神の声が、空と大地を包み込む。
「世界を変えるのは、力ではない。絆と、愛と、そして……一人の選択だ。それを教えてくれたのは、我が戦士、ブリシンガー・ヴァルディア」
声は、優しく、深く。神でありながら、どこか人としての温もりを帯びていた。
最後の光が、天に昇る。微かな風が、仲間たちの頬を撫でる。
その言葉を残し、ハルディヴァーの姿は完全に消えた。
残されたのは仲間たちと、眠り続けるブリシンガー。
空は、再び青さを取り戻し、ただ一筋、光の名残だけが天に消えていった。




