7 暗雲からの雨粒1滴
それからの数日間、ロートホルン城の中は、特に問題も無く平穏な時間が過ぎて行った。
イレーネの出歯亀事件について、エルオリーセはオリビエに知らせずにいる。お陰で居候から店子に昇格した彼女も、追い出されずにいた。
今後、自分に出来ることを増やしたい。
そう思ったイレーネは、城にあった医術の基礎の本を借り、学院で習った応急手当以上の事を学び始める。そして必要な品を集め、救急箱のような物を作った。もし今後、資金集めの旅に出る時は、ここから持ち出せるようにとも思っている。
自分にもある程度の『癒しの力』はあるし、アルバは『癒しの獣』とも呼ばれるメタモルファルだ。けれど、その能力が出せない場合もあるだろうと思う。
この際、どれほど役立つ機会があるかは解らないが、イレーネとしては、それくらいしか思いつかなかった。けれど、無駄かもしれなくても、やれることはやる。そんな風に、思えるようになっていた。
そんなある日、毎日2回は城の外に出ているアルバが、帰って来るなり報告をする。
〈気になる臭いが、あったんだ〉
夜の見回りを兼ねた夕食の調達に出たアルバだったが、その時に奇妙な臭いを嗅いだと言う。
〈これで2回目なんだけどね。前の時は、風に乗って来た感じで、直ぐに消えちゃって、かなり遠くから漂って来たんだと思う〉
「どんな臭い?」
エルオリーセが、真剣な面持ちで尋ねた。メタモルファルであるアルバの感覚は、普段の姿であるウルフドッグのそれよりも遥かに鋭い。
〈う~~ん・・・アガースに似てるかな。でももっと禍々しい感じで・・・何かが根本的に違うと思うよ〉
アガースとは、シュバルグラン王国でも過去に何度か出現したことがある魔物だ。
中型のドラゴンタイプに分類されるが、前脚に付いている皮膜で飛ぶので、飛行能力はあまり高くない。その代わり、発達した4本の肢で駆け回り、そのスピードが凄まじい。顎も強力で、大きく鋭い牙を持つ。性格も好戦的で、肉食。記録によれば、辺りに轟くような大音量で吠えることがあるらしい。
「普通のアガースだとしても、相当珍しいわね。どっちにしても、用心した方が良いと思うわ」
エルオリーセの言葉に、オリビエは眉を顰めて腕を伸ばし、隣に座る彼女を抱き寄せる。
「城の外に出ない方が、良いんじゃないか?夜ならまだしも、昼の間は私もどうにも出来ないし」
夜明けから日没まで、幽霊であるオリビエは姿を現すことが出来ない。何かあっても、日中はエルオリーセとアルバで対応しなければならないのだ。
イレーネは、完全に戦力外。
「充分、気を付けるわ。外に出る時は、常にアルバが傍にいるし、気配を感じたら直ぐに逃げるから大丈夫。それに、アガースにしても他の魔物にしても、この城を狙う理由は無いと思うし」
餌を求めて来るのなら、ロートホルン城にいる人数は少ないし、それ以外はせいぜい半野生の鶏が数羽いる程度だ。山を下りれば村の牧場もあるし、人間だってそれなりに多い。山の中にも、鹿や熊などの野生動物だっているのだから。
「それでも、やっぱり心配なんだ。買い出しも、やめておいて欲しいくらいだ」
それでも過保護なくらいエルオリーセを心配するオリビエだが、イレーネは別の事を考えていた。
(う~~ん、これじゃ・・・またエルと一緒に資金集めに行くのは、結構面倒かも知れないわ)
そして数日後、警戒を続けていた昼下がりに、見回りの回数を増やしていたアルバが、城の塀を飛び越えて帰って来た。
〈アイツが来たっ! 城の西側、500メートルくらいの場所に降りて、こっちに向かってる〉
エルオリーセは、用意しておいた採集服の上着を着ながら、問い返す。
「速度は?」
〈辺りを見ながら、ゆっくり歩いてるよ!〉
アルバの心話は、イレーネにも伝わっている。
「私に、出来ることはあるっ?」
声を上げたイレーネに、エルオリーセは落ち着いた声音で告げた。
「城中のカーテンを、全部閉めて置いて。後は、気配を消してジッとしていること。日没まで、時間を稼ぐわ」
魔物を倒すには、自分とアルバだけでは荷が重すぎる。陽が沈めば、オリビエが城を守るために全力を出すだろう。出来れば追い払いたいところだが、せめて時間を稼いで足止めくらいはしたいところだ。
そう判断したエルオリーセは、装備を整えると、アルバの背に乗って城から跳び出した。
カーテンをきっちりと閉めた居間の中は、日暮れの様な薄暗さに満ちている。
その中でイレーネは、息を殺すように座っていた。
(・・・もう、大分時間が経ったと思うけど)
カーテンのお陰で、外の物音は聞こえない。それはまだ、魔物が城から遠いという事なのだろうか。
(エルとアルバは、大丈夫かしら・・・)
信頼はしているが、アルバはともかくエルオリーセは若い娘だ。野外活動に高いスキルは持っているが、基本は採集や援護に特化している。
アルバは確かに多彩な能力を持ち、とても強い魔物だとは思うが、それでもイレーネの不安は消えない。そして、こういう時に無力な自分が、また恨めしく思えた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
そろそろ日没が近いと思われた時、外から音が聞こえた。
「✕✕✕✕! ✕✕✕×! ガシャンガシャン、ガンガンガッガッガッ・・・」
意味不明の叫び声と、激しく響く何かを叩く音だ。
(なっ、なにっ?)
イレーネは、急いで玄関の大扉に走ると、そっと隙間を作って外を窺い見た。
「・・・・・・ウィンっ!」
門の鉄製透かし模様の間から、大柄な男が門を蹴っているのが見えた。
その腕の中には、血まみれのエルオリーセ。足元には、同じく血まみれでやっと立っているらしいアルバの姿もある。
イレーネは、門を開けるために、全速力で駆けだした。
「こっちに!」
イレーネは、迷わずウィンを城の中に入れ、居間に誘導する。
「ここに寝かせて!」
ぐったりしてポタポタと血を流すエルオリーセの身体をソファーに寝かせ、イレーネはその状態を調べた。アルバは、ここまでが限界だったようで、床に横倒しになってゼェゼェと喘いでいる。苦しそうなメタモルファルの傍に、ウィンは膝をついた。
「頭と、肩・・・酷いわね」
エルオリーセの状態を確認して、イレーネが呟く。左側頭部の上あたりに大きな傷があり、血が流れて髪と顔半面を汚しているが、骨には陥没もヒビも無い様だ。それよりも左肩の損傷が酷く、引き裂かれてパックリ開いた傷口から血が噴き出ている。折れた鎖骨の白い色も、確認できた。
「前脚は折れてるな・・・横腹が抉れてる」
アルバの様子を見ていたウィンが、落ち着いた声で告げる。折れた足はブラブラで、脇腹からは内臓がはみ出しかけていた。
そんな会話を交わした時、突然声が響いた。
「エルオリーセっ!」
丁度日没になったのだろう。出現したオリビエは、居間に漂う血臭にすぐさま気づき、ソファーの上に横たわるエルオリーセを見たのだ。
文字通り、彼女に飛びついたオリビエに、イレーネは鋭く声を掛けた。
「話は後よっ!今すぐ、清潔な布を沢山と、綺麗な洗面器にお湯を持って来てっ!」
救急箱は、既にテーブルの上に出してある。
「早くっ!」
怒鳴りつけられたオリビエは、ものすごい勢いで壁を抜けて飛び出して行った。
「布とお湯はこれで良いわ。次は、どこかの部屋からベッドを運んできて。寝具も一緒にね。それと、多分この後熱が出るから、冷たい水と額を冷やす布も用意して」
「ベ、ベッドを・・・か?」
「そうよ。出来るだけ、動かしたくないの。ここを病室にするから。さっさと行って!」
オリビエは、悪戦苦闘して何とかベッドを居間に運び込んだ。
エルオリーセの自室を病室にすれば、2階に行かれないイレーネはこの後、彼女を看護することが出来なくなる。アルバが倒れている今、イレーネが唯一の看護人なのにだ。ベッドを運び込む理由は、それもあった。
ベッドの用意が整う頃、怪我人たちの手当ては終わっていた。
「抱き上げないで、そのままそうっと移動させて。・・・うん、そう。そんな感じで」
イレーネの指示通りベッドに寝かせられたエルオリーセは、まだ意識が戻らない。けれど、アルバの方は何とか頭を持ち上げられるようになっていた。
〈僕を・・・エルオリーセの身体に沿うように・・・置いてくれる?〉
脚に添え木を当てて貰い、包帯でぐるぐる巻きにされているアルバは、手当てをしてくれたウィンに視線だけで礼を言い、そう伝えて来る。
〈癒す力は使えないけど・・・循環が良くなって・・・お互いに楽になるんだ〉
オリビエは、大きなウルフドッグの身体をそうっと浮かせて、彼のパートナーの隣に寝かせてやった。
ひと段落着いたところで、オリビエはベッドの傍に椅子を持って来て腰を落ち着かせる。そして、用意した布を冷たい水で濡らすと、包帯を避けるようにそうっと彼女の額に置く。
悲しそうな顔で、エルオリーセを見つめていたオリビエだが、やがてふと思い出したように向き直った。
「何があったのか、説明して欲しい」
「ああ、そうすっと俺が話すべきだな。先ず、俺はウィン・カーネリアンだ。旅の傭兵・・・っつうか、依頼があれば魔物退治も畑仕事もやる、何でも屋みたいな感じだな」
「・・・ああ、そうか。君の事は、エルオリーセから聞いていたが・・・」
想像通りの人物だな、とオリビエは思う。気さくで気働きも出来る、大剣使いの男だ。
「で、この城に来るように言われてたんで、今日ここの門辺りまで来たんだが、丁度その時、凄まじい咆哮が聞こえてな・・・」
明らかに魔物の声だと判断し、その方向へ駆けたウィンは、そこで惨状を見る。
血まみれで倒れ伏したエルオリーセと、彼女を守るように魔物に立ちはだかるアルバ。けれどそのアルバ自身も、3本の肢で何とか踏ん張り、その毛は血にまみれている。
「妙な魔物だったぜ。アガースに似てるが、色が全く違う。真っ黒な鱗に赤い模様が入っていて、不気味な色合いだった。咆哮の威力も攻撃力も、普通のアガースに比べると段違いな感じだった」
「で、その黒アガースは、倒したの?」
ソファーに出来た血の染みを落としながら、イレーネが尋ねる。
「あ~、流石にそこまでは、な。だが深手は負わせたから、当分は来ないだろうよ。這う這うの体で、飛んでったからさ」
とりあえず撃退はできたようで、ひとまずは安心して良いのだろう。肩の力を抜いたイレーネだが、オリビエはそこでスッと姿勢を正した。
「彼女を助けてくれて、本当に感謝する。エルオリーセは・・・私にとって、本当に大切な存在なんだ」
深々と頭を下げたオリビエは、更に言葉を続けた。
「挨拶が遅れたが、私はこの城の城主、オリビエ・ローレンス・ロートホルンだ」
ウィンは、屈託ない笑顔と共に軽く頭を下げる。
「こちらこそ、よろしく・・・けど、城主様ってことは、幽霊なんだろ?何だか、あまり幽霊らしく無いな。影の薄い人間? 何か、そんな感じだぜ」
「そ、そうか・・・・」
幽霊であることを不便に感じ、近頃とみに自分自身を疎ましく思っているオリビエは、ウィンの言葉に少し嬉しくなる。
「それにしても、何であんなのが出て来たのかねぇ。結構あちこち放浪したけど、噂の1つだって無かったんだぜ。あ、それとあの黒アガースが逃げた後を追うように、コウモリみたいな羽の小鬼が飛び去って行ったな。何か、関係あるんだろうか?」
「小鬼・・・インプ・・・か?」
オリビエは、何かを思い出すような仕草を見せたが、そこにか細い声が掛かった。
「・・・オリビエ?」
「エルオリーセ!気が付いたかい?・・・どこか、ツラいところはあるか? 水は飲めるか?」
枕の上のエルオリーセの顔は、血の気が引いているのに頬だけが赤い。痛みを堪えるような表情はツラそうだが、それでも口元を笑みの形に作る。
「うん・・・喉・・・乾いた」
「少しだけ、待ってて」
オリビエは、少しだけホッとしながら、大急ぎで厨房への壁をすり抜けて行った。
「ああいうのを見ると、やっぱり幽霊なんだなって思うな。さて・・・どうやらここに泊めて貰えそうなんで、荷物を取って来るわ。門の外に、放り出したままなんだ。ついでに、井戸で体を洗ってくる」
ウィンはさっさと踵を返して、居間を出て行った。
「あ、ちょっと・・・もう・・・掃除を手伝ってもらおうと思ってたのに。玄関からここまで、血が落ちて汚れてるのに~~」
イレーネは、不服そうに口を尖らせたが、ふと気づいてこっそりと笑みを浮かべた。
(あ、でもこれって・・・ウィンがこの城にいても大丈夫ってことになったのよね)
運が良かったなどとは、口が裂けても言えないが、それでも1つ階段を上がったような気がするイレーネだ。
オリビエは水差しとグラス、そして大きめのボウルをトレイに乗せて、急いで戻って来た。
「持ってきたよ。ああ、そのままでイイから。頭も怪我しているし、動かさない方が良い」
エルオリーセを制して、オリビエはグラスから水を一口含むと、静かに唇を合わせた。
冷たい水はそのまま、ゆっくりと彼女の口内に注がれる。体温の無いオリビエからの、口移しの水は染入るように心地よい。
コクンと飲み下したエルオリーセは、もっとと水を強請る。彼は根気よく繰り返し、やがてグラス半分の水を飲み終えた彼女は、小さくほうッと息を吐いた。
「・・・ありがとう。美味しかった・・・」
その声を聞いたのか、アルバも頭を起こす。エルオリーセは手を伸ばして、その頭を優しく撫でた。
「アルバにも・・・お願い」
「うん、解ってる」
オリビエは持って来た皿に水差しの水を注ぎ、アルバの前に置いた。早速水を飲み始めたウルフドッグを見ながら、少し話せるようになったらしいエルオリーセが口を開く。
「もう、ダメかと思ったわ」
充分、安全な距離をとっていると思っていた。アガースの咆哮をまともに聞くと、体の自由が奪われると知っている。けれどあの黒い魔物の咆哮は、想定より遥かに威力も範囲も大きかった。動けなくなった時間、黒アガースは挑発するアルバに向かって突進し、エルオリーセの横を通りすぎる。けれどその足が巻き起こす土煙で視界が塞がれ、一緒に飛んできた石を避けることが出来なかった。
運悪くその石が頭に当たり、眼が眩んで倒れ伏す。血が流れ、目に入った。何とか体を起こすが、足元が定かではない。
それを見て取ったアルバが、かなり強引に攻撃をする。けれど、実力に差があり過ぎた。避けきれずに食らった前脚の一撃で、ウルフドッグは地面に叩きつけられる。前脚は折れ、横腹に深い傷を負ったアルバだが、それでも必死でエルオリーセの前に立って踏ん張った。
「ウィンの姿を見たような気がして・・・その後は、覚えていないけど・・・彼が助けてくれたの?」
「ああ、黒いアガースを撃退して、君を運んできてくれた」
「・・・お礼を言わないと」
「ああ・・・でも、本当に良かった・・・」
オリビエの言葉をそこまで聞くと、エルオリーセは瞼を閉じる。激痛と発熱で、苦しいのだろう。彼は彼女の手をそっと握り、静かに傍にいた。
優しく穏やかな空気が漂う居間のドア前で、困ったように立ち尽くすウィンに、オリビエが気づいたのは暫く経ってからだった。
「・・・ああ、戻ってたのか」
「おう・・・もうイイか?」
雰囲気を壊さないよう気遣っていたウィンだが、上半身は裸である。
「着替えが無いのか?」
「ザっと洗って干してあるから、まぁ直ぐに乾くだろう。見苦しい格好で、悪いな」
「着替えになるような服は無いが、何か身体に掛けられる物を持って来よう」
エルオリーセの命の恩人という事もあって、珍しく親し気な態度のオリビエだ。
「ありがとよ。遠慮なく、借りるぜ」
オリビエが持って来た大きめのショールを肩に掛けて、ウィンは人懐こい笑みを浮かべた。
「いや、私は服を必要としないので、こんな物しか無いのだが・・・」
「そりゃ便利だな。今来てる服が、体の一部ってことか。着替えなくていいのは、面倒が無くてイイな。いつもその姿なのか?」
「その気になれば、いつでも変えられるがな」
「ほぉ~~スゲェな~~」
本気で感心するウィンに、オリビエも悪い気はしない。この突然現れた傭兵風の男を、その性格も合わせて、気に入って来たオリビエだ。
暫くして、再びエルオリーセは目を開けた。まだツラそうだが、それでもウィンに礼を述べる。その様子を見て、オリビエが優しく問いかけた。
「ああ、そうだ。エルオリーセ、何か食べられるかい?少しでも食べた方が良いだろう? スープくらいなら・・・」
ふと思いついたように尋ねるオリビエに、食欲は無かったがそれなら少しだけと怪我人は答える。
「それじゃ、暫く待っててくれ」
嬉々として厨房に向かう彼を見ながら、ウィンはいっそ呆れたように呟いた。
「料理も出来るのかよ。多芸多才な幽霊城主だなぁ・・・」
大量に作ったから食べても構わないと言ったオリビエのスープは、文句のつけようもない程美味しかった。
「こりゃ美味ぇ!王都で料理屋が開けるんじゃねぇか?」
「・・・美味しいわね。料理人として雇いたい貴族もいるかも」
口が肥えたイレーネでさえ、褒めるしかない。
オリビエのしたことは、お節介な大家のオバサンが店子に料理のお裾分けをしているのと変わりない。
そんな声を聞きながら、けれどオリビエはエルオリーセに食べさせることに集中している。アルバにも、ボウル一杯の冷ましたスープをあげていた。
「味はどうかな?」
ひと匙すくってはフウフウと冷まし、熱くないか確認してからエルオリーセの口元に運ぶ。甲斐甲斐しく世話をする姿は、幼子に対するような慈しみの心に溢れていた。
「・・・うん、美味しい・・・また腕を上げたわね」
自分に食事は必要ないオリビエだが、ただエルオリーセを喜ばせたい一心で料理を作っている。その結果、今やかなりの腕前になっていた。
やがてウィンは、食べ終わった皿とスプーンを置いて、真面目な顔でオリビエに話しかけた。
「頼みがあるんだが、良いだろうか? 当分の間、ここに滞在させて貰いたい。あの黒アガースの事を、もう少し調べたいんだ。新しく出現した魔物の情報を、もっと入手したいと思ってる。麓の村とかでも、聞き込みをしたい」
その言葉に、オリビエはパッと振り返った。
「それは、願っても無いことだ。こちらから言い出そうとも思っていた。少なくとも、エルオリーセとアルバが完治するまでは、ここにいて欲しい。私は日中、出て来れないから心配なんだ」
またあの黒アガースが、戻ってこないとも限らない。そもそも、何故出て来たのか、その理由さえ解っていないのだから。
「警備や警護という事で、依頼するつもりでいる。報酬も、可能な限りそちらの望むようにしようかと・・・」
ウィンの仕事が傭兵なら、それは理に適っているはずだ。けれどウィンは、あっさりと笑って答えた。
「いやいや、先にこっちが言い出した事だから、報酬は要らないぜ。それに実は、新しい魔物の情報を欲しがる奴って結構多くて、それなりに情報料も稼げるんだ。ある程度情報が集まったら、町に行って売りつけるつもりだしな。ああ、ついでに買い物もして来てやるよ。タダで住まわせてもらってる家賃替わりの労働ってことで・・・どうだ?」
彼の申し出に、不服などありようもない。
こうしてあっさりと、ウィンの滞在は実現した。
いきなり賑やかになった、ロートホルン城である。
その源は全てイレーネなのだが、以前と変わったのは、突っかかる相手がウィンになったことだろうか。けれどそんなイレーネを、ウィンは上手にあしらっていた。適当に相槌を打ち、さり気なく窘めて、最期は軽く褒めて彼女の気分を落ち着かせる。それはオリビエも感心するほど、見事な対応だった。ウィンの方は、決して意図的ではないのだが。
そんな雰囲気の中、エルオリーセとアルバの怪我は、順調すぎるほど順調に完治に向かう。翌日には熱も下がり、食事もある程度は食べられるようになった。先にアルバが回復し始め、その力が戻り始めると、エルオリーセの方もどんどん復調してゆく。結局、あれほど重症だった身体は、僅か1週間でほぼ元通りになった。
明日からは、いつも通りの生活が出来ると言ったエルオリーセに、イレーネは今切り出すしかないと覚悟を決める。ウィンがここにいる理由が無くなる前に、資金集めの事をオリビエに言わなければならない。
「・・・と、言うわけでまたどこかのダンジョンとかに行って、資金を集めようと思うの。以前話したと思うけど、このメンバーなら出来ると思うのよ」
イレーネは自信たっぷりだが、そもそも具体的にどこへ行くかさえ決まってはいない。それはこれから、ウィンやエルオリーセと相談すればいいと思っている。
けれどオリビエは、表情を引き締めて言った。
「それは、エルオリーセとアルバを連れてゆくということか?」
「それは当然でしょ。絶対に、必要だもの」
自分が行くと言えば、エルオリーセは付いて来てくれる。当然パートナーであるアルバも、来ない筈がない。信じて疑わないイレーネに、けれどオリビエはきっぱりと言った。
「ダメだ。お前が行くなら、それは勝手だが、エルオリーセが付いてゆく義理は無いはずだ」
「はぁっ?」
本人から断られるならいざ知らず、勝手に彼女の行動を決めるような言葉に腹が立つ。
「エルオリーセは、来てくれるのよね?」
イレーネは、傲然と言い放った。けれどエルオリーセは、穏やかな口調で答える。
「私は、オリビエの気持ちを無視してまで、行きたいとは思わない。ごめんね、イレーネ」
「そ、そんな・・・」
思いも寄らない言葉に、イレーネは愕然とした。裏切られたような気もする。
たじろいだ様に数歩下がり、イレーネはパッと身を翻して、部屋を飛び出して行った。
城の塔へ続く狭い階段に腰を下ろして、イレーネは唇を噛み締めて俯いていた。
「・・・やっと見つけたぜ。こんなトコにいたのかよ」
頭の上から掛かる声は、ウィンのものだった。
イレーネの足元に、ストンと腰を下ろしたウィンは、階段に寄り掛かるようにして言葉を続ける。
「気持ちは解らないでもないけどな・・・アイツがエルオリーセを、凄く大切にしてるのは、見てりゃ解る。けど、連れて行くのを反対したのは、彼女が心配だからってだけじゃ無ぇと思うぜ」
世間話をするような軽さで、イレーネの方を見ようともせず、優しく語り掛ける。
「1人になるのが寂しい、っつうのもあるんじゃねぇかな。俺たちが旅に出れば、1人で留守番は確定だろ?アイツは城から出られないんじゃないか?」
最初は鉱石採掘の予定で城を出たが、結局魔物退治になってしまった彼女の前回の留守。その間、彼はどれだけ帰りを待ち焦がれていたのだろう。そしてやっと帰って来たかと思えば、次は黒アガースと戦って大怪我を負ってしまう。
一緒に行動できない自分の身を、どれほど悔しく思っただろう。
ウィンが話す言葉に、イレーネはきつく握りしめていた拳を緩めた。
「エルオリーセは、そんなアイツの気持ちが、よく解っているんだろうな。だから、ああいう返事をしたんだ。行きたくないわけじゃ無いと思うぜ」
イレーネは、漸く顔を上げた。それを見上げるようにして顔を覗き込むと、ウィンは揶揄う様に言った。
「あれ? ベソかいてたのか?」
目が赤く、鼻の頭も赤い。
けれどイレーネは、バッと立ち上がると、キッと彼を睨みつけた。
「そっ、そんなワケ無いでしょっ!・・・埃っぽくて、目と鼻をこすっちゃっただけだわ!」
ウィンは立ち上がり、朝焼け色の頭を優しくポンポンと叩いた。
「そうか、そうか。だったら、これからどうするか、前向きに考えようぜ」
「・・・気安く叩かないでよっ・・・でも、前向きって?」
少し浮上したイレーネは、眉を顰めて問い返した。
「俺らは、まだあの2人事を、よく解っていない。特にオリビエだな。打開策が出てこない時は、情報不足って場合が多いんだぜ。こう言う場合は、先ず相手を知るのが重要だ。説得するにしても、代案を出すにしても、相手の置かれた状況や考え方を正しく知る必要がある」
「・・・だから、つまり?」
「もう一度、落ち着いて、話してみようってことさ」
ウィンはニカッと笑った。
「とりあえず、顔洗ってこいよ。居間で待ってるから」
言われた通り、井戸端で顔を洗うと、イレーネは不思議と落ち着いてきた。
(・・・よし!・・・行くわ!)
あの妙に人間臭い幽霊城主を、何が何でも説得する。
(留守番が寂しいなんて、子供みたいなこと、言ってるんじゃ無いわよ。私には、エルオリーセとアルバが必要なの。1人になるのが嫌なら、何とかして一緒に来ればいいじゃないの)
無茶振りだろうが何だろうが、絶対にウンと言わせて見せる。
ここはもう、我儘で傲慢な公爵令嬢に戻ってでも、彼から承諾を引き出す。
イレーネは、背筋を伸ばして顎を上げ、足を踏みしめるように居間へ向かった。




