6 幽霊男爵を説得
夕暮れが迫った頃、ウィンは帰って来た。
洞穴の前には焚火が用意され、エルオリーセが釣った魚5匹が、串に刺されて炙られている。
「おう、戻ったぜ」
「お帰りなさい。首尾は?」
「上々」
ウィンは、金貨の袋をイレーネに渡した。
「・・・え?・・・何であるの?」
金貨は袋に50枚入れ、残りは数枚だがイレーネが持っている。
「奴には、9枚渡しといたぜ。1枚は成功報酬で俺が貰ったから、残り40枚がそこに入ってるってこった」
焚火の傍にドカッと腰を下ろし、ウィンは一部始終を話し始めた。
ウィンの説明が終わると、イレーネは袋を抱きしめてにじり寄り、ウィンの手を握って満面の笑みを浮かべた。
「それじゃ、これは私の物ってことで良いのよね。嬉しいっ!」
「おっ、おう・・・・」
今にも抱きつきそうなイレーネに、ウィンは少しだけ尻をずらす。
(何だ、おい。・・・いい顔するじゃねぇか。ホント、面白ぇお嬢様だぜ。飽きねぇだろうが・・・)
驚きはしたが、そこは大人の余裕。ウィンは、楽しそうにニカッと笑った。
「で、アンタたちは、これからどうするんだ?」
こんがりと焼き上がった魚を串ごと手渡されたウィンは、齧る前に問いかける。
熱々の焼き魚は、エルオリーセが塩とハーブで丁寧に下拵えしたもので、見るだけで美味そうだ。
「とりあえず、帰るわ」
答えたイレーネは、同じく焼き魚の串を持って答えた。
今後の目標である資金稼ぎは、一足飛びに達成できた。そうなると次の目標である、『居候からの脱却』を目指すことになる。ロートホルン城に帰って、幽霊男爵を説得しなければならない。
けれどイレーネとしては、その後も更に資金を調達しなければならない。そうなると、ここでこの有能な傭兵との縁を切ってしまいたくはない。
イレーネは、魚には口をつけず、真剣な面持ちで前に乗り出しながら、ウィンに言った。
「良かったら、一緒に来て。それで暫く住んで欲しいの、ロートホルン城に」
ウィンが帰って来る前、イレーネは自分の考えをエルオリーセに告げていた。
いつか公爵令嬢に、返り咲きたいこと。
その為には資金が必要で、それを得るために協力して欲しいこと。
ウィンにも助けになって欲しいので、今後も縁を繋いでおきたいこと。
それらに関しては、エルオリーセに否やは無い。もう既に、乗り掛かった舟だと覚悟を決めていた。
けれど、ウィンをロートホルン城に連れて行って、幽霊男爵に合わせるとイレーネが行った時、それは難しいのではないかと思う。彼は、幽霊だからか、元々の性格だからかは解らないが、はっきり言って排他的だからだ。
だがイレーネは、あっけらかんと、何とかなるわよと言い放った。
「は?・・・ロートホルン城?・・・あの幽霊城か?」
「ええ、私はそこに住んでいるの」
居候であることも、ついでに告白し、今後の予定も全て伝えるイレーネだ。
「う~~ん、アンタの考えは解ったし、俺で良ければ協力しても良いかとは思う。幽霊男爵ってのに、興味もあるしな。だが、いっぺんに全部をやっちまおうってのは、無理があると思うぜ」
相手の事も、考えろと言いたい。
幽霊じゃ無くとも、今まで厄介な居候だった人間が、生活費を払うから同居させろと居座るようなものだし、おまけに見ず知らずの男を連れて来て、コイツも一緒に住むなどと言われた日には、叩き出されても仕方が無いだろう。
「とりあえず、先ずは家賃を払うから部屋を貸してくれって、その幽霊サンに許可を貰いな。俺は、後から訪ねていくからよ。実は、先に行きたいトコもあるんだ。ネーハイの素材が手に入っただろう?それで新しい大剣を作りに、ノームコアの鍛冶屋に行って来ようと思ってる。多分、出来上がるまでに2週間くらいは掛かるから、それから城に向かうってことで、どうだ?」
ウィンの言う事は、確かに尤もだと思う。
イレーネも、少し先走っていたことを自覚し、この世慣れた傭兵の意見を素直に聞き入れた。
ウィンと別れたイレーネ達は、ロートホルン城への帰路に着く。途中、イレーネの服などを買い入れ、生活の不自由がない程度に品を揃えた。
そして、人気の無い場所でアルバに変身してもらい、その背に乗って城を目指した。
夜空を飛んで来る彼女たちを、幽霊男爵は城の塔から発見し、窓から宙を飛んで庭に降り立つ。そして、万感の思いで降りて来る大鷲を見つめた。
「エルオリーセ♪」
両手を大きく広げて、想い人の名を音楽的なイントネーションで呼ぶオリビエは、心から彼女の帰りを喜んでいる。
そしてアルバが地面に足をつけるや否や、子供を降ろすように抱き上げて胸に抱きとった。
「無事だったかい?怪我はしていないかい?」
矢継ぎ早に尋ねながら、彼は両の掌で彼女の顔を挟んで覗き込む。
「・・・変わりはないようだが」
そこで漸く、エルオリーセは口を利くことが出来た。
「た、ただいま、オリビエ。うん、元気。長いこと留守にして、ごめんなさい」
「ああ、毎晩夜空を見て、ずっと待ってた・・・・」
アルバから降りたイレーネは、そんな2人の甘ったるい様子を横目で見ながら、こっそりとため息をつく。アルバはさっさと変身を解くと、ウルフドッグの姿に戻ってスタスタと城の中へ歩き出していた。
その後を付いて行きながら、イレーネはつい独り言のように呟く。
「・・・あの幽霊、エルが帰って来るといつもああなのかしら」
胸やけしそう、と思った時、頭の中に声が響いた。
〈まぁ、いつものことだね〉
「えっ!・・・また?」
地中の館のネーハイとの戦いの中で、同じようなことがあった。イレーネはその時と同じように、両手で頭を抱える。
けれどその時、先を歩いていたアルバが立ち止まって振り向いた。
〈エルオリーセと話し合って、これからはイレーネとウィンにも、伝えることにしたから〉
「・・・これって・・・心話?」
〈そうだよ〉
イレーネの顔が、目に見えて明るくなる。
(それって、私を認めてくれたってことよね。私の味方が増えた、ってことよね!)
けれどアルバは、表情も変えずに伝えて来た。
〈だからって、味方になったわけじゃないからね〉
イレーネは、ギョッとした。
「わ、私の頭の中を、読んだの?」
〈人間の思考を読んだりなんてしないよ。顔を見てれば解るだけだから。イレーネは解り易いからね〉
そしてアルバは、話はそれで終わりと言うように、静かに城の中に入って行った。
そして翌日の晩、イレーネは金貨の袋を持って、オリビエの前に立った。
「これを受け取って。家賃のつもりよ。これで、居候じゃ無くなるわよね」
幽霊男爵は、苦虫を纏めて10匹くらいは噛み潰しているような顔になる。
「お城だから家賃は高いかもしれないけど、生活スペースを借りるだけだから、これで何年分になるかしら?」
「おい・・・私は城主であって、大家では無いのだが」
凄味がある低い声で言うオリビエに、けれどイレーネはあっけらかんと答えた。
「大家を兼任しても良いじゃないの。管理人は、実質エルなんだし。オリビエは、基本夜しか出てこないんだしね」
何やら急に、対等な話し方になったイレーネに、流石に怒りを覚える彼だ。
「私は、男爵だぞ。お前は、もうお家断絶で追放されたのだから、貴族では無いだろうが。元公爵令嬢かもしれないが、今はただのイレーネと言う娘でしかない」
けれど、イレーネも負けてはいなかった。
「貴方だって、そうでしょ。幽霊ってことは、一度死んだのよね。貴族の位は当主が亡くなったら、引き継がれるものよ。だから、幽霊になった時にはもう、オリビエは男爵じゃないんじゃないの」
ニヤリと笑って見せたイレーネだが、昔苛めをしていた頃の様な嫌らしさは無かった。寧ろ、堂々と対等を主張する、誇らしげな笑いだ。
「ーーーーっ!」
幽霊なので、顔を真っ赤にすることは出来ないが、オリビエはグッと言葉を詰まらせる。
この不毛な言い争いを止めるように、そこでエルオリーセが言葉を挟んだ。
「オリビエ、私からも、お願い」
エルオリーセが、イレーネを気に入っていることは知っているオリビエだ。
2人と1匹だけで過ごした長い時間は、確かに幸せだったが、彼女は友人と呼べるような相手が欲しかったのかもしれない。
そう思うと、オリビエとしてはその気持ちを大事にしたいと思うのだ。
「・・・・・・・・」
黙ってしまった彼に、イレーネは更に言い募った。
「いずれ私は、王都に戻るわ。それまでの間で良いから、ここに住まわせて」
やがてオリビエは、答えた。
「人間の時間は、私にとっては一瞬の様なものだしな。まぁ、良いだろう。とりあえず、家賃は1年で金貨1枚にしておこう」
それでもしっかりと家賃を要求する幽霊城主は、大家になることを受け入れた。
達成感にパァッと顔を輝かせたイレーネに、オリビエは暫し考えて質問を投げかける。
「王都に戻ると言ったが、その理由を聞かせてくれ」
「・・・・元の生活に、戻りたいからかな」
「元の生活とは、公爵令嬢に戻りたいという事か?私は今の王国の状況には疎いが、謀反人の娘がそれを叶えるのは相当に難しいのではないか?」
すると、エルオリーセも小さく頷いた。
「そうね、公爵令嬢に戻りたいなら、他の公爵家の養女になるしかないと思うけど、そうすると政略結婚の駒にされるという事よね」
そうなると、不本意なことを強いられる。イレーネは絶対に、そうはなりたくないと思った。
「公爵令嬢に戻るために、養女になるのはごめんだわ。国外追放になった妾腹の弟たちは、消息不明だし頼りたいとも思わない。アルアイン公爵家を、再興するのも不可能。だから・・・・いっそ・・・」
そこでイレーネは、キッと顔を上げた。
「私が、新しい公爵家を作ればいいのよっ!」
・・・・・・・・・・
絶句したオリビエと、胸を張って仁王立ちのイレーネ。
「・・・・お前・・・馬鹿か⁉ 能天気を通り越して、ただの馬鹿、いや大馬鹿だろう」
「何でよっ!」
「新しい公爵家を作るなんて、そもそもどうすれば良いか、解っているのか?女の身で、貴族の家を新しく興すなんて、聞いたことも無い」
「それは、これから考えるのよっ! 何にだって、初めての事はあるでしょ!」
完全に対等に、遠慮なく意見を戦わせる・・・いや殆ど口喧嘩になっている2人を見ながら、エルオリーセはのんびりとお茶を淹れていた。
そして自分のティーカップに口をつけ、美味しそうにひと口飲むと、徐に口を挟む。
「そう言えば、町で噂を聞いたわ。イレーネの服を買うのに、お店にいったでしょ。私とアルバは外で待ってたけど、その時若い女性たちが話していたの」
エルオリーセは、2人を宥めるように、落ち着いた口ぶりで続ける。
「少し前に、王都では新しい女公爵が誕生したそうよ」
「えっ!ホント?・・・誰?」
さっさとオリビエとの論争を切り上げて、話に乗って来るイレーネだ。
「ええと、確か・・・フォーゲル、フォーゲル女公爵って言ってたかな。女騎士になって、国王の命と王国を守った英雄ですって」
「フォーゲル・・・確か、没落した公爵家だって聞いたわ。昔、謀反の疑いを掛けられてその直後に、事故死したって・・・あ、思うだしたわ。アリスヴェルチェ・フォーゲル!」
『癒しの力』を持たない落ちこぼれで、没落した伯爵令嬢。イレーネは思い出したが、かつて自分が彼女を苛めていたことは、忘れている。
「だったら、私だって女公爵になる方法は、あると思うわ。謀反の疑いで没落した家を再興できるなら、私にだって可能性はあるのよ」
鼻息も荒く、意気軒高で言い放つイレーネに、オリビエは口をつぐむしかなかった。
イレーネが部屋を出てゆくと、エルオリーセは慈母の様な笑みと共に言った。
「イレーネは、ゴールだけを見つめる暴れ馬みたいね。でも、命の輝きみたいなものを感じるの。最初は、そんな彼女を面白いと思っただけだったけど、今はそのゴールを一緒に目指してみたいと思ってるわ」
『居候』の身分を脱却したイレーネだったが、その生活は以前と左程変わりはなかった。変わった点と言えば、イレーネに遠慮が無くなったと言う所だろうか。
日没後、オリビエが出て来てからも、席を外せと言われるまでは居間に居座り続ける。そして部屋を出る前には、「はいはい、お邪魔虫は消えますわ」とか「甘すぎて胸焼けがするわぁ」とか、小姑の様な嫌味を投げかけて出てゆく。
イレーネ自身は特に腹を立てているわけでは無く、ある意味素の言動なのだが、オリビエはその度に不快な表情を見せた。ちなみにエルオリーセは、全く気にしていない。
けれど結構早い時間に退室を告げられるので、イレーネの方は次の段階に関する話を出せないでいる。ウィンに関することだ。オリビエが少しでも機嫌が良い時に、切り出そうと思っているからチャンスが無い。
ある晩、日没後に居間に入ると、エルオリーセとオリビエの姿が無かった。庭に通じる大きな窓が開け放たれ、深緑色のカーテンがそよいでいる。
(・・・庭に出たの?)
ソファーに座って待っていると、暫くして2人は戻って来た。オリビエは彼女の肩を優しく抱き、寄り添って室内に入るが、イレーネの姿を見ると、表情だけを思い切り曇らせる。
「いい雰囲気なんだ、自分の部屋に戻ってくれ」
イレーネは手に持っていた本をギュッと握り締め、ムッとして足音も荒く自室に戻った。
(借りた本を返そうと思ったけど、明日にするしか無いわね。質問もあったし、新しい本も借りたかったけど・・・)
イレーネは、城の書庫にある様々なジャンルの本を、片っ端から読んでいる。世間知らずと言う現状を自覚させられた現在、また今後の課題として、学ばなければならないことが沢山あると思っているのだ。
(仕方が無いわ、今晩は早く寝るしかないわね)
けれど何故か、その晩に限って、なかなか眠れないイレーネだ。
何度も寝返りを打ち、寝具がぐちゃぐちゃになっても、睡魔は訪れない。
(もうすっかり夜中じゃないの・・・)
イレーネは起き上がって廊下に出ると、居間の方へ行ってみる。けれど扉の向こうには何の気配もなく、2人は既に2階へ戻っているのだと思った。
(エルは、もう寝ちゃったかしら。もしまだ起きてたら、新しい本を借りれるかも・・・)
2階に上がることは禁じられたままだが、ちょっとくらいなら良いかな、と思う。エルオリーセなら、許してくれそうな気もしていた。
2階の廊下に足を踏み入れると、そこにはアルバの姿さえ無い。きっとエルオリーセと一緒に、部屋にいるのだろうと思った。あのメタモルファルは、いつもパートナーに寄り添って眠るのだろう、と。
けれどドアの前に立ち、ノックをしようと手を上げた時、部屋の中から微かな声が聞こえた。
「・・・んっ・・・ぁ・・・ぁあ・・・んぅ・・・」
(えっ・・・何? エルの声?)
「愛しているよ、エルオリーセ・・・素敵だ・・・本当に」
(オリビエ⁉・・・ちょ、ちょっと待って・・・これって・・・)
イレーネだって、部屋の中で何が行われているかくらいは解る。けれど、信じられない気分が先に立った。頭の中が、真っ赤になるようだ。
そして、そうっとドアに隙間を作り、中を見てしまった。
窓から入る月の光。
灯る蝋燭の明かり。
しめやかなしっとりとした空気の中に、浮かび上がる光景は、幻想的だった。
ベッドの上に浮き上がった白い身体を、薄い靄の様なオーラが包む。
一糸纏わぬ美しい裸体は、微かに震えながら喘いでいる。
彼女を抱いている透けた零体が発するオーラが、仰け反る肢体に纏わりついていた。
「ぁぁっ・・・ぁ・・・・」
そして、極まった声が歌声のように響いた時、イレーネの背に氷の様な視線が突き刺さった。
(・・・・ヒィッ!)
振り返った視線の先には、冷ややかなメタモルファルの眼が、闇の中に浮かんでいた。
〈出歯亀・・・〉
頭の中に響いた声に、イレーネは観念してすごすごと立ち上がった。
「あっ、あの・・・覗き見するつもりなんて無くて・・・」
階下に降りたイレーネは、ウルフドッグの背に向けて言い募る。出歯亀と言われたことは不本意だが、言われても仕方が無い状況だったことは解っていた。
「つい・・・その・・・うっかりって言うか・・・」
〈ちょっと用足しに出た隙に、まさか2階に来るなんてね。油断してた僕も悪いけど、見損なったよ〉
アルバは、完全に怒っているようだった。
「ご、ごめんなさい・・・」
イレーネはしょんぼりと項垂れて、自室へ戻った。
(・・・まさか、あんな・・・)
見てしまった光景が、そういう物だとはイレーネにも解る。経験は無いが、知識としてはあった。実際に見たのは、初めてだったけれど。
(エルとオリビエって・・・夫婦みたいなものかしら)
男性側は幽霊なのだが。
(そうすると、エルは妻ってことよね・・・幼な妻・・・ってことは無いか)
自分よりずっと若く見えるが、充分結婚できる年齢ではあると思う。シュバルグラン王国の貴族女性の場合、学院を卒業すると結婚準備に入る者が大半だ。年齢は、平均して15歳くらいである。
益々、目が冴えて来た。
(エルって・・・私よりも、ずっとオトナなんだ)
そう思うと、悔しいような、羨ましいような、モヤモヤした気持ちになって来る。
(私だって・・・王弟殿下と、もう少しで婚約するところだったんだから。お父様の、謀反が無ければ)
そこまで考えて、ふとイレーネは、今まで考えることも無かった父親、アルアイン公爵の謀反の事を思い出した。
あの日は、次に王弟殿下に会いに行く時に着るドレスを、心の中でこっそりウキウキしながら選んでいるところだった。侍女にあれこれと持ってこさせては、ああでもないこうでもないと、吟味している最中で、そんな時、急使がやって来たのだった。
「アルアイン公爵が謀反を起こし、自領の砦の中で命を落とした」と。
詳細の知らせが届くより先に、イレーネは軟禁状態になった。
元より、政治に関しては全く無知だったし、父親とも親しいと呼べるほどの間柄でも無い。イレーネにとって父親とは、貴族女性としては当たり前のように、常に従うべき相手だったのである。
言われるとおりに教育を受け、命じられるままに誰かと結婚する。逆らう事など、父親がいなくなる事と同じくらい、考えられないことだった。
我儘で我の強いイレーネだったが、そんな世界の中で出来ることは、周囲が修正できる程度の反抗くらいだった。宥められ、気を逸らされ、いつの間にか父親の望む通りの道を歩んできた。
結局イレーネは、詳しいことは何も知らされず、公爵家の断絶を告げられ、ターキン子爵家へ身柄を預けられた。
(お父様が、何故謀反を起こしたのかなんて、解りようも無いわ。だって私は・・・お父様や弟たちが好きだったこと、一度も無かったし。ううん、寧ろ嫌い・・・嫌いって思いたくもないくらい、無関心だったと思う)
イレーネの母が亡くなってから、公爵は次々と妾を作って、妾腹の弟たちを作った。貴族の男にはよくあることだと知っていても、本妻の娘であるイレーネにとっては、考えるだけで腹が立つ。だから、無関心になるしかなかった。
そんな父親に関して、イレーネはずっと従順そうに振舞うだけだった。
本妻の子ではあるが、女性の身では公爵家を継げない。だったら、公爵家より身分の高いところに嫁ぎ、父や妾腹の弟たちを見下してやりたい。
そんな風に、思う時もあった。
そして王妃候補になった時、アルアイン公爵は掌を返したように、イレーネに構うようになった。高価な宝石やドレスを買い与え、口煩い程指示を与え、彼女を王妃の座に就けようとする。
それでも、イレーネは嬉しかった。心の片隅で、父親の愛情を欲していたのかもしれない。構って貰えるのが、ただ単純に嬉しかった。
けれど王妃にはなれず、嫁ぎ先を王弟殿下に変えられ、もしそれも失敗したら、没落貴族に嫁がせるとまで言われた。
政治の駒としての役割を、再確認させられたのは事実だが、それでも王族に嫁げるのなら良いだろうと、自分を納得させたイレーネだったのだ。けれど、その途上でイレーネは追放になり、縁は途切れてしまった。
(運良く、今こうしているけど、こうなったのは全部お父様の謀反のせいよね)
けれど、考えても、どうしようもない。父親の心の中は、今更推し量れないし、過去は変えられないのだから。
(だったら、もう・・・全部捨てるわ)
アルアイン公爵家の事は、父親も妾腹の弟たちも含めて、全部切り捨てる。
色々な事を思い出し、考えている間に、いつの間にか時間が経っていた。
イレーネはもう一度ベッドを抜け出し、裏口から外に出る。
東の空が、少しずつ明るくなっていた。夜明けが近い。
そして、薄く棚引く雲が、美しい色合いに染まってゆく。
イレーネは、自分の髪のひと房を手に取り、ギュッと握り締めた。
「私は、私。私の未来は、私が掴み取る」
はた迷惑なほど、周囲を振りまわしている自覚はまだ無いイレーネだが、きっと少しずつ成長しているのだろう。これから頑張ると決意しても、具体策などは1つも無い。それでも走り出す彼女は、エルオリーセが言ったように、暴れ馬なのかもしれない。
けれど、ゴールはしっかりと見据えている。
「さて・・・先ずは・・・エルに謝って、それから」
ウィンの件を、先に進めなければならない。気は重いが、目の前にあることから片付けようと、イレーネは城の中に入って行った。
厨房に入ると、何時もいる筈のエルオリーセはいない。代わりにアルバが、床に伏せて待っていた。
「・・・ええと・・・おはよう・・・ございます」
罰が悪いので、丁寧口調になるイレーネだ。
「あの・・・エルオリーセは?」
〈眠ってるから、起こさないように。昨晩の事は、起きたら報告するつもり〉
普段は夜明け前に起きる彼女が、まだ眠っているという事は、疲れたのだろうと思う。イレーネは、待つことにして頷いた。
「解ったわ。エルが起きてきたら、謝るつもりよ」
素直な言葉を出すイレーネに、それでもアルバは事務的な口調で告げた。
〈僕は外に行って、果物でも採って来る。イレーネは、自分の食事は自分で何として〉
アルバは、自分の朝食も兼ねて、森で狩りや採集をするのだろう。籠を咥えて出て行ったアルバを見送って、イレーネはとりあえず自分の朝ご飯を用意しに、厨房へと向かった。
昼少し前、イレーネが居間へ入ると、起きて来たらしいエルオリーセがソファーに座っていた。
城にいる時、彼女は娘らしい服を着ているが、今朝は白いブラウスとスカートという格好だ。普段昼間は、動きやすいような採集服に近い格好をし、日没前に着替えるのがエルオリーセの日常だが、今からスカート姿という事は、今日は働くつもりは無いと言うことだろう。
実際彼女は、気だるげに座っていて、妙な色気も感じさせる。
「エ、エル・・・あの・・・」
「うん、アルバから聞いているわ」
「ごめんなさい!・・・不躾なことを致しました。お許しくださいませ」
イレーネは、深々と頭を下げた。
貴族令嬢は、こういった場合の作法を教えられている。舞踏会などで、誰かの濡れ場にうっかり足を踏み入れてしまう事は、それなりに多いからだ。薄暗がりでキスシーンに遭遇したり、使われていないと思われる部屋の中で、熱々のカップルに出くわすこともある。
その場合、謝罪の言葉を口にしながら、とにかく深く頭を下げてその場を急いで去るようにと叩き込まれている。
この場合、立ち去ることは不要だが、とにかくしっかりと謝罪することが大事だと解っているイレーネだ。彼女に嫌われたくない、と言う気持ちも芽生えつつある。
「・・・禁じられていることには、理由があるの。2階は私とオリビエのプライベートエリアで、昨晩の事以外にも、見られたくないものがある。何時かは解る時が来ると思うけど、今はまだ言いつけを守って欲しい」
エルオリーセは、オリビエとの情事を見られたことよりも、取り決めた約束を破ったことを怒っているように見えた。
「・・・うん・・・はい、ごめんなさい。もう2度と、2階へは上がりません」
素直に言うイレーネに、エルオリーセは穏やかに微笑んだ。
「うん、お願いね。焦らなくて、良いの。出来る範囲で、少しずつやった方が良いこともあるから。ウィンの事も、金貨を入手した時の話は、詳しくオリビエに伝えてあるし、後は彼がここに来てからでもいいんじゃないかな?」
エルオリーセの態度は、以前と全く変わりがない。
「そうね・・・・そうする。ありがとう、エル」
イレーネはホッとするが、これからは少し、エルオリーセを見る眼が変わりそうだとも思う。
年下だからと言って、見下したりするべきではない。
それはつまり、人を見かけや年齢、身分や性別で判断しないということに繋がる、大切な認識の最初の段階だったかもしれなかった。




